目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

栗城史多とはいったいどんな存在だったのか?Nスペで総括

2019-02-10 | テレビ・映画

これまでNHKは積極的に栗城史多(くりき・のぶかず)くんをとり上げてきたこともあり、2018年5月の彼の死に接するにあたり、彼がいかなる存在だったのかを総括する番組をつくった。NHKスペシャル「“冒険の共有”栗城史多の見果てぬ夢」1/14(月・祝)21:00放送。先日録画していたこの番組をようやく見ることができた。

番組は、栗城くんに同行したカメラマン魚住司氏や、マネージャーの小林幸子さん、最後までアドバイスをしていたあのピオドール賞登山家の花谷泰広氏ら関係者の証言を交え、彼の目指した登山を浮き彫りにした。まずは、たんたんと彼の生い立ちをたどる。原点は高校時代の演劇にあり、劇作家を目指したこともあるという話は有名だ。北海道生まれの栗城くんは高校卒業後、意を決して上京するのだが、あえなく挫折。地元に帰って大学に入る。そこで登山を始めて、その面白みを知ることになるのだ。

栗城スタイルをつくり上げたのは、学生時代に果敢に挑戦した北米最高峰のデナリ登頂のときだ。植村直己さんばりに自作自演で登山の模様を動画に収めた。その臨場感、展望のすごさに周囲は度肝を抜かれ、彼は賞賛された。それがきっかけとなり、さらなる冒険にと彼をかき立てることになる。

それからというもの栗城くんは高い山に登るたびに、ネットで動画を配信し、視聴者との“冒険の共有”をはかることになる。けれど、彼の挑戦する姿を奇跡とし、酔いしれ、感動し応援したのはつかの間だった。次第に極端な演出をしているのではないか、ビービー泣いてばかりでまた登頂断念か、彼が標榜する「単独・無酸素」は厳密には違うものではないかという疑念まで頭をもたげ、誹謗・中傷するアンチが増えていくことになる。

エベレスト登頂に何度も失敗し、凍傷で指9本を失ったにもかかわらず、「単独・無酸素」にこだわり、同じ北西壁ルートを行く栗城くん。もう引くに引けなくなったとしか思えない。登山家の花谷氏が凍傷になりやすくなったその体では、北西壁は無理、まずはノーマルルートでの登頂を目指すべきというアドバイスをしたのだが、彼はそれを振り切ってまた同じ場所へ行ってしまった。なぜか? その一因として、象徴的な映像をこのNスペでは流していた。ノーマルルートには、栗城くんの冒険の演出にふさわしくない膨大な数の登山者がいるのだ。数珠繋ぎで登って行く登山者の群れが画面には映し出されていた。

番組後半で重大な証言が紹介される。栗城くんはエベレストに登頂できても、できなくともこれでエベレストは最後といっていたのだ。そう決めたからこそ、追い詰められ、精神状態は不安定になったし、体調管理もうまくいかなかったことは容易に想像がつく。

トップクライマーの半数は命を落とすといわれている。雪崩などの不慮の事故、ちょっとした油断、どうしても登頂したいという無謀な決断(無理をしなければ登れないという現実もあるが)、etc. なんとも後味の悪い幕切れとなってしまった。

栗城くんは、間違いなく“冒険の共有”にがんじがらめになっていた。ただ共有するだけでは、感動も応援も得られない。失敗の先には必ず成功が期待されているのだ。それがなければ、資金集めに支障が出て、次の冒険の実現が危うくなってくる。完全に追い詰められていた。まるで船戸与一の小説の主人公のように物語の結末に訪れてしまったカタストロフは、必然なのかもしれない。

参考:当ブログ
栗城史多くん追悼2018年5月
NHK「5度目のエベレストへ~栗城史多 どん底からの挑戦~」2016年1月
栗城史多 オン・ステージ2011年2月


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