アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

今を生きる蒸機たち~C62 3

2018-01-14 22:00:00 | 鉄道写真(SL)

現役蒸機を知らないアントンKゆえ、現在は無くなってしまったC62も「今を生きる蒸機たち」と同じタイトルを掲げておきたい。

国鉄が分割民営化された1987年、その翌年88年から北海道函館本線、それも山線と呼ばれる小樽-倶知安(後にニセコまで延長運転)間に蒸機が復活を遂げた。言わずと知れたC623号機「SLニセコ」のことだ。

この1988年という年は、関東でも(JR東日本)D51が復活し、その最初の運転は、上野駅から大宮駅までEF5861と重連でオリエントEXPけん引であったことは、今でも語り継がれている有名な話である。身近で色々な(今でいうところの)ネタ物が横行して、この88年には渡道出来ず仕舞い、C62参戦は翌89年からとなった。以降運転終了の93年まで毎年渡道し、山線通いの機会を持つことができたが、今こうして振り返ってみても、残念ながらなかなか満足のいく写真は残せていない。諸先輩方の素晴らしい作品を後に目のあたりにしても、後の祭りなのである。

まあそんな悔いの残るC62撮影であったが、およそ25年前の事を思い出してみても、やはり数ある復活蒸機の中でも、圧倒的に素晴らしい蒸機だったと改めて思い返している。それはロケーションの素晴らしさもあるのだが、何と言ってもあの迫力は、思い出しても身震いしてしまうほど。当時同行した先輩が「五感がシビレル~」とC62を見て絶叫していたが、それもうなづけるのだ。当時のアントンKは、ファインダーの中で迫りくるC62の迫力に負けないように特に気合いを入れて立ち向かったもの。現在現役である同じハドソン機のC61とは、やはりかなり異なった印象なのだ。

今回は、SLニセコ運転の最後の年となってしまった1993年の思い出のシーンを掲載しておく。雨の倶知安峠を上るC623なのだが、この時は天候が悪くかなりの遅延でC623は運転されていた。数十分の遅れで小沢駅を出たC62だったが、遠くドラフト音が聞こえるものの、なかなか近づいて来ない。山影からモクモクと煙が見えてきたと思いきや、ドラフトが不安定になり、突然音が消えてしまう。完全にC62は雨で空転して登れなかったのだ。機関士が線路に砂を巻きながら前進を試みるが、それでも登り切れず、とうとう小沢方面に逆戻り、新たに再チャレンジが開始されたのだ。今度は超低速だったが、何とか止まらずに我々の前をゆっくり通過して行き、サミットのトンネルに吸い込まれていった。この間、時間にしてどのくらいだったろう。20~30分くらいだったかもしれない。そんなシーンが今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。写真は、超低速で喘ぎながら峠を攻めているC623「SLニセコ」。ずぶ濡れになりながら、我を忘れて撮影した思い出深い写真。

1993-10-10   9262ㇾ C623  SLニセコ    函館本線:小沢-倶知安にて