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妄言

2011-06-15 | 雑記
以前、Aなんとかよんぱちの「総選挙」とかいうものに絡めてなにやら書いた。

あの日の前後か、自分は直接見てはいないのだが、郵政民営化をやっちまった首相の息子が国会の廊下だろうか、そこでTVのインタビューを受けたそうな。


リポーターはこう質問した。キャプチャ画像のテロップだが

「Aなんとかよんぱちの総選挙が行われているが、関心は?」と。

「とんでもないところから弾撃ちますねぇ」「政治家がそんなことでコメントしたらね」と、コメントしている。


2chのコピペブログというやつで見たものだが、一応リンクも貼っておく。ただ、アニメやらエロゲーやらの広告がたっぷりサイドに貼られているので、そういうのがいやな人は注意する事。こちら


さすが元首相の息子。バカな話をさらっと回避している。あのリポーターはきっと頭が腐っているに違いない。


リポーターの脳が腐敗しているのはいいとして(ああいうのしかいないから)、上記の質問を振られた小泉さんが仮にこんな風に答えだしたら、どう思うだろうか。

「カンは引き摺り下ろさねばならんのです」だとか「被災地救援を優先しなきゃならんのです」と、質問を聞いた上でいきなりこう言い出したとしたら。

こりゃどうかしてる、と思うだろう。発言の内容はともかくとして。


こういう話を引っ張ってきて、何をか言わんと思われるだろう。身に覚えのある奴がまだ見てるかは知らないが、改めて言おうか。


かなり前に、「フランス料理店に行ってランチ頼んでワイン飲んだ」という話を書いたら、見慣れない名前でコメントがあった。

コメントの内容はこうだった。

「ラーメン屋の六厘舎が閉店する事になったそうだ云々」


自分もバカ正直に「まあ、不景気だからしょうがないね」といったコメントを書いておいた。


しばらくして、「サンシャイン水族館が営業を一度止めて、一年かけて改装する」という話をしたら、また同じやつからコメントが来た。

今度のコメントはこうだ。

「煙草が増税になる。これで禁煙する人が増えるのだろうか」といった風に。


さすがに呆れたので「コメントとは一体何なのか書き込む前に一度考えろ」と厳しくコメントしておいたら、これっきりこなくなった。

やり取りは(というほど何もないが)コメントを消してなければ、記事も健在なので確認することが出来るだろう。


前回の最後にも書いたOもそうだし、上記のやつもそうだが、「お前はコメントをするな」とは書いていない。厳しく非難はしたが。

上記で触れたコメントの内容は至極普通のもので、別に非難するべきものではない。まったく面白くもないが。


腐れ脳リポーターの質問もそうだし、例えで作った上記の「架空小泉くん」の返答例もそうだ。


自分の頭で浮かんだ言葉をただ流すのは辞めないか?そんなことはないちゃんと考えたというなら、「架空小泉くん」の例を当てはめて見たらどうだ?

リ「水族館がが閉館して、改装するんです。私も昔行ったもので、しばらく寂しく思います。何か一言を」(前提として、別に記事で質問したわけでもないが)
C「煙草が値上がりする。値段が上がれば欲しくなくなるものだろうか」

さて、振り返ってどう思われるか。そもそも記事が質問したわけじゃないし、何をコメントしようが自由だろう、と思っているだろうと考えて、当時もこう書いた。

「何かを訴えたいのであればブログやツイッターを開設して陳述なさるのが良策かと」


当時、反論がなかった。ないと議論にならないわけで、これでは自分ひとりが狂乱しているように見える。だが、見えて結構だ。実際に狂乱しているようなものなのだから。


ひざ小僧を叩くと勝手に膝から下の足が動く。動かなかったら脚気だがそれは関係ない。脊髄反射とかいうのだが、少なくとも言葉やら意識を伴った行動は脊髄反射ではないはずだろう。

脊髄反射的に言葉やら行動が出るというなら、そこを一度せき止めるのが意思ってものじゃあなかろうか。「自分は意思を持って行動している」というのは思い込みではなかろうか、と一度意識してみてはいただけないだろうか。

コメントしなくてよいが、コメントする前にまずそこから考え直せ。無意識であんな受け答えが出たというならなおの事。普段の生活からお気をつけ願いたい。



さて、余計な話をしてしまったが、そもそも生活に余計なブログなわけで、余計な話をしないことには存在意義を疑われる。そもそも意義なぞない、と言ってしまえばそれまでではある。

本来は早朝に出しておいた動画を掲載するだけの話だったが、余計な気持ちが余計な記事を余計な言葉遣いで余計に長く書いて余計に読む人を減らしていく。元々多くもない。では、余計な動画をどうぞ。


第十二夜



ここしばらく、ゲームをする気もなく、酒も飲まなくなった。余計なことを考えると、余計な事がしたくなくなるのである。とはいいつつ、お付き合いのゲームはこれからやろうかというところである。では、さようなら。