神田祭
元和時代(1615~1623)、徳川幕府第二代将軍秀忠により日枝神社と共に神田明神が江戸の総鎮守として崇められ、その例大祭である「神田祭」、「山王祭」が天下祭として江戸城の内曲輪に神輿、山車。附祭などの祭礼行列の練込みが許されて将軍・御台所の上覧が許されました、その後、富岡八幡宮の「深川祭」を加えて江戸の三大祭りと言われ、往時の姿を現在まで連綿と引き継がれています
なお、神田祭と山王祭は隔年で開催されます、今年が神田で、来年は山王祭が開催されます。
神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、築地魚市場など108か町会の総氏神となており、2年に一度の祭りは歴史を引き継ぐ「下町の祭り」として氏子総出で最大級の盛り上がりを見せていました。
祭りは5月11日の鳳輩神輿遷座祭に始まり、12日の氏子町会も腰神霊入れ、13日に氏子町108町を巡る神幸祭、14日に神輿宮入、その後、明神能(金剛流薪能)、献茶式、17日の例大祭で
終幕となります。
写真仲間のK君と秋葉原で待ち合わせて14日の宮入を撮りに出かけてました、江戸時代の歴史・文化を学んでいる者として「幕府の権威と庶民の生活を唯一繋ぐ」天下祭りは見逃せません。
午後1時過ぎ、すでに秋葉原の町は祭り一色
鍛治町1丁目の神輿
松枝町の神輿と山車
神田祭には三基の鳳輩の他に大人神輿、子供神輿を併せて氏子町会から約200基の神輿が町に繰り出します
江戸時代、神田、日本橋界隈は商業・町人の町として栄え、「江戸っ子」の心意気が強い地域でもありました
秋葉原駅前に鎮座していた「神田市場」の大神輿、最後に宮入します
偶然出会った「旅籠町」の神輿、外神田1丁目1番はかって旅籠が数多く旅籠町と呼ばれていた、現在も祭りには往時の名前で出ているのは嬉しい
若い女性と子どもが乗る神輿は絵になりました
祭礼中の人出は200万人とか
疲れた? 機動隊を含めて徹底した警備体制が敷かれていました
秋葉原から神田明神に続く神田明神通りは全面的な通行止め
女性ポリスも少々お疲れ気味 女性だけの神輿「獅子頭」
外国人観光客を乗せた観光バスと神輿が遭遇、お互いにエール交換
一番大きな「神田市場」神輿、宮入のとりをとります
神田須田町の神輿を差配する長老
宮入
前日、神幸祭で氏子の108町会を回った神輿は、この日、神田明神に「宮入」、お払いを受けて町内に戻ります
午後、町内を巡った神輿が続々と宮入をするが、順番待ちで明神前は大混雑
向かいは湯島聖堂
女性だけの「獅子頭」神輿が到着したが、順番待ちで宮入まで30分程待機
神田明神前は「宮入」する神輿を観る人で身動きできず
神輿に続いて神田明神に入ることが出来る、タイミングをずらすと入れません
宮入りした神輿がお払いを受けてから町内に戻ります
お払いを受けて町内に戻る旭町の神輿、2年後にまた会いましょう
お払いを受けています
本殿脇の神楽殿では「お囃子」を演奏中
神田明神脇の公園では「神田祭太鼓フェスティバル」開催中 出番を待つ高校生(?)
公園にあった牛若丸の山車 明神境内の囃子
女性神輿「獅子頭」がお払いを受けて地元の町内に戻ります
この日のメインイベント「神田市場」の大神輿の宮入
最後に宮入する「神田市場大神輿」に備えて警備陣により通路がつくられた 神輿の先導役の囃子陣が到着
神田明神の髄神門を迂回して明神会館を通り境内に入る大神輿
大迫力!
明神御社殿でお払いを受けています
神田市場大神輿が到着して、この日のイベントは終了しました 神輿の担ぎ手が帰路につきます、お疲れさまでした
午後4時半過ぎ、歩き回って、のどが渇いたのでK君と「万世」でのどを潤す、散会後、私はしつこく最後の宮入を追いました
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