風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

青春の殺人者、太陽を盗む/「理由なき」長谷川和彦(2)

2007-10-13 00:43:03 | コラムなこむら返し
Taiyo_hasegawa (承前)
 長谷川和彦監督はその才能と将来を嘱望されながら、なぜか劇映画としてはこの2本しかとっていない。そして、その割には名声ばかりが鳴り響いている。そして、その作品は今日の視点でみるせいばかりとはいえないと思うが、たいした作品ではない。むしろ失敗作ではないかと思われる。しかし、当時は絶大なまでに評価された。

 『青春の殺人者』の原作、中上健次の『蛇淫』は、70年代の中頃に実際に起った事件を取材し、作品にしたものである。中上流ののたくるような怒りの文体に満ちているが、映画ではそんなものは感じられない。
 このふたつの長谷川和彦監督作品には共通点がある。それは、ともに事件にいたるのに「理由がない」という点である。『青春の殺人者』の主人公(順というのだが、劇中原田美枝子の声で、この音としてはボクの名前と同じ「じゅん」が連呼されるのはたまらなかった(笑))は、義父と実母を殺すのだが、その動機はあやふやでほとんど動機らしい動機はない。

 『太陽を盗んだ男』の理科の教諭(沢田研二)も、手製の原子爆弾を製造してそれでなにをやりたいのかの、動機が不十分だ。いや、原爆を作ったはいいが、それで何を警察に、国家に要求するのか分からない主人公は、池上のやっている公開ラジオ放送にアクセスし、視聴者から何をしたいのかリクエストをつのることで、溜飲を下げる。おそらく、落合恵子(愛称レモンちゃん)をモデルにしたのだろう池上季実子は、そんな犯人に多大な興味をいだき、あげくカーチェイスを実況中継し、捜査を指揮する執念の刑事菅原文太の銃弾で横転した車の中で死んでゆく。

 「理由(動機)なき」犯罪もしくは暴力や破壊は青春の特権だった。少なくとも60年代の半ばくらいまでは……。しかし、それはいわばアプリゲールの特徴とでもいうべきもので、戦後派は享楽的で、無節操そして内的な必然性をもたなかった。若者文化(ユースカルチャー)の先行形態は、このようなアプリゲールにある。
 しかし、長谷川監督の世代は違う。それは、とまどいの世代だ。秩序は回復し、システムは打ち固められ、世界のほころびは縫い合わされてしまった。鞏固な世界の現実に目的と動機を喪失した世代なのである。
 遅れてきた世代として、「あらかじめ失われた世代」なのである。何をやっても模倣と言われる。いっそ開き直ってシラケてやれ。はじめから喪失しているのなら、あとから「理由」や「動機」は探せばいいじゃないかと開き直るのである。

 それにしても、スクリーンで見れて良かった。評価点は辛いですが………(笑)。




青春の殺人者、太陽を盗む/「理由なき」長谷川和彦(1)

2007-10-12 02:28:34 | コラムなこむら返し
Killer_of_blue どうやら上映期間は12日の本日までらしいが、高田馬場「早稲田松竹」という小さな映画館で、長谷川和彦監督特集をしている。上映作品は監督のメジャー・デビュー作品である『青春の殺人者』(1976年ATG作品)と『太陽を盗んだ男』(1979年)である。

 『青春の殺人者』は原作が中上健次の『蛇淫』である。長回しの演劇的な作風であるが(ややセリフ劇に陥いっている)、キネマ旬報の76年のベストワンに輝いている。
 この作品は女優原田美枝子のデビュー作であり、若々しい(当時16歳くらいではなかったか?)鮮烈なヌードが印象に残る作品だが、中上作品としては消化不良の印象もぬぐえない(原田の相手役で主演は水谷豊)。親殺しの「神話性」が、どこか捨象されてしまっている。母親役のベテラン市原悦子の名演技が支えた映画である。
(作品評価:★★1/2)

 もう1本の『太陽を盗んだ男』は、ジュリーこと沢田研二の主演で、菅原文太とがっぷり四つに組んだ作品だ。だが、プルトニウム精製の過程がそれなりにリアルで、そのあたりはなかなか面白かった。とはいえ、アパートの一室でプルトニムが抽出できるか、というにわかに信じがたい話ではある。人気女性ディスクジョッキー役で池上季実子がからむ。しかし、池上の声はかん高くてすこしうるさい。
 原子爆弾を製造して、それをネタに流れたローリング・ストーズ武道館公演を要求するくだりなど、なかなか面白い。沢田扮する中学の理科教師は、理科オタクであるが、原爆を作ることを思いついてから、周到な計画を錬る(と言っても、原発内への侵入はあまりにも容易すぎる)。とはいえ、その原爆で何を要求するかと言うモチベーションがはじめから欠落している。原爆は沢田のもとに奪還され、新宿の繁華街で沢田がぶらさげたボールバッグの中で、時限装置がタイムアウトして地上で太陽に変わってしまうのである。
 なんとも恐い内容であるにも関わらず、見終わったあとに何も残らないエンターティメントだった。
(作品評価:★★)

(つづく)



赤いキリスト/ふたたび!

2007-10-11 00:01:04 | コラムなこむら返し
Che_guevara_7 昨日、どういう訳かT駅そばにある例の新古書店のチェーン店のひとつで「赤いキリスト」に遭遇してしまった。しばらくチェ(ゲバラ)のことは書くことがないだろうと思っていた矢先だったので、数日前に金木犀の香りに不意打ちされた時よりも驚いてしまった。
 「赤いキリスト」は、今月一杯でバイトが切られてしまうボクの少しばかりの不安感を見透かすかのように、さりげなく本箱にならび、そしてその判型の大きさから真っ赤な背をはみださせて目立っていた。
 言うまでもなくボクはそれを求めた。定価の半分、美本だった。
 『フォト・ドキュメント/ゲバラ/赤いキリスト伝説』というのが、その本の書名で、著者アラン・アマーはフランス人で1954年生れのジャーナリストである(原書房2004年刊)。
 その本の冒頭は、ボクが一昨日書いた10月9日のゲバラ処刑のシーンから始まっている(読むとボクの方が、詳細な表現をしていることが分かった)。これから、ふたたびチェの生涯を振りかえる気分にはなれないので、おそらく「資料」としてこのまま仕舞われてしまうと思うが、ほとんどが写真なので(フォト・ドキュメントなのである)パラパラと見る。すると最後のページに面白いことが書いてあった。

 ゲバラはその処刑され終焉の地となったイゲラ村で「イゲラの聖エルネスト」という聖人になったというのだ。それからチェの処刑にかかわった人物は、次々と不慮の死をとげているという。そう言えば、一昨日の記事の中で引用した戸井十月氏の記事にも、また9日付けの朝日新聞の記事中にも写真が載っているが、イゲラ村に建立されているチェ(ゲバラ)の大きな胸像と、その隣の十字架はメモリアルというよりは、たしかに聖人の霊びょうのようでもある。
 チェに関しても、ボクが知らないことはまだまだあるな、と思った次第である。

<インフォメーション>(但し、東京都内)
 先日の「ゲバラ没40周年追悼集会」で、今後まだつづくゲバラ追悼会のインフォを手に入れた。ここに列記しておく。興味のわいた方はどうぞ(ボクの覚え書きでもあります)!
 ●「ゲバラが夢みたもの 私たちが夢みるもの」10月9日~28日入城無料/TOKYO HIPSTERS CLUB2F
  27日にポエトリー・リィディング「境域からの声」/協力「現代詩手帖」思潮社(このイベントのみ予約が必要)
 ●上映会『チェ・ゲバラ 遥かな旅』10月14日14:00~ 目黒区中央町社会教育館(さくらプラザ内)第5集会室/主催:キューバ連帯の会(会場は「目黒精神保健を考える会」名義で借りている)
 ●公開シンポジウム/「「存在する不在」=チェの今日的意味を探る」10月27日(土)14:50~18:00
  立教大学池袋キャンパス7号館7101教室/無料・予約不要
 ●余談。千駄ヶ谷の明治公園の傍にゲバラの写真を掲げたポエトリー・カフェがあるのですが、この時期特別な催しものがあるのか聞き忘れています。どなたか御存知ありませんか?



チェ・ゲバラの最期の日々/1967年10月9日

2007-10-09 23:58:57 | コラムなこむら返し
Che_guevara_5 チェの命日である10月9日。40年前、前年の1966年末からボリビアに潜入し、あらたなゲリラ戦争を展開していたチェ・ゲバラは前日に標高2.000メートル地点で掃討作戦を展開していたボリビア政府特殊部隊(アメリカCIAが、後押しをしその訓練をうけていた)に遭遇、翌日の9日に引き立てられて行ったイゲラ村で処刑され、その短いが英雄的な39歳の生涯を閉じる。

 「われわれ17名は欠けた月を仰ぎながら出発。行軍は苦しく、谷にはたくさん足跡が残ってしまった。近くに人家は見当たらなかったが、谷川から水をひいて灌漑したジャガイモ畑がある。2時に休憩。これ以上進もうとしても無駄だ。チノは夜間行軍の際はまったく厄介物だ。/政府は包囲したゲリラ隊37名の脱出を阻止するため、セラノに250人の兵力を配置したと、おかしな情報を流している。われわれがアセロ川とオロ川の間にひそんでいるというのだ。このニュースには陽動作戦の臭味がある。/標高2.000メートル。」(チェ・ゲバラ『ゲバラ日記』10月7日付けの最後の記述)

 「ゲバラ日記」にはラジオニュースの話がたくさん出てくる。ゲリラ隊は無線機の他、トランジスターラジオを携帯し、それからキューバをはじめとする国際ニュースから、政府軍の動きなどの情報を得ていた。おそらく、短波放送も受信できる小型ラジオだった。だから、それはゲリラを撹乱するワナともなったようだ。病をかかえて敗走していたチェたち一行は、数人の小隊に別れて包囲網の突破をはかった。負傷した仲間を気づかいながら足下の悪い山道を昇り切ったところで、政府軍兵士に遭遇する。銃撃戦が始まった。仲間は殺され、チェも傷つきながらこの英雄的なコマンドはこうして敵の手に落ちた。チェは麓の村イゲラ村へ送られ、小学校の教室に投げ込まれた。

 小学校の女性教師当時19歳のフリア・コルテスさんが9日の朝、チェにスープを運ぶ役をあたえられた。チェはその温かいスープが「おいしい」と、フリアに礼を言い、こんな食事をするのは久しぶりだと言ったのだと言う。フリアはその臭い山賊のような姿の男がチェ・ゲバラだとは当時知らなかったと言う。ただ瞳の美しい男だと、忘れがたい印象を残したと語ったと言う(05年10月31日朝日新聞夕刊掲載/戸井十月「ゲバラは眠れない」の記述より)。

 早朝、地区司令官とCIAのロドリゲスが、ゲバラ捕獲の知らせを聞いてヘリコプターで飛んできた。ロドリゲスは教室に入るなり、その饐えた悪臭に思わず鼻をつまんだ。その悪臭を放つ男が、ラテンアメリカ中の抑圧される人民から救世主(「赤いキリスト」とチェは呼ばれた)のように、あがめられているチェ・ゲバラそのひととはにわかに信じがたかった。

 ロドリゲスはキューバ生れのアメリカ人で、カストロ、チェらのキューバ革命によってその自らの故郷を奪われた男だった。チェの処刑は将軍命令として実行された。戦闘中の死と見せかけて処刑せよと。

 9日正午、銃を構えはしたが、怖じ気づくボリビア兵士にチェは最後のことばを叫んだ。

 「ここにいるのは英雄ではない。ただのひとりの男だ。撃て! 腰抜けめ!」

 兵士たちは地区司令官の命令通り、急所をはずして下半身を狙って撃ったためチェは、断末魔の苦しみに襲われていた。それは、もがき苦しむチェの心臓を酒に酔ったペレス軍曹がとどめを撃つまで続いた。
 チェ・ゲバラはその眼を見開いたまま死んだ。

 40年前の出来事、今日のニュースによればキューバはもちろん、パリでも、ゲバラが処刑されたイゲラ村でも「追悼集会」が開かれたそうだ。もちろん、日本でも……。それは昨日、レポートを書き、紹介した。
 貧富の格差が広がり、ひとにぎりの金持ちと、多数の貧民が生み出されている。プレカリアート(非正規雇用労働者)問題は先進国のあいだにひろがった「第三世界」問題ではないのか?
 いまや、第三世界は他岸の火事ではなく、わたしたちの足下にひろがる問題となったのだ。
 このような時代、「第三世界」そして「ラテン・アメリカ」の解放を見据えて果敢にたたかったチェ・ゲバラのその人間的(ヒューマンと言ってよいだろう)なまでの革命家としての「生き方」が、やっぱりかっこいい!

 この日、悲しみに明け暮れるだけでなく実は同じ10月9日はゲバラ亡きあとの、平和運動家でもあったジョン・レノンが生まれた日でもあったのだ。
 「世界一かっこいい男」として、ゲバラを憧憬したジョンにもまた、この世界の不正や、不公平に立ち上がることの必然をゲバラから学んでいたのではなかったろうか?

 ボクらを憧憬させたふたりの20世紀のスーパー・スターの明暗が、この10月9日という日付けには永遠に刻まれている!



「10・8ゲバラ没40周年記念フォーラム」に参加した

2007-10-08 23:59:39 | コラムなこむら返し
Guevara_day_01 報告が前後して申し訳ないが、8日午後池袋「Ecoとしま」で行われた『10・8ゲバラ没40周年記念フォーラム』に参加してきた。こちらの方の報告を先にアップさせていただく。
 この日は、40年前ゲバラがボリビア山中の高度2,000メートルの高地でボリビア政府軍に捕まった日で、明日9日が処刑された命日になる。
 この日、このフォーラムには最初から参加するつもりだったボクは、5日のイベントでも着用したゲバラTシャツをもちろん、着用していったのだが、ゲバラ・グッズを身に付けて参加したと言う参加者は他に見かけなかった。いかにボクのミーハー度が高いかと言う証拠かもしれないが、その格好に黒のベレー帽、サングラスまでかけて会場内でひとり浮いていた(笑)。でも、その格好でしっかり質問もしてきたので良しとしよう。

 この日の展開は、太田昌国さんの基調講演。「ゲバラと死後経過した40年という時」とでも名付けたい話。太田昌国さんは、自らが主宰する「現代企画室」で数多くのゲバラ関連本(映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」の原作本もここから翻訳出版され、のち角川文庫に入る)や、ラテンアメリカ関連の出版活動をしながら、みずからも執筆されるラテンアメリカのとりわけ革命情報に詳しい方で、ボクは講演を聞くのは2度目。以前は、おそらく10年前のゲバラ没後30周年の時の小さな小さな集会だったと思う(早稲田大学の近くで行われた)。

 もうひとりは富山栄子さん。「キューバから見た中南米情勢」というタイトルだったが、話が全然面白くない。マイクから口をはなして喋るからボソボソ言っているだけで、申し訳ないがまるで面白くもおかしくもない「授業」のような話だった。しかし、キューバが自国の経済的困窮にもかかわらず近隣諸国に無償の「医療援助」をしている事実を知ることができた。それだけではない、あのハリケーン「カテリーナ」が猛威をふるってニューオリンズが壊滅的な被害を受けた時、キューバは敵国アメリカに緊急医療援助を申し出ていたのだそうだ。経済封鎖をキューバに対して行っているアメリカが受け入れるはずもなかったが、このような「事実」は重要である。ましてアフロ・アメリカンが数多く住むアメリカ南部の被害に対するこのような人道主義的な申し出は、ハリケーンの「銀座」であるキューバが、みずからのクレオール性や歴史性によってアフロ・アメリカンのひとびととその共通するハリケーンという自然被害に対して人間的で自然な態度をとったということなのだろう。

 それぞれの話の後に、2~3人の質問の時間が設けられ、ボクは富山さんの講演のあとに質問に立ったが、内容的にお答えいただいたのは太田昌国さんだった。
 ボクの質問はこうだ。
 「富山さんの話にもあったキューバの先進的な医療技術は、その国民、人民に対して教育費とともに無償で提供されることが、保証されている。そのことによって識字率が日本とかわらなくなったキューバのこのような「理想主義」はいったいどこから生まれたのか?」
 富山「それは、むしろわたしより太田さんに答えてもらいましょうか?」
 で、太田さんの答えは、キューバが歴史的にもっていた搾取と、植民地本国(スペインからアメリカに移る)の収奪によるのではないかという話しだったように思う。
 ボクはそのお話に「これはボクひとりの考えに過ぎないかも知れませんが、それはチェ自身の理想だったのでははないでしょうか。もともと「軍医」だったチェは、敵のバティスタ軍の負傷した兵士も手当てをしたりして救護していました。そのような心優しい人間的な行為によって、わずか12名にまでなった革命軍は次第に味方を増やして行ったのではなかったでしょうか? それに、チェ自身、革命後のキューバの大臣職や要職を振りすてて「国境を越える革命」に転戦してゆく時、その有名なカストロへあてた「別れの手紙」に書き記していること。残してゆく妻子には充分なことは国家がしてくれるだろうというくだりにある国家にゆだねれば安心だと言うそのような機関作りだと考えていたことに由来するものではなかったのでしょうか?」と、発言する。
 そう、キューバの奇跡的な社会主義革命は、人民に奉仕するための「機関」作りとして革命政府が位置付けられていたのではないかという思いである。多く、ひとはカストロを独裁者のように思いたがるが、カストロはこのような理想主義的な革命政権を維持するためのシンボルなのではなかったのか?
 ゲバラもその大臣職にあった時、汚くて安いアパート暮らしをしていたように、おそらくカストロほど質素な暮らしをしている国家元首はいないはずだ。このあたりは確証もないが、理念や理想を語って倦むことがなく並外れたその情熱によってゲバラさえもキューバ遠征軍に加わらせたのは、ひとえに20世紀最大のプロパガンダ、詩のような演説をするフィデル・カストロそのひとだったからである。

 その質問のあと、休憩時間に見知らぬおばさまに「ゲバラのことをしっかり勉強なさってますね。」と、話し掛けられたので「ええ、つい最近「20分で分かるチェ・ゲバラ」というポエトリーを書きましたので、詳しいのです」と、ジョークとも、本気ともしれぬ答えをしましたが、きっと意味が分からなかったことでしょう。ごめんなさい。ちなみに「20分で分かるチェ・ゲバラ」というネーミングというか、コピーのような文言は、5日のE.G.P.P.100のゲバラをテーマとしたオープンマイクに参加してくれた北村幸生クンのmixi日記からもらったものです。北村クンは、この日のボクの半分以上即興のパフォーマンスについてそう評してくれたのでした。

 さいごは、キューバ音楽のクラブイベントを企画したりしてみずからもDJ活動をしている福田カズノブさんのキューバ音楽の歴史の話だ。貴重な音源が小さなカセットデッキからかけられる音楽として会場(他目的ホール)に流れる。音源のコレクションはさすがだ。かなわない。でも、チェ(ゲバラ)に関する音楽は貧相だった。今回、PAの面で言っても「クラブ・チェ」(5日のE.G.P.P.のこと)の方が、気持ち良さから言っても優っていたかも知れない。しかし、福田カズノブさんにはキューバ音楽についてはもっと教えを乞いたい。




赤いキリスト/ゲバラに捧げる「クラブ・チェ」の夕べ

2007-10-07 23:54:17 | コラムなこむら返し
 「Club Che」(クラブ・チェ)は、いや、5日に開催したE.G.P.P.100/step75は楽しかった。楽しいことの反動は、必ず来るもので、いま、やや「抜け殻」状態である(笑)。

 「チェ・ゲバラ」というテーマ設定がそもそもヤバかった。ボクらの世代で、石を投げなかったもの、街頭(闘争)に出なかったものがいるとしたら、それは「時代」に、「政治」に、そっぽを向いたものたちだ。ゲバラはその有名な肖像を使ったポスターといい、あの時代を生きたものの<たましい>を鷲掴みにした側面がある。そうでありながら、ボクらがゲバラの存在を知った時、ゲバラ自身の肉体は滅んでいた。
 思い返せば、ボクがゲバラの存在をはっきりと知ったのはレジス・ドブレの著作を通じてであると思う。『革命の中の革命』(1967年11月翻訳版出版/晶文社)??それが、その書物の名前で、多くのひともその著作でゲバラの存在を知っただろう(「ゲバラ日記」の翻訳出版はずっと下って1969年ではなかったろうか?)。
 おそらく1967年という時代にあってラテン・アメリカに関心を持つものはほとんど少なかった。その中の例外がなんと音楽関係者なのである。ラテンアメリカの存在は、もっと率直に言ってキューバ音楽の存在を昔から知り、学び、キューバに憧れ続けた人間はルンバなどのダンス音楽に関心を持ち続けた人間だ。ただその音楽は、言ってみればアメリカの植民地としてノスタルジック(ハバナ市はその美しい懐古的な街並で「世界遺産」認定されている)で、退廃的な歓楽街、享楽の都の副産物でもあった。アメリカの享楽的な別天地としてのキューバ時代の産物としてのリズムであり、音楽だった。

 チェが処刑されてのちも、世界のひとびとはチェのことを忘れなかった。とりわけ、キューバのひとびとはそうだったし、既成権力に反逆する若者たちがそうだった。チェの顔写真を使い、それがイコンとして万人のものになってゆくのは、ゲバラが死んで明けて68年のパリをゆるがした「五月革命」を通じてであっただろう。チェの顔写真は、はじめてラテンアメリカのボーダーを越えて、世界の顔となったのだ。

 この日のオープンマイクのイベントを「Club Che」(クラブ・チェ)と名付けたのは、苦肉の策という側面もある(笑)。告知が大幅に遅れたせいもあるが、他のイベントとバッティングしてしまった。事前エントリーの人数が少なかった。ゲバラ関係のコミュで呼びかけてみたが、日程が切迫していて反応がなかった。ならば、ボクが持っているゲバラを称える歌や、ラテン音楽を掛けるキューバな夜(キューバン・ナイト)にしてみるのも面白かろう、という発想がこの日の「Club Che」のアイディアにつながったのだが、これが滅法面白かった。参加者も踊るところまではいかなかったが、ノリノリのひと夜となった訳である。

(エントリー者を含めたイベントの報告はあらためて別稿で書きます。)



mixiの裏切り/独善に怒る

2007-10-04 02:02:17 | コラムなこむら返し
 mixiの使い勝手がものすごく悪い。マイミクさんたちも多く今回の10月1日付けの「デザイン変更」に異義を表明している。今回の処置は一見、多大な情報量を持つようになったmixiというSNSサイトが、動画などのコンテンツの拡充による表示ページの拡大、サムネイルの表示をいろいろはかったと書いてあるが、その実、OSの旧バージョン(クラシックと言われているもの)の切り捨て、ネスケなどのブラウザの囲い込みをはかったようなものである。おそらく、登録会員数700万とか言われている超巨大なSNSに成長したmixiの今後の企業戦略、提携などにおおきく関わっているものと推測される。
 つまり、これまでは登録会員へのサービスで拡大してきたmixiが、今後は企業戦略をメインにして運営、経営してゆくと宣言したようなものなのだろう。

[OS]
Windows 2000、Windows XP、Macintosh OS X 10.3以上

[ブラウザ]
Windows : Internet Explorer 6.X (7.Xは非推奨)、Firefox
Macintosh : Safari、Firefox

※ブラウザは最新バージョンをご利用ください(Internet Explorer 7.X及びベータ版を除く)。

[JavaScript]
有効にしてください

[Flash]
最新版のインストールが必要

 そろそろ適正規模を越えたサイトというものが、どう自滅してゆくかの瀬戸際にさしかかりはじめたのではないだろうか?
 ひとり勝ちしてきたmixiの限界が見えてきたのであろう。どうせ、ボクはこのブログを外部リンクしている気楽な身だが、友人の日記の中味や、コミュの本文が読めない、表示されないという困った事態がおきている。当分は、携帯(mixiモバイバル)でしのぐことはできるが、それとて画像のアップや、書き込みの限界がある。これは、そろそろ引っ越しを考えた方が良いのか?

 どこか民主的な運営をしているSNSがありましたら、どなたか招待してください。マイミク全員を招待で引き連れて引っ越すことも辞しません(笑)。


10/5 イベント/E.G.P.P.100/Step75「革命と同衾した男/チェへの愛を込めて」

2007-10-02 23:34:44 | イベント告知/予告/INFO
Deadche_mixi●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step75

テーマ:「革命と同衾した男/チェへの愛を込めて」
2007年10月5日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、ココナツ、やま(以上うた)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/


 ある意味ボクらの世代の革命のシンボル、イコンであるゲバラがその死を迎えてから40年??それが、サマー・オブ・ラブ(Summer of LOVE)と全く同じ1967年の出来事であったことにあらためて驚きを禁じ得ません。
ゲバラは同時に20世紀のイコンでもあり、毛沢東とならぶ20世紀のブロマイド・アイドルでもあります。
ボク自身の胸の中にある両義的なゲバラへの尊敬と、おそれそんなものが切開できるでしょうか?

 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定は関係ありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)にエントリー表明を書き込んで下さい!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

E.G.P.P.100 MIXI内コミュアドレス→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706

 当ブログの関連記事はこちら→「モーターサイクル・ダイアリーズ/青春のチェ・ゲバラ」2004年12月13日のエントリー記事です。http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20041213

 ※イベントの告知としては、異例のながさで書いてしまったため要を得ません。再度内容だけをアップします。
(写真は1967年10月9日処刑直後のチェ・ゲバラの遺体)




革命と同衾した男/チェへの愛を込めて

2007-10-01 23:55:59 | イベント告知/予告/INFO
Che_guevara_1 いまからちょうど40年前の10月8日、ボリビアでひとりの男がCIAと結託したボリビア政府軍の手にとらえられた。そして、男は捕らえられた翌日の10月9日、なんの裁判も受けることなく有無も言わさず処刑された。いや、男は銃殺をためらう兵士を叱咤したそうだ。

 「ここにいるのは英雄ではない。ただのひとりの男だ。撃て! 臆病者め!」

 男の死体は、それから30年後にある目覚めの悪い元兵士が告白するまで、30年間の長きにわたって行方不明になっていた。1997年7月、遺骨はまるで生きて生還した英雄を迎えるかのようなキューバ市民の大歓迎の中、しずかにキューバの地へ帰り、サンタクララの納骨堂に納められた。国は1週間、この建国の英雄の追悼週間となり、男の偉業が称えられ、その英雄的な闘いが語り継がれた。

 男の名はエルネスト・チェ・ゲバラ??中古ヨット「おばぁちゃん(グランマ)号」に乗船したわずか82名の手でキューバ革命をなしとげたカストロ将軍の盟友で、自らも革命成就後キューバ革命政府の大臣の要職にもついていた男だった。そうでありながら、この革命の義を重んじた男は、ディスクワーク、キューバ政府の要職という安定した地位を振りすて、かっての同志だったカストロに「お別れの手紙」を残してこつ然と消え失せ、その身を中南米の解放にささげるため、ボリビア山中のゲリラ戦に身を投じていたのであった。

 ゲバラは革命のロマンに、いやそう言って悪ければ愛を称えたゲリラ戦争に生涯を捧げた。ゲバラの出発点には若き日の「モーターサイクル中南米旅行」がある。アルゼンチン出身の医学生だったゲバラは、その古びたオートバイ、ついにはそれさえも動かなくなって徒歩とヒッチハイクで南アメリカの人々、先住民、ハンセン病の施設などを巡り歩いた。その体験がゲバラの原体験となったことは明らかだ(感動的なロードームービーとして2004年に映画化されている)。ゲバラはそのバックパッカー体験で貧窮する中南米の現実を見聞し、中南米がひとつの「民族」であることのヴィジョンを得た。

 ゲバラはそのイコンとしても20世紀最大の人物であることは確かだが、ゲバラの理想は南米の国々に人民の抑圧として立ち塞がっていた独裁政権を打ち倒し、革命をなしとげることだけにとどまるものではない。60年代後半の革命の嵐の吹きすさぶ「政治の時代」に、ゲバラは革命の英雄、シンボルとして世界中でもてはやされたが、決してその理想が理解されていた訳ではなかった。

 ゲバラは、むしろその肉体が滅んでから世界中の解放の闘いを激励し、革命闘争に火をつけた。

 「二つ、三つ、さらに多くのベトナムをつくれ!」

 抑圧からの解放、自由への希求は決して60年代の若者たちの願いだけではないはずだ。
 いま、ゲバラの死から40年のこのとき、わたしたちはゲバラのメッセージにどう答えるべきなのか?
 決して冷酷無比の男ではなかったひとりのゲリラ兵士、コマンドとしての側面からだけでないゲバラのあたたかい人間性をも含めてポエトリーで検証する(できるか?)ひと夜。
 「チェ」と尊敬をこめて呼ばれた男??革命と同衾した男、チェ・ゲバラへの愛を込めて……。

●オープンマイク・イベント/TOKYO POETRY RENAISSANCE
E.G.P.P.100/Step75

テーマ:「革命と同衾した男/チェへの愛を込めて」
2007年10月5日(金)開場18:30/開始19:30
参加費:1,500円(1Drinkつき)
MC:フーゲツのJUN
(出演)フーゲツのJUN(ポエッツ)、ココナツ、やま(以上うた)ほか……エントリーしてくれたあなた!
会場:ライブ・バー水族館(新宿区百人町1-10-7 11番街ビルB1)
問:03-3362-3777(水族館)http://naks.biz/suizokukan/
主催:電脳・風月堂 http://www1.ocn.ne.jp/~ungura/

 一般オープンマイクへエントリーなさる方には、このテーマ設定は関係ありません。御自分の表現・テーマで挑戦して下さい。
 ※ポエトリー、うた、バンド問わずフリー・エントリーが可能です!
 事前エントリー専用BBS(TOKYO POETRY RENAISSANCE/EGPP 100 BBS)にエントリー表明を書き込んで下さい!→http://8512.teacup.com/5lines/bbs

E.G.P.P.100 MIXI内コミュアドレス→http://mixi.jp/view_community.pl?id=230706

 当ブログの関連記事はこちら→「モーターサイクル・ダイアリーズ/青春のチェ・ゲバラ」2004年12月13日のエントリー記事です。http://blog.goo.ne.jp/angura_1967/d/20041213