ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

体に聞くこともある

2011-06-22 | 雑記
さて前回の混乱した更新から一晩経って、ついでにチャットでしゃべりつつ思いついたのがコレ。




押し麦といって、麦の粒を押して平たくした、要するに麦飯の素。

こういうのは色々種類が置いてあるところにはあって、例えば胚芽押し麦だとか、粒を米粒の大きさにそろえたものなんてのもある。

一時期はテレビなどで雑穀米が取りざたされたり、アマランサスとかいう稗や粟の仲間の栄養素がすごいと話題になったりした。伝統というほど古いのかわからないが、麦とろご飯なんかに使うのがこれ。


つい白米にしてしまって、そして夕べはなんだかしっかり炊けたのに物足りなさをひどく感じてしまった。だからこれを使う事にする。

せっかくだから長いもを買ってきた。少量切って使えば一杯用にも出来るだろう。


それにしても今日は暑かった。近所の秋田県もヘッヘッというような感じで寝ていたが、駐車場で寝ている秋田県のアンちゃんはいつも寝ている気がするので変わりなしといえばなし。


その斜向かいのほうに前からある家は、縁側のあたりがごちゃごちゃして見通せないが、柴犬らしいのがたまにソファーのようなものに座り込んでいるのを見かける。

今日は飼い主らしい男の人が首輪を引きつつ水をかけて洗おうとしていた。が、犬は逃げるので縁側の突き当たりのほうまで「こら!まて!」と追いかけて、その奥のほうで洗い始めた。


暑くて休みなのに出かけたのはわけがある。そう、刻み煙草が切れかけて、なんということはなくて、髪の毛を切りに行くことにしたからだ。


長くなってきた髪を耳にかけたりかけなかったりするのだが、かけていたらある日こういわれたのだった。「そうしていると、まるで韓国人みたいだよ」

さる筋からの情報で、自分の血筋に疑惑の眼を持ち始めていたが、別に気にかけなかったので、笑って済ました。

韓国云々は髪型のせいだろうが、若いころ髪の毛を束ねていたころがあって、その上もう少しやつれていたころは「フィリピン系」といわれたものだった、と美容室の担当者と笑い話にしていたりした。


結局、「韓国人みたい」の話から韓国の話ばっかりになってしまった。いやぁ、担当のお兄さんどう受けるかねぇと思ったが、ああ、知ってたんだという感じで困ることはなかった。



帰りも四時になったというのに、蒸し暑さが激しかった。歩く道の舗装のせいなのか、日差しが強いのか。小腹が空いたので、ちょっと西海にお邪魔する事にした。

ミニラーメンというのがあるので、それとおにぎり一つを頼む。ここのラーメンはいつもアオサトッピングを頼むのだが、面白い事になった。

カウンター席で厨房の様子を見ていたりするのだが、おにぎりを乗せる皿に何故かアオサを敷いている。

おや、と思ったらラーメンと一緒に出てきた。取り敢えず、皿の上のものをひっくり返してみたら、アオサしか見えなくなった。


アオサは嫌いじゃないが、ここまでアオサが過ぎるとスープまで少なくなる。次回からはミニを頼むならトッピングは無しにするか、皿から少しずつ掬っては丼に入れる形がいいだろう。それほどミニは小さい。


帰り道は、家に近づくとなんだか涼しくなってきた。高尾山に向かって緩やかな傾斜を描く地形で、高尾方面から東へは、自転車のペダルを漕がなくても勝手に転がるほどという。かつて銀行に勤めていたEさんが語っていた。

時間のせいでなければ、こちらは少々涼しくなるのかもしれない。それでも少々だろうが。住宅街で車の通りもないのも原因か。なんにせよ涼しくなってよかったよかった。


とはいえ、まだ暑さが残る。西に向いて歩くわけで、見上げた先には太陽がこっちを睨み付けている。こちらは睨みたくない。


たまに猫がいる家の敷地に、自転車が入っていく。もしかしたら、例の猫がいるかなと見てみたら、日陰で丸くなっていた。

呼ぶわけにもいかないし、猫は基本休んでいる生き物だという。語源を調べたわけじゃないが、聞きかじりだが「寝子」からきている、なんて話があったような気がする。


お笑い芸人のダウンタウンのコンビの番組だったか浜田だけの番組か忘れたが、猫は一日の多くを休んでいるので、放り出せば心地のよい日陰に案内してくれるはずだ、などとやってみたら、目の前で動かなかったというのがあった。

猫に寄り添ってしかめっ面で「きもちいー!」だか「すずしー!」と叫んで終わり、のミニコントだった。しかも真昼の暑そうなロケ。ちょっと笑えた。


普段から猫みたいな生活だが、猫にはとてもあこがれる。子供のころ、テレビを見ながら「動物っていいなー」といっていたら、まるでお約束のように父親が、「動物は人間みたいに悩まんからダメなんよ」という。

人間が悩んで、乗り越えるならまだしも、振り回されてバカなことをする事がほとんどのような(殺したり盗んだり金の亡者になったり)気がするのだが、と今さらだが突っ込むのであった。

人間らしく悩ませて戴くなら、父親は開けた扉をほぼ閉めないのが、我らの悩みでした。(弟もよく怒っていたものだった)


ちょっと前に、タレントや俳優の自殺があった。某俳優は、悩みがあった、とブログに書き残した。女性タレントはよくわからん。

アングラ的な情報からだと、もしかしたらもしかして、殺された可能性があるのでは?という。女性タレントは、某ロックバンドからソロになった人の自殺と同じ状況だったそうな。


彼らの悩みは、我が父がかつて口にした「人間の悩み」どころではなかったのかもしれない。まったくもって猫にあこがれるしだいである。では、また。