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アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

EF65P型~山貨時代を想う

2020-01-16 21:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

前回に続いて都心で撮影したものから1枚。

現状では、埼京線とか湘南新宿ラインとでもいう線だろうが、昔は「山手貨物線」と称しており、頻繁に貨物列車が行き交っていた線区だった。当時のアントンKは、走る被写体にカメラを向け、撮影することに快感を覚えて、何でも国鉄車両ならば撮影するスタンスだったように思う。残された画像そのものは、まだ未熟でとてもお見せできるものではないが、個人的にもどこか懐かしく感慨深くなってしまう。

この画像は、EF65500番台がタキ編成をけん引してきたもの。この時点では、東海道線のブルートレインは、EF65PF型に置き換わった直後と思われ、やってきたP型の表情は暗く疲れた雰囲気で、シャッターは切ったもののやるせない気持ちになったことを思い出す。第一線を退き、こうして次の職場で黙々と活躍する65P型を目の当たりに見て、感傷的になったことも事実。この後更新改造され、外観塗装まで変化するとは考えもしなかった時代だった。

1978-09-23    5281ㇾ  EF65536          山手貨物線:駒込-田端


世代交代が進む山手線~103系ウグイス車

2020-01-15 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

春のダイヤ改正を前に、山手線を走るE231系電車が最後の1本となり、離別のヘッドマークを掲げて連日走っているという。いよいよ引退の日が近いという証なのだろうか。

アントンKには、最近の電車はどれも同じに見えてしまい、興味が沸かず馴染まないのが正直な気持ちだが、都心を走り回る代表格としての山手線は、やはり関東の東京の電車の象徴だろう。どこへ出向くのにも関わっていた山手線だが、だからと言って趣味的見地からしても対象外となってしまう。このE231系電車も、山手線を去った後は、また何処かの線区で第二の人生を歩む訳で、いまはそのはざ間に当たり、この繰り返しを何度も見てきた。

昔の電車は、目を閉じていても、その音や揺れ、匂いでどんな電車かが解ったもの。国鉄型にしろ、私鉄電車にしろ、それは同じでどれも個性があり、乗車する一瞬にも常にドラマがあったのだ。それを思うと今の電車は・・・

今回は、山手線の話題に合わせて国鉄時代の、それもアントンKとしては駆け出しの時代のものから掲載しておく。当時、友人と101系と103系はどちらが優秀か?などと激論を交わし、刺激し合った時代のものだ。五反田駅からホームを出ていく103系電車を狙ったものだが、ちょうど内回り電車の接近が判り、ファインダーを振り欲張って両方の列車を写した時のもの。おかげで前面ガラスに架線柱の映り込みが出てしまった失敗作。もちろん当時は、現像するまでは解らず、上がってからがく然とした思い出深い写真なのだ。瞬時の判断だから、これ以上は当時のアントンKには望めるわけなく、こうして40年以上の時間が経って姿を現した画像なのである。

1978-08-05    山手線103系電車   五反田駅にて


渋川の昼下がり~古武士の横顔

2020-01-14 20:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

カメラ片手にローカル電車に乗り、よく訪れた群馬県渋川。ここは、吾妻線と上越線との分岐駅でもある。思い返してみると、当時は季節特急で157系の「白根」や、181系「とき」、そして吾妻線に入るEF12の貨物列車が気になり、よく出向いていた。何がどう気になっていたのか、今考えても定かではない。多分電車に揺られ、ホームにたたずみ、一時の日常からの離脱感を楽しんでいたのかもしれない。時間に追われることなく、その場の情景を素直に楽しめた時間は宝物だった。

平日の昼下がり、上越国境を越えてきたEF15の貨物は、ここでしばし休息する。この日は谷川も天気は落ち着いていたのだろう、どこか安堵の表情が読み取れる。奥にいる先輩格のEF12は、吾妻線に向かうはずだが、この日はウヤだった様子。早春の柔らかい日を受けて、ゆっくりとした時間が流れていた。こんな光景がたまらなく好きだった。

1978-03-15     6782ㇾ  EF1576/EF12 5         上越線:渋川にて


国鉄時代の大移動~ダイヤ改正を前に

2020-01-13 08:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

毎年行われる春のダイヤ改正。正月気分が抜ける頃、あっという間にその時が近づいてくる。今年は、3月14日土曜日のようだが、その日に向けて水面下で動きがあるようだ。個人的には、やはりJR貨物機の運用変化が気にかかるところだが、毎回それをツマミに仲間内とあれこれ語ることが結構楽しい出来事になる。所詮趣味的見地の根拠もない中身だが、それぞれがそんな場面で交わす瞬間が毎年楽しみになる。これから改正日が近づくにつれ、その瞬間が増えてくるだろう。

国鉄時代には、ダイヤ改正を控えて、大きな車両に移動が行われていた記憶が残っている。改正ごとではなかったはずだが、今考えても全国的な大きなダイヤ改正では、縦横無尽に車輛移動いわゆる回送列車が走った。もちろん客車、気動車、電車など多種に渡り定期列車に混じって走っており、当時の団体列車とは、また一味違った記録になっていたと思う。掲載写真は、そんな大きなダイヤ改正で走った、寝台客車の移動回送。14系寝台のように見えるが、どこからどこへ移動したのか、詳細等は残ってはいない。記録としては不十分な結果となり何とも歯痒い。

夕方の東海道線を上り品川(おそらく)を目指す14系寝台。宮原区の綺麗なEF58がやってきて、嬉しくなった思い出が蘇ってくる。当時は、前面に光が入らず不満だったはずだが、今では西日が美しくこんな駄作でも気に入っている。

1978-10-02  回8102ㇾ  EF58100     14系寝台   東海道本線:保土ヶ谷付近


御殿場線を走破したロマンスカー~OER20000系

2020-01-10 21:00:00 | 鉄道写真(EC)

富士山つながりでもう1枚掲載しておく。

富士山絡みの鉄道写真は、まずは竹倉と紹介したが、それは東海道線の場合。路線を変えれば、まだまだ撮影地は見つかるはずだ。ここで掲載する御殿場線などは、最も富士山に近いところに線路が敷いてあるから、狙いやすい路線だろう。身延線や中央東線でも思いのほか大きく富士山が入るし、これについてはまだ未開の地が多く残っているといって良い。逆に言えば、やはり富士は日本一の山。群を抜いて大きく美しく神々しいことが理解できる。

現在、御殿場線に走っている特急「ふじさん」は、小田急線新宿より直通で御殿場線に入線し、御殿場まで定期で走っているが、その前身の特急が、ここで掲載する特急「あさぎり」だった。アントンKは、以前にも書いてきたが、小田急のSE車に思い入れがあったため、晩年運用に就いていた特急「あさぎり」をよく狙いに行った。もちろん富士山バックをメインとした撮影は、心躍る瞬間だったことに違いない。そしてそのSE車(3000形)が引退すると、ここで掲載する新型20000系が走り出したのだ。それと同時にJR東海でも371系という「あさぎり」用の新型電車も登場し、今思い出しても華やかな時代だった。御殿場止まりが多かった列車の中で、1往復だけ沼津まで完走する「あさぎり」があったはず。今回は、その列車を狙った時のもの。春分も過ぎて、かなり暖かな日和にも関わらず、雲一つない好天に恵まれ、富士も終日姿を出していたと記憶している。この小田急20000系、そしてJR371系、いずれもすでに引退してしまった。

1992-03-31   1M あさぎり   JR東海/御殿場線:岩波付近