王子の狐
徳川幕府開府以前は一寒村であったが王子村は、歴代将軍が日光社参の為の「御成街道」が通ったことで江戸市中とつながり、加えて八代将軍吉宗によって隅田川堤(墨堤)、品川・御殿山と共に飛鳥山に桜が植えられ江戸町民の憩いの場となって以降、庶民の行楽の地として賑わう様になった。
また王子には古くから狐伝説が伝わり、東国33国の「稲荷社」の頭領として「王子稲荷神社」があり、毎年大晦日になると近くの大きな木の下に関八州から狐が集まって装束を改めて「王子稲荷神社」に詣でたと伝えられ、地元の農民が「狐火」の多さによって、その年の農作物の豊凶を占ったと言われる、江戸時代に書かれた地誌「江戸砂子」には「狐火おびただし、この火にしたがひて、田畑のよしあしを所の民うらなふことありといふ」と記されています。
現在も大晦日になると地元の行事として装束稲荷ー王子稲荷神社」まで「王子狐行列」が行われています。
歌川広重の名所江戸百景「王子装束ゑの木大晦日の狐火」
王子装束稲荷神社
JR王子駅からスマホのナビを見ながら探しました、駅から徒歩10分、メインの通りから一歩入った榎の木の跡に建てられてと言われる場所にひっそりと佇んでいました。
訪れる人も少なくひっそりと佇む「装束稲荷神社」
毎年大晦日になると行われる「狐の行列」ルート
王子稲荷神社
社伝によると創建年代は不詳だが、康平年間(1058~65)には源頼義が深く信仰して「関東稲荷惣司」として崇めたと伝えられる。
江戸時代になると近くにある王子神社と共に徳川将軍家の祈願所とされたと言われる、門前にはお茶屋や料理屋があって遠方からの参拝者で賑わったと言われる。
歌川広重が描いた江戸名所図会「王子稲荷社」
音無親水公園から王子神社を過ぎて坂を上がり、しばらく行くと「王子稲荷神社」に到着
拝殿、若い女性が何事か祈念中
御石様
拝殿の裏手にある本宮
狐の住みかとされる「御穴様」社殿
名主の滝
石神井川は王子付近から滝野川と名前を変えて隅田川に流れ込んでいますが、江戸時代には流れがきつく、王子周辺には「王子七滝」と呼ばれる滝がありました、現在はそのうちの一つが「名主の滝公園」として名残を残していました。
王子稲荷神社から数分の距離にある都立「名主の滝公園」
江戸時代の七滝の二つ「男滝と女滝」 名所江戸絵図「王子不動の瀧」
現在はポンプで水をくみ上げている「名主の滝」
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