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目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

空想登山Part2~謎だらけの鯉岳

2020-05-03 | 山雑記

空想登山です。山の神と私は実在しますが、地名や山名はまったくの架空であり、フィクションです。空想登山に至る経緯はPart1にて。

 

鯉岳 標高 1122m カープ県

20020年5月3日(日)晴れときどき霧 

メンバー 山の神と私

コースタイム 鯉岳市営キャンプ場6:30--6:50鯉岳登山口7:00--7:40鯉滝7:50--8:40鯉坂取り付き8:50--9:45 1000mポイント9:55--10:45鯉岳山頂小屋--11:00鯉岳山頂(昼食)11:45--12:15鯉ヶ池12:25--13:25鯉ヶ平(羅漢像)--14:30市営キャンプ場

前泊は市営キャンプ場(下の写真)。お隣さんからの話声は日が暮れてだいぶ経っても途絶えることはなかった。


鯉岳市営キャンプ場 Free-PhotosによるPixabayからの画像

朝5:00頃目覚めてテントから出てみると、なんと勢いよく木に登っていく子グマがいた。子グマがいるということは、親グマが近くにいるということ。きょろきょろ辺りを見渡してみたものの、その姿は視認できない。この緊張状態が続くのは、よくないと思い、少しずつ後ずさって子グマから遠ざかり、比較的安全と思われる距離をとってたばこをくゆらせていると、子グマはするすると木から降りて、脱兎のごとく、森の奥へ逃げていった。


子グマ発見 David MarkによるPixabayからの画像

山の神も起きだしてきて、朝食にする。ポコポコとコーヒーを沸かし始めるといい香りが辺りに漂い始める。

朝食を済ませ、テントを撤収して、食料やランタンなどを車に放り込んでいく。先ほどの子熊の一件もあって、熊鈴をしっかりと装着後、6:30キャンプ場を後にした。今日が山の神の山ガールデビューのはずだったが、まったくもって地味なウェア(冒頭写真)でデビューといえるのかはなはだ疑問だった。いままでと何ら変わらないか。


突然姿を現した鯉滝 mailtotobiによるPixabayからの画像

歩き出してすぐに鯉岳の登山口に出る。ここから本日のビューポイント鯉滝まで40分ほどだ。小川を何度も横切りながら、上流に向かって歩いていくと、鯉滝が突如姿を現した。間近まで行くとなかなかの水量で、水しぶきがすごい。心なしかマイナスイオンに癒される。


鬱蒼とした森を進む Harmony LawrenceによるPixabayからの画像

滝から鬱蒼とした森歩きに変わる。おお、いいねえ、と山の神ご満悦の快適な森林浴の道だ。しかし快適な道はたちまち終わり、すぐに鯉坂と呼ばれる急登が出てきた。8:40ここでザックを下ろして休憩にした。


山頂小屋で一服 Robert AllmannによるPixabayからの画像

鯉坂をあえぎながら、汗だくで登っていく。1度休憩をはさんで急登に耐えていくと山頂直下にしゃれた小屋が出てきた。窓辺にはお花まで飾ってある優雅なたたずまいに山の神の笑みがこぼれる。


山頂からの見晴らしは抜群 Marjon Besteman-HornによるPixabayからの画像

ほどなくして鯉岳山頂に到達した(11:00)。天候に恵まれ、大展望が広がる(上の写真)。手前が鯉前岳、右手奥のまだ冠雪しているのが、節句岳だ。ここで鯉こくの缶詰が登場。この山頂で食べようと山の神がわざわざネットで購入していたものだ。なかなか美味だと山の神と賞味しながら、眺めを楽しんだ。


山頂直下の鯉ヶ池には錦鯉たちが悠然と泳ぐ endri yana yanaによるPixabayからの画像

11:45山の神と下山開始。歩き始めると一気にガスってきて、うす暗がりになる。30分ほどで、この山名の由来となった鯉ヶ池にたどりつく。池の中には目を瞠るほど美しい錦鯉がいて、山の神もその美しさ、華麗さに息を飲んでいた。

その昔平家の落ち武者がこの山まで逃げのびて、ここに腰を落ち着けたという。どういう方法でここに錦鯉を持ち込んだのかは謎だが、この池の地下から滾々と湧いてくる水がよほどこの錦鯉に合うのか、数は増え、また色も鮮やかになるのだという。ここだけの話だが、この錦鯉には信じられない噂や逸話、因縁がある。この池から錦鯉を持ち帰った人が大金持ちになった伝説や、逆に不慮の事故に遭ったり、突然病に伏して亡くなったりということもあったようだ。その人の普段の心がけしだいだと伝わるが、実際のところはわからない。持ち帰らなければ、何も起こらないので、心配な向きは写真だけにしておけばだいじょうぶだ。


鯉ヶ平の羅漢像 Kohji AsakawaによるPixabayからの画像

鯉ヶ池から下ること1時間で鯉ヶ平に出る。妖気漂う怪しげな空間で、苔むした斜面に羅漢像が無造作に置かれている。その昔やはり平家の落人が志半ばで亡くなった仲間の供養のためにつくったとされるが真相はわからない。最初はお堂もあったようだが、いまはそのよすがすらない。ここの羅漢像は、いくら像の数を数えても数が合わないことで有名だ。左端から数えたときと、右端から数えた時となぜか違う数になるのだ。一説には、数えている間に必ずその人の邪念が入り、見えるはずのない羅漢像が見えるせいだとも、見えていた羅漢像がその人の体内に入ったからだともいわれている。ここも数えなければ害はない。数えて像の数が合わないと、家に帰れなくなるという恐ろしい話もある。

ということで、山の神と私はそんな恐ろしい実験はせずにまっすぐキャンプ場に向けて下った。14:30無事キャンプ場に到着。前日はいたキャンパーもすでに帰ったようで無人だった。このまま無事に家にも帰れそうだ。(すべて空想でした)

空想登山の遊び方へつづく
Part1に戻る

 
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空想登山Part1~鯉岳へのアプローチ

2020-05-02 | 山雑記


九十九折の道を進みキャンプ場へ Tayyab BashirによるPixabayからの画像

いまだかつてない悶々と過ごすゴールデンウィーク。まさかコロナがここまで拡大してSTAY HOMEを強制されようとは、思いもよらなかった。

そんな苦悶の日々でも、なにか面白いことはないか、なにか楽しいことはないかと考えているうちに思い浮かんだのが、空想登山だ。竹内洋岳氏が「妄想エヴェレスト登山」をFB上で繰り広げていて、私も真似してみることにしたのだ。ただし、私はもちろんエヴェレストには行ったことがないし、行ったことのある山を空想で再登山してもつまらなそうだと思い、いっそのことほとんど架空として、はちゃめちゃにしてみようと考えた。では始まり始まり。

20020年5月2日(土) 晴れ  移動日

メンバー 山の神と私

やはり山の神の用意がなかなか終わらずに予定より遅れての出発となる。GWなだけにテントや食料にザック、下界で過ごすための服など荷物は多い。山ガールデビュー(空想)の山の神の荷物がやたらと多いのはしかたないか。高速に上がると交通量は少ない。そりゃそうだ、これだけ新型コロナの感染防止で外出を自粛しろと声高にいっているのだから。ましてや東京の感染者は昨日、今日と100人台に戻ってしまっている。

ガラガラの高速を飛ばし、諏訪SAで朝食をとる。店舗は締まっているが、昨日コンビニで調達した食料があるからなんの不便もない。

中央道を抜けてしばらく快適なドライブを楽しんでいると、目をむくようなシーンを目撃した。前方をトラックが2台ゆっくりめのスピードで走っていた。私はウィンカーを出し追い越し車線に入ろうとしたのだが、そのとき突然前にいたトラックがのっそりと追い越し車線に出てきた。後ろを見ていないのかといらついた刹那、ヘッドライトを水平に照らしたバカな輩が猛スピードで後方から接近してきていることに気づいた。そのまま走行車線にスゴスゴと戻る私。

このバカはレース場と勘違いしているのか200km/h近くのスピードを出していて、前方のトラックののんびりスピードに気づくのが遅れたようだ。急ブレーキを踏んだが、全然間に合わない。どーんとおかまを掘り、バカな輩の車はまるで漫画のようにフロント部分がぺっちゃんこになってしまった。その車は、私もあおられたことがあるが、やんちゃな若造が好きなボ〇ボだった。リア部分のメーカーロゴが日光に反射している。さすがに頑丈だけがとりえの車でドライバーはなんともなかったようで、車外に出てきてケータイで電話をし始めた。自ら110番かよ。

こんなところで駐車していては、2次被害を受けそうだと、私は次のPAまで進み、そこのインフォメーションデスクで事故について報告した。警察が来るまでちょっと待っていてくださいといわれたが、こんなところで、ボ〇ボ野郎のために時間は使いたくなかった。わかりましたといいながら、スキをみてその場を離れた。空いているからと言って、スピード出しすぎ、自業自得だわ。

事故のことなどすっかり忘れ、昼食は途中のSAで営業していたコンビニで幕の内弁当を買って済ます。どこもかしこも空いていていい。山の神とSAの客席スペースを贅沢に使い、ゆったりとした気分で昼のひとときを過ごした。

午後気温が上がり、夏日になるんじゃないかという頃、予定よりも1時間も早く高速を降りた。渋滞なしの移動がこんなに快適なのかと再認識する。その後休憩のため何気なしに道の駅に入ると、なんと休み。山の神が地場の野菜や食材などを見るのを楽しみにしていたのだが、コロナ対策はここにも手が伸びていた。自販機は使えるが、ほかは何も売っていないし人もいない。トイレだけ使わせてもらい、すぐさま出発する。

コンビニとスーパーだけしか営業していないのかと山の神に愚痴っていると、目の間にコンビニが現れた。今日のテント場での晩飯、明日の朝食、山行時の昼食などはここで買っておかなければならない。とりあえずパンとカップ麺か。ビールは持ってきたんだっけ?と山の神に訊く。

15:00くらいに市営キャンプ場に到着。なんと入口にロープが張られ、コロナのため云々と書かれ、クローズだ。わざわざ民間のオートキャンプ場が休業になったので、市営に変更したというのに。なぜ? メールを確認すると、ああ、来てた。申し訳ございませんが、休業しますと。がーん。とはいっても泊まるとこないし、山の神とロープをはずし中へ。おっと先着様がいるではないか。車で入れるところまで入り、勝手にオートキャンプすることにした。(以上すべて空想であり、架空)

空想登山Part2~鯉岳ヘ続く

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あきらめないぞGW山行、一転断念

2020-04-18 | 山雑記

ゴールデンウィークは氷ノ山に行く計画を立てていた。4泊5日でキャンプ場に2泊、もう2泊は早々に宿を予約していた。東京に非常事態宣言が出たものの、収束のめどが立ち、非常事態宣言は解除されるかもしれないと強気でいたのだが、事態は悪化する一方。さすがにもう遠出するのは無理、東京ナンバーの車は停めているだけで破壊されるのではないかと危惧し、4月15日(水)にまず兵庫県の温泉宿をキャンセルした。つづいて16日(木)の全国非常事態宣言で、当初帰途に泊まるつもりだった長野のビジネスホテルもキャンセルした。長野の山に登って1泊2日の山旅は可能かもという淡い夢も木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

まさかCOVID-19にこんなに振り回されるとは夢にも思わなかった。1月は中国だけの問題と思っていたら、イタリアでパンデミックに、そしてヨーロッパじゅうに蔓延し、アメリカもトランプを筆頭に対岸の火事扱いだったのが、ニューヨーク州でパンデミックに陥るとは夢想だにしなかった。

日本では、いまだ死者数が207人(クルーズ船除く、4/17現在)と少ないが、そもそもPCRの検査数が少なくて感染者の数はもっと多いのではないかと疑われている。あまり当てにならないかもしれないが、中国の統計によると、湖北省(武漢のある省)を除いた中国全土の感染死亡率は0.9%と発表されている。仮に日本の死亡者207人から単純計算すると、感染者は2万3000人となる。現状9852人だからけっこうな開きがある。先日LINEで行った厚労省の調査※で、37度5分以上の熱が4日以上続いた人の数が2万7000人と出ていて、奇しくも同じような数になる。ただし厚労省のこの調査の回答者は2400万人で全人口の20%しかいない。でもわざわざ回答に協力するくらいだから、体調が悪い人はほとんど回答しているとも考えられる。
※第1回「新型コロナ対策のための全国調査」https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10798.html

自分の解釈に都合のいい数字を集めてしまったが、日本の感染者は現時点で、2万人超と考えていいのではないだろうか。

では、ほかの感染国に比べて極めて少ない死亡者の数はどう考えればいいだろう。SARSだ、MERSだと騒いだ時にも日本は少なかった。最近話題になったのは、その原因としてBCGワクチン接種が挙げられている。免疫学の世界的な権威であるドイツのマックスプランク研究所のシュテファン・カオフマン教授によれば、欧米諸国に比べ、BCG接種が多い日本では明らかに死亡率が低く、何らかの因果関係があるはずであるとしている。実際にBCGの効果で免疫力が一定程度高まることが最近の研究で分かってきた。

そうした明るい話がある中でも、どんどん感染者は増え、事態は悪化しているように思える。そこでGWまで規制の網をかけ、国民の多くがレジャーへと出発しないように全国緊急事態宣言になったわけだ。人が移動しなければ、ウィルスも移動しないのだから。

すでに1か月以上外出禁止のアメリカ在住の方からアドバイスをもらった。自分の身に降りかからないようにするためには、すでに言われ続けている以下の4つしかないようだ。

手洗い マスク stay at home social distancing

ということで、非常事態宣言が解除されるまでは、山行は控えてなるべくお家にいることにしよう。

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十和田湖遊覧散歩

2020-04-04 | 山雑記

十和田湖 標高 400m 青森県

2008年9月18日(木)晴れ 

前泊は十和田湖畔の湖秀亭。この宿は、東日本大震災の影響で宿泊客が激減し、2013年頃に閉館したようだ。この地区では湖秀亭も含めた観光ホテル3つが同じ資本系列で、上記の理由でやむなく閉館。いま湖畔に建つ廃墟といわれ景観を損なうとして問題になっている。いっぽうではすぐ近所に星野リゾートの奥入瀬渓流ホテルがあって繁盛しているのだから、やり方しだいで客足も戻ったのではないかと思えてしまう。少なくとも2つをたたんで1つで生き残りを図れば、なんとかなったようにも思えるが、どうだろうか。そもそもの失敗はバブル時代の拡大路線とささやかれている。


左:湖秀亭の部屋 右:湖秀亭のエントランス

湖秀亭は、十和田湖ビューの部屋を備えた温泉宿で、コスパもよかっただけに個人的には閉館は残念に感じる。夕食にシャモロック鍋、ポークジンジャーステーキなどを食べて1泊2食付き12,000円くらいだった。


湖秀亭の部屋から十和田湖を見る

さて話を戻そう。9月18日は朝風呂でさっぱりしてから、7:00に朝食。自ら陶板で目玉焼きをつくり、イカ刺しや里芋の煮物、鮭などを食し、8:20頃宿をチェックアウトした。


遊覧船からの十和田湖ビュー

その後遊覧船乗り場に移動し、9:00発の遊覧船第一観光丸(定員220人)に山の神と乗り込んだ。さすがに平日とあって、乗船しているのは年配者ばかり。繁忙期には500人や800人が乗船可能な大型船の運航があるようだが、この日はいちばん小さな船の運航だった。乗船料は1400円のところ、割引券を使って1300円。ちょっと高いなと思ったのだが、ここまで来て乗らないという選択肢はなかった。


左:遊覧船第一観光丸 右:デッキに出て風に吹かれる

遊覧船のデッキに出ると、風が気持ちいいし、景色も抜群で乗ってよかったと自然と笑みがこぼれてきた。ただこのあと、船内で一部の年寄りがはしゃいでやかましかったのには興を削がれたが。


左:中山半島 右:高村光太郎作「乙女の像」

遊覧船は十和田湖のなかの2つの半島、御倉半島と中山半島をめぐり、50分ほどでスタート地点に戻ってくる。引き返し始めると、もう終わりなのかと名残惜しさが募る。

下船後は湖畔を乙女の像まで山の神とのんびりと散策した。かの有名な詩人にして彫刻家、とくに『智恵子抄』で有名な高村光太郎の晩年の傑作「乙女の像」である。とってもふくよかに見えるのは、制作当時の美の基準がこうだったからなのだろう。


2点とも:十和田湖畔の散策路

乙女の像を見れば、もう十分に目的を達した気分になれる。山の神と遊覧船乗り場まで戻り、近くにあった喫茶店憩いに自然と吸い込まれた。コーヒーを注文し、まったりと朝の時間を過ごし、10:30十和田湖を後にした。


芭蕉ゆかりの中尊寺金色堂へとつづく
人気の奥入瀬渓谷へへ戻る
紅葉には少し早かった八甲田山へ戻る
楽チンコースで岩木山へ戻る
まさかの、、、暗門の滝トレッキングへ戻る
白神岳マテ山コースへ戻る

 

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追悼、ホテル・エベレスト・ビューを建てた宮原巍さん

2020-03-20 | 山雑記


ホテル・エベレスト・ビュー(binks182によるPixabayからの画像) 

宮原巍(たかし)さんが亡くなっていた。まったく知らなかったのだが、たまたま日本山岳会の会報「山」2020年1月号を見ていたら、平山善吉氏が追悼文を寄せていた。検索して調べてみると朝日新聞の訃報記事が出てきた。それによれば、2019年11月24日ネパールのカトマンズ近郊の病院で逝去。享年85。

宮原さんといえば、このブログでもとり上げたホテル・エベレスト・ビューを建てた人物として有名だった。その後、ネパールをこよなく愛しネパールをもっとよくしたいという使命に燃え、こともあろうに日本国籍を捨てネパールに帰化した。それは政党をつくり国会議員を目指したからでもある。残念ながら当選はかなわなかったが。

いっぽうでは元々アルピニスト志向の方だけにエベレストへの思いが捨てきれず、還暦記念にエベレスト登頂をも試みている。その辺りの事情は著書『還暦のエベレスト』に詳しく書かれている。とてもアクティブな方なのだ。そしていまは宮原さんにとってネパールで3番目となるホテルを建設中であった。北にアンナプルナ連峰、南にポカラの街を望む景勝の地にだ。その完成を見ることなく、逝ってしまった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

宮原さんのプロフィール(前述の「山」に掲載)
1934年 長野県小県郡青木村生まれ。
1954年 日本大学理工学部工業化学科に入学、機械工学科にも学ぶ。
    在学中は山岳部に所属
1958年 第4次南極地域観測隊に参加 
1962年 初めてネパールへ。ムクト・ヒマールのホングデ初登頂。
1965年 グリーンランド遠征。 
1966年 ネパール政府通商産業省家内工業局に就職。
1971年 シャンボチェの丘にホテル・エベレスト・ビューを建設。
1987年 ヒマラヤ・カトマンズにホテルを建設
2019年11月 カトマンズで逝去。享年85

参考:当ブログ
ホテル・エベレスト・ビューを建てる
ヒマラヤのドン・キホーテ
還暦のエベレスト

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