神田神社(明神社)
社殿によると天平2年(730)に現在の千代田区大手町の将門塚周辺に創建されたが、その後、その周辺で天変地異が頻発した為、神田神社に神として合祀されたと言われ、戦国時代に入ると武蔵国を治める太田道灌、北条氏綱等の庇護を受ける様になりました。
天正18年(1590)に江戸に入府した徳川家康は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いに臨むに際し、神田神社に戦勝祈願を行い出陣して神田祭の日(9月15日)に西軍を破り東軍勝利となった事で、徳川将軍家から「江戸の総鎮守」として厚い崇敬を受け、神田祭は山王祭と共に神輿(山車)が江戸城に入り吹上上覧所で将軍の拝謁を受けています。
1月5日に山王日枝神社の初詣を撮ってから御茶ノ水で電車を降り、歩いて神田神社(明神社)を目指しました。
JR御茶ノ水駅脇に掲げられた案内 聖橋から神田川を渡るJR中央線(上)、地下鉄丸ノ内線(下)
聖橋を渡り湯島聖堂脇を歩いて5分、神田明神入口着
神田明神は東京ー神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108町々の総氏神、特に「商売の神様」として会社関係者から厚い崇敬を集めております
神田神社、神田明神が並んでいる
隋神門
神殿、この日も一般の参拝者に加え、スーツ姿のサラリーマンの集団が多く見られて境内は参拝客で一杯
境内から見た色彩豊かな随神門 狛犬と神殿
神殿横から見た礼拝を待つ参拝客 横から見た礼拝殿
神馬
合祀殿 水神社(魚河岸水神社)
末廣稲荷神社 三宿・金毘羅神社
だいこく様尊像
裏参道入口、江戸時代に神田山は削られて日比谷入江の埋立てに使われたが、神田明神がある地はそのまま残された 神田明神わきにあった旧中山道の案内
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