愛知学院大学青木ゼミのブログ

愛知学院大学商学部青木ゼミの活動を報告するためのブログです。

メモを残せとしつこく諭していますが

2022年08月18日 | 運営
いつもゼミ生には研究発表や卒論のための調査、打ち合わせ、考察について、メモを残すように指示しています。思考や作業の過程を記録として残せということです。グループワークの場合でも、必ず個人でメモを残すように指示しています。しかし、いくら指示してもメモをきちんと残すゼミ生は半分いません。過半のゼミ生はこちらの指示をぼうっと聞いているだけです。教員の指示すらもメモしません。

私がメモを指示するのは、堂々巡りの思考や作業に陥らないようにするためです。過去うまくいかなかったことを記録として残しておけば、別の作業を行ったり、視点を変えた思考にとりかかったりすることができます。そうすれば堂々巡りから逃れられます。あるいは、同じ作業を行うにしても、記録をたどって過去の作業のやり方のまずさを改善することができます。しかし、メモをきちんと取らないゼミ生たちは、同じ間違いを何度も繰り返し、まずいことに堂々巡りに陥っていることさえ気づかないで時間をやり過ごします。

20数年の大学教員としての指導歴において、明白に感じていることは、メモをきちんと取らない学生で優秀な者はいないということです。それは、メモは思考を前に進めるきっかけになるというだけでなく、以下の記事のように自分の振り返りになるからかもしれません。つまり、文字化することによって、思考が見える化し、自らの課題が明らかになるというでしょう。

またしつこくメモを残せと諭します。実践するゼミ生は少数であったとしても。

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二刀流の大谷翔平選手や卓球の伊藤美誠選手……一流アスリートは無名だった頃からノートをつけていることが多い。メンタルトレーナーの高畑好秀さんは「体を使った練習を、頭を使って定着させるんですね。それが次の練習に活きていく。書くことで論理的に考える力も養われます」という――。

大谷翔平選手のマンダラチャート、伊藤美誠選手の師弟ノートなどなど、一流アスリートの書くノートやメモ帳が話題になることが多い。ノートを書くと、なぜ夢が叶い、目標が達成されるのだろう。勉強や習い事にもノート効果はあるのだろうか。

フィギュアスケートの羽生結弦選手が書いた「発明ノート」、サッカーの元日本代表・中村俊輔選手の「サッカーノート」、卓球の伊藤美誠選手がコーチと書いた「師弟ノート」など、一流アスリートが書いたノートやメモには、練習内容だけではなく、自分を見つめ、今足りないもの、目標を達成するために必要な課題、やるべきことが詳細に綴(つづ)られている。

大谷翔平選手の花巻東高校野球部時代に書いたマンダラチャートといわれる「目標達成シート」には、野球に関することだけでなく、「人間性」や「運」を書き入れているところにスケールの大きさがうかがえる。

出所:「プレジデントFamily2022年夏号」の一部
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再び諭す、なんで、ほんま

2022年05月26日 | 運営
本日のゼミの時間、研究発表のテーマを模索する3年生にいつもの考えを諭しました。研究発表で大事なことは、「なんで(なぜ)?」「ほんま(本当)?」を追究すること。

ゼミ生たちがテーマを具体化できない理由の一つは、基礎的な知識がないことです。したがって、自分が知りたいことをぼんやり掲げてテーマとします。知識のない学生のそのぼんやりテーマは、たいてい、少数の文献を読めば解決するようなものです。簡単に解決するようなものは研究テーマとは言えません。

もう一つ理由を指摘すると、「なんで?」、「ほんま?」をしつこく追究しないことです。

ゼミ3年生発表チームの一つが、「ローソンがなぜ業界3位の位置にいるのか」をテーマとしています。そして、その要因として傘下のナチュラルローソンやローソンストア100が低迷していることを挙げ、いくつかのメディア情報を引用して、その原因を本日紹介していました。そのうちの一つに、ストア100は、普通のコンビニにおいても生鮮を扱う店が増え、ストア100の生鮮品販売がそれほど魅力的とは言えなくなっているというものがありました。

この先、このテーマを具体化させようというのであれば、以上の指摘に対して、「なんで」、「ほんま」を繰り返し問いかけなければなりません。例えば、普通のコンビニにおいても生鮮を扱う店が増え、ストア100の生鮮品販売がそれほど魅力的とは言えなくなっているという指摘に対して、セブンイレブンやファミリーマートなどにおいて生鮮品の扱い店が本当に増加しているのか調査し、データを提示する必要があります。そのうえで、消費者の利用動向を調査し、ストア100と生鮮品扱いセブンイレブンとが競合しているのかどうか検討する必要があります。そして、その競合の結果、ストア100の顧客が奪われたことを示すデータを提示する必要があります。まさに「ほんま?」の追究です。品揃えや価格の違いから実は競合していない可能性もあるのです。

他のコンビニ・チェーンの生鮮品扱い増加によって、ストア100の顧客が奪われたことが事実だとすれば、つぎには「なんで?」を発してほしい。ストア100の品揃えが貧弱だから奪われたのか、品質が劣悪だからか、価格競争力がないのか、店舗立地に難があるのか、顧客が奪われた原因を突きとめなければなりません。仮に、品揃えの貧弱さが原因ならば、さらに「なんで?」を発しなければなりません。生鮮品そのものが豊富でないのか、生鮮品と関連する食品が少ないのか、生鮮品とは関連のない非食品が少ないのか、品揃えが貧弱であるという意味を消費者の利用動向や意識を調査してあぶりださなくてはなりません。品揃えの貧弱さは顧客がそれをどのように捉えるのかによって意味は変わります。

「なんで?」「ほんま?」をそれぞれ最低3度は問いかけていけば、研究テーマは深堀りでき、具体化していきます。これは思考の訓練になります。社会事象を表面的な理解で終わらせない、メディア情報をうのみにしないための訓練です。これこそが大学教育を受ける意義です。そして大学のゼミで大事にしなければいけない事柄です。

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新年度に先立ち

2022年03月24日 | 運営
年度末の今、もう新年度が実質的に始まっています。うちの大学では学位授与式(卒業式)が終われば、その翌日から次年度体制に移行します。在学生のオリエンテーション、健康診断、履修登録等がどんどん進行しています。

自分は授業準備を行う傍ら、次年度学部運営の計画を立てています。近年は文科省などの上位機関からの「上から降りてきた大学改革」対応のため、自分たちの意思で学部改革を進めることが少なくなりました。もはや大学行政は社会主義化しています。しかし、それでは学部の独自性は出せないため、自分たちの意思でカリキュラムや教育方法を見直企図す必要があります。2024年度のカリキュラム変更を企図していて、そのため、2022年度に本格的な改革の議論を行う予定です。そしてその結果を受けて2023年度にカリキュラム表の改訂作業を行う予定です。

さて、先日の卒業式終了後、ゼミの卒業生からプレゼントをいただきました。立派なカードケースです。もったいなくて使えないなと思いつつ、それでは申し訳ないので、名刺を入れてみました。愛知学院大学の文字が映えます。ありがたく使わせていただきます。

卒業生は4月からの新生活において、緊張のため、しばらくはへとへとの毎日だと思います。とにかく健康を心掛けて活躍してください。
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卒業にあたって

2022年03月16日 | 運営
毎年恒例卒業生に贈る言葉。今年は以下の言葉を卒業生に贈ります。

「穴を深く掘るには幅がいる。」
専門家が深く進むのは当然だが、狭くなるとは不可解だ。ほんとうに深まるためには、隣接の領域に立ち入りながら、だんだん幅を広げてゆかなければならない。深さに比例して幅が必要になる。つまり真の専門化とは深く広くすることだ。そうして、この深く広くの極限が総合化になるのだ(土光敏夫『新訂経営の行動指針』産能大学出版部、1996年、128-129ページ)。

土光敏夫さんの名言です。土光さんのことを知る今年度の卒業生はほとんどいないでしょう。しかし、私の世代やその上の世代の方々には大変著名な経済人です。石川島重工業(石川島播磨重工業)社長、東芝社長・会長を歴任し、これらの会社を再建したことで有名です。さらに経団連会長を務めたのちに、1980年代第二次臨時行政調査会長に就任し、政府のご意見番として、財政再建や三公社(国鉄、電電公社、専売公社)の民営化の推進役として活躍しました。JR、NTT、JTはこの三公社の民営化から生まれました。

土光さんは質素倹約を心がけ、華美な生活を避けたことから庶民派の財界リーダーとして人気がありました。大企業のトップにもかかわらず、バス・電車通勤をしていました。また、めざしの土光さんと呼ばれました(夕食にめざしを好んで食べたことから)。土光さんは仕事のあり方について様々な名言を残しています。そのうちの一つが上記の言葉です。

卒業生の皆さんは将来的に何らかの専門家になることを求められます。「この問題だったら、彼に相談すれば解決策が授けられる」「この分野は彼女より詳しい人は周りにいない」。このような評価を得られるようになれば、社会で必要な人材として重宝され、生き残っていけます。

是非専門家になれるように日々努力を重ねてほしいと思います。ただし、その際に留意してほしいのは、狭い領域で経験を積み、知識を蓄積すれば、ひとかどの専門家になれるのかといえば、そうではないということです。併せて、広く様々な分野で経験を積み、知識を得る必要があるのです。

幅広い経験や知識によって、多面的に問題に対する解決策を検討することができるようになります。通常、ある問題の答えを出すための解決策は複数存在します。また解決策は異分野からももたらされます。様々な解決策を客観的に評価してどれが良い解決策となる得るのか検討することが専門家には求められます。しかし、狭い領域の少数の解決策しか知らなければ、それが本当に妥当な解決策なのかどうなのか検討することさえできずに解決を図ることになります。非効率な解決策を採用し続けるかもしれません。公平で客観的な判断のできない専門家は、本当の専門家ではありません。

卒業生の皆さん。様々な知識を得て、多様なものの見方をできるように、様々な経験と勉強を重ねてください。人生に無駄はありません。一見無駄なことも多様なものの見方を獲得するチャンスになります。

最後にもう一つ土光さんの名言を紹介。「自分を他者と比べるな。比較は自分自身とだけやればよい」(前掲書、190ページ)。追い求めてほしいのは自己の成長であり、自己の目標の達成です。
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評価

2022年02月03日 | 運営
授業と定期試験が終了し、現在大学では成績評価期間に入っています。私の場合、ほとんどの科目の成績評価は終了しましたが、演習(ゼミ)については、まだ今日の段階では終えていません。ゼミの2,3,4年生にはビジカンと呼ばれる学内研究発表会に参加してもらうのですが、それをどのように評価すべきか悩んでいます。

今回は前回に引き続いて、パワーポイントに動画を入力し、それをMP4フォーマットに変換してYOUTUBEにアップすることで発表会エントリーになります。その動画のURLを参加学生に配信してお互いに動画を閲覧して、評価してもらいます。その評価得点を確認して、つぎに我々教員が動画を確認して最終審査します。そして、優秀賞等を決定します。

以前はポスター発表を行ってもらったのですが、多額のコストがかかる上に、発表のレベルが低く、しかも学生の相互評価にでたらめさが見受けられました。新型コロナ感染症まん延下、遠隔での発表会を低コストで実施するため、以上のような動画方式に移行しました。

ゼミ生の動画はすべてチェックしました。それぞれに対する私なりの評価は既にしています。今悩んでいるのは、学生の相互評価、その後の教員による審査結果を成績に反映させられないからです。ビジカンの評価が出揃うのは、成績登録の後になるのです。せっかくのゼミ外での評価を参照できないが残念なのです。

4年生の演習と卒論の単位・成績は別建てになっています。卒論については、担当教員(主査)の評価に、副査の評価を加味して成績登録することになっています。私は主査評価について、ゼミ生の評価を参考にすることにしています。3,4年生に卒論を閲覧してもらい、得点評価してもらいました。さらに印象に残る卒論という一文を書いてもらいました。これを参考にします。個々の評価にはおかしなものが存在しています。ただ、すべて合算して最優秀に該当するものに対しては、私の評価と一致しています。

ゼミ生には評価されることと評価することを通して、評価する目を養ってもらいたいと思っています。その目が自分自身に向けば、自らを自然と改善する姿勢が身につくと信じているからです。
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活動の継続の難しさ

2021年11月26日 | 運営
大学はコロナ禍で、昨春からサークル活動を制限。1年半以上と制限が長期化するなか、サークルの存続を危ぶむ声が上がり始めている。大学サークルは、マイナーなスポーツや文化活動のファン層の確立にも貢献してきており、その影響は学内にとどまらない。

ステージの熱気に、模擬店のにぎわい、室内イベントの白熱──秋の風物詩ともいえる大学の学園祭。だが、昨年に続き今年も多くがオンラインでの開催となった。こうしたなか私立大学2年の女子学生(20)の胸には不安が渦巻く。女性の通う大学も学園祭はオンラインになり、所属するダンスサークルは参加しないことになった。オンラインでは音楽や振り付けの著作権の制約により、希望するダンスが踊れないからだ。また、声援や拍手を受けながら、観客と共に空間を作り上げるライブと、オンラインは別ものでもある。

例年、3年生は学園祭での発表を区切りに引退し、2年生が運営を引き継ぐ。その方針は今年も変わらない。女性は言う。「私たち2年生は、1年生の前期はキャンパスに全く入れず、サークルの勧誘も禁じられていました。後期になって解禁され入部しましたが、1年生の間は一度も練習がありませんでした。初めて練習に参加したのは2年生の5月です。今年の1年生に『ここって、どんな感じのサークルなんですか?』と聞かれても『私たちにもわかりません』と答えるしかありませんでした」

朝日新聞と河合塾が、今年6~8月に共同で調査した「ひらく 日本の大学」で、大学の学長が選んだ「大きな課題」のトップは「課外活動の実施」(73%)だ。どう実現するか。大学だけでなく、行政や社会全体で考えていく必要がある。待った無しの分岐点に、いま差し掛かっている。(編集部・石田かおる)※AERA 2021年11月8日号

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上記のアエラの記事は、大学の課外活動について問題にしています。私もいくつかのクラブ・サークルの顧問をしているので、理解しています。本学でも、新入生の勧誘ができなくて、部員が獲得できないクラブがいくつも存在しています。また、部員は獲得できたものの、活動が活発に行えず、活動に必要なノウハウが上級生から下級生に移転できない例も多くあるようです。

同様の問題がゼミの活動にも生じています。もちろん、ゼミは正規の授業なので、対面授業ができない状況でも学生の各ゼミへの配属を学部で決定します。しかし、うちのゼミでは、対面授業が滞り、授業外の活動も盛んに行うことができなくなって、上級生と下級生との交流がほとんどなくなりました。学年入り乱れて同じ空間で時間を共有することがありません。そのため、研究発表について、上級生が下級生の指導を行うことがこの2年間非常に少なくなりました。研究発表には学生なりのノウハウが存在しています。それを上級生から下級生に移転させることができないでいます。うちのゼミ生は、2,3年次研究発表で失敗を例年重ねます。その失敗を糧に4年次の卒論で挽回をもくろむゼミ生が例年存在していました。そういう4年生が自分の失敗を下級生に語ることで、下級生のテーマ探しや調査の迷いを軽減していました。しかし、今年度はそういう姿がありません。そもそも4年ゼミ生が昨年度研究発表を経験が不足しているので、語るべき言葉を持たないという理由もあります。

したがって、今の3年ゼミ生の研究発表の準備は例年以上に遅れています。一次データの調査は言うに及ばす、文献調査すらも不十分です。教員の私が読むべき文献や行うべき調査を指示しても、今一つきちんとやっていきません。それを教員の「授業中の勉強課題の提示」だと受け取って、自分たちに必要な事柄だと得心していないからでしょう。これが上級生の体験からくるアドバイスならば、自分たちに学生にとって本当に必要な事柄であると信じることができたのではないでしょうか。

同じ空間で過ごすということは人的交流にとってやはり重要なのだと感じる日々です。
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テーマ再考

2021年10月08日 | 運営
現在ゼミの3年生,4年生にとって,研究発表と卒論のために最高度に努力しなければならない時期に入っています。ゼミ生たちはあいかわらず(例年通り)テーマが決まらないと嘆いています。どのゼミ生もテーマがあいまい(ぼんやりして)で大きすぎて,根拠のある独自の主張ができない様子です。根拠のある独自の主張を行うには,扱っている社会現象を限定し,研究目的を具体的にしなければなりません。つまりテーマを絞る必要があります。

テーマを絞るためには,何より対象としている社会現象に関連した知識をたくさんインプットしなければなりません。その知識には関連する理論も含まれます。しかし,ゼミ生たちを見ていると,社会現象に関する知識が不十分なうえに,理論をまるっきり参照していません。理論は社会現象を整理する思考の枠組みになります。したがって理論を学んで思考の土台としていないと,社会現象を整理することができず,ただ社会現象を羅列して終わりになります。残念ながら,今のうちのゼミ生の多くはこの段階にとどまっています。

テーマを絞るための思考法の一つを伝えます。社会現象を捉える際に,まずプロセスと条件を見出す努力をするのです。3年生の発表チームの一つが,インフルエンサー・マーケティングを社会現象として捉え,インフルエンサーの情報発信によって消費者を電子商取引サイトに誘導し,そこで消費者に商品購入を促すようなマーケティング戦略を立案するというテーマを述べました。

例としてこれを取り上げて,プロセスを考えてみると,インフルエンサーはそもそも誰か,それが商品情報の発信をするまでの段階はどのようになっているかを捉えることに加え,消費者がその情報を受信し,それをネット上で再投稿する,あるいはそれに反応して電子商取引サイトにたどり着くまでの心理的・行動的段階を捉えることになります。それらの段階は人によってまちまちで,その心理は複雑ですが,「見える化」を図り,一般的で単純な段階に整理する必要があります。

つぎに条件を考えてみると,インフルエンサーが発信しやすい商品情報は何か,消費者に受信されやすい情報にはどんなものがあるのか,どのようなタイプの消費者が受信度が高いのか,電子商取引サイトに誘導されやすい商品情報は何か,どのようなタイプの消費者が電子商取引サイトに誘導されやすいのかなどを捉えることになります。What,Where,Who,When,Howという項目で条件を考えてみるとよいでしょう。

プロセスと条件がある程度捉えられたら,つぎに要因を捉える努力をします。「なぜ (Why)」そのようなプロセスになっているのか,なぜこの条件の時には誘導が起きるのかなどを追究するのです。ここまでくると研究発表にふさわしくテーマは絞り込まれます。

3,4年生は結論を出すまであと2か月しか猶予がありません。私には全く時間が足りないようにみえます。しかし,ゼミ生たちはなんだか危機感なく悠長です。10月21日に商学部の学内研究発表会の中間発表会が小規模で行われます。まず,ゼミ生には,そこまでにプロセスと条件を整理し,そのうえで,自分たちはどの部分を考察対象とするのか決めてほしいと思います。
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ほんま?なんで?意味ある?

2021年04月24日 | 運営
先日ゼミの時間、複数のゼミ3年生グループが研究発表のためのテーマを披露しました。漠然としたものばかりです。その中の一つに、「近年生鮮食料品の価格変動が大きくなってきているので、それを平準化するためのマーケティング上の方策を考察する」というものがありました。

それに対して4年生が「本当に価格変動が大きいのかデータを示してほしい」と指摘しました。さらに「どうなれば変動が大きいといえるのか」と変動を規定する基準や要因を求めました。

その後、私は研究発表で常に念頭に置かなければならない言葉として、「ほんま?(本当?)」「なんで?(なぜ?)」を諭しました。多くの学生たちは、本、雑誌、インターネットに書かれた意見をうのみにして、そのまま自らの研究発表やレポートに盛り込みます。また、特定の現象を改善するための戦略を自ら導くと表明しながら、その現象がなぜ生じたのか自分なりに原因を捉えようとしません。

自分が参考にした意見や自らの主張について本当にそう言えるのか、根拠はきちんとそろっているのか、「ほんま?」と発して、深く考えなければ説得力のある説明にはなりません。「なんで?」と発して、取り上げた現象の原因やメカニズムをとらえなければその改善や戦略提案の糸口を得ることはできません。そうでなければ、ただの思い付きを表明するにとどまります。

4年生はそもそも価格変動は悪いことなのかと指摘しました。価格は需要と供給のバランスを図るための重要情報です。価格の変動は需給の調整のためには不可欠であるという考え方が存在します(実際、必修科目の経済学の初歩でゼミ生はそう習っている)。これを踏まえて、3年生が掲げたテーマの研究上の意義を問いかけた訳です。もちろん価格の平準化には意義がありますが、3年生はそれを深く考えてはいませんでした。この研究意義についても、「意味ある?(意義はあるか?)」と発して深く考えてほしいのです。

研究テーマを設定することは、研究発表上最も難しい事柄です。研究テーマが決まれば、研究発表は半分完成したも同然なのです(少なくとも社会科学において)。この先数か月3年生たちは悩み続けるでしょう。徹底して悩み続けてほしい。こちらから助け舟を簡単には出しません。それがゼミ生たちの頭を鍛えることになるからです。
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年度始まり

2021年04月02日 | 運営
4月1日に入学式が挙行されました。そして、2日に新入生オリエンテーションが開催されました。その後いくつかのガイダンスと相談会の後、7日から授業開始になります。

オリエンテーションの冒頭、学部長挨拶として、新入生に対して、大学は教育機関であると同時に研究機関であること、学生も教員の手ほどきを受けながら研究を手掛けることが求められること、研究に触れることが大学で教育を受ける重要な意義であることを説明しました。加えて、大学生は「生徒」ではなく「学生」であることも説明しました。学生は自主的・自律的に学ぶ存在であることを示唆しながら。

ただ教室で座って教員の話を聞いて、ノートをとりそれを覚えるだけでは、大学の学びにはなりません。自分で疑問に思うこと、世の中で十分明らかにされていないことに対して、自分なりの答えを探究する営みがなければ大学の学びにはなりません。その探究こそが学生の頭脳を鍛え、不確実な世の中で自分なりに意思決定する力を身につけることになります。

年度が始動した記念に写真を撮りました。先日卒業生からプレゼントされたネクタイを身につけています。気持ちが引き締まりました。
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卒業にあたって

2021年03月16日 | 運営
Nature gives you the face you have at twenty; it is up to you to merit the face you have at fifty.

これはココ・シャネルの名言といわれているものです。直訳すると、「20歳の時のあなたの顔は自然が与えてくれる。50歳の時のあなたの顔が素晴らしいものになるのはあなた次第だ。」となります。一般的に、20歳の顔は自然の贈り物、50歳の顔はあなたの功績とかっこよく訳されています。

自分が若いころ、40歳(あるいは50歳)を過ぎたら自分の顔に責任を持てとよく諭されました。どのような生き方をしたのかは顔に現れる。だから、良い顔のため、努力を怠らず、社会のため自分のためにきちんと働き、他人に迷惑をかけずに、誠実に生きろという言葉とともにそのように諭されたのでした。先ほどのシャネルの名言も同様の趣旨でとらえることができます。

卒業生には、自分がかつて諭されたように、ある程度年齢を重ねた時に、良い顔になっていることを目標に努力してほしいと思います。したがって、it is up to you to merit the face you have at fiftyを卒業の記念に贈ります。

私は中年といわれる年齢に達しています。自分や先輩方を振りかえると、社会のため自分のために活躍することは表情やしぐさに影響を与えると思います。活躍している人は堂々としたしぐさをして、笑い顔が自然で、卑屈さを見せないと感じます。

良い顔になるかどうかは、社会的な活躍に加え、健康や外見に対する努力も必要であると最近感じています。年齢を重ねるとどうしても健康を維持するのが難しくなります。健康を損ねると、皮膚の状態を悪くするかもしれないし、表情を暗いものにするかもしれません。また、中年期にさしかかると、若い時と比べて、髪型や身なりに無頓着になりがちです。これも表情に影響を与えるでしょう。

卒業生には、社会で活躍することに加えて、いつまでも健康を維持し、おしゃれでいることにも努力して、年齢を重ねてほしいと思います。

卒業生の皆さん。10年後、20年後、皆さんに再会した時、良い顔を見せてください。もちろん、私も良い顔を見せられるように努力します。
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