39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

雲なんて一つもなかったのに

2013-07-09 22:49:37 | レコード盤

こんばんは
今日は暑かったですね。
まあ、夏ですから・・・
広島のアメダスでは32.6度でした。
ちなみに長男の住んでいる練馬では35度、なんと山梨では39度だったそうです。
東京は広島より2・3度高いのが普通ですね。
・・・
今日は花がありません。その代わり見たことのない昆虫です。

Dsc01141

幼虫なのかもしれませんね。
・・・
今日は特に記事もないので何を書こうかと悩んでいます。
まあ、とりあえずCDはテレマンの「忠実なる音楽の師」から2枚目
声楽あり器楽ありソナタあり協奏曲ありで色々と楽しませてくれます。
・・・
今日のウォーキングは1Kgのダンベルを左手に持って歩きました。
1Kg位たいしたことないと思っていましたが、後半になるとやっぱり腕が疲れてきました。しかしそこで右手に持ち帰ると筋トレにならないのでガマンして最後まで左手で持ちました。
ダンベルを持った手をダランと下げていたのでは筋トレにならないと思い肘を曲げたり腕を持ち上げたり色々と左腕に負荷をかけながら歩いたので余計に疲れました。
まあ、2年前の五十肩の発症以来左腕が弱っているので少しずつ鍛えておかないと行けないですからね。
梅雨明けの空気は温度が高く湿度も70%位あるんですが、まだカラッとしています。
上空に飛行機が飛んでいますが、飛行機雲を引いていませんでした。
と言うことは、上空の湿度は低いということで当分はいい天気だと言うことです。
飛行機雲は引いていませんでしたが飛行機雲があるとして、歩きながら俳句を考えました。
飛行機雲は季語にならないと思うので、仕方なく入道雲を季語にして。
~~~
会いたくて入道雲に願掛ける 39ギター
~~~
離れて会えない人のことを思う気持ちがあの入道雲のようにモクモクとわき上がり、つい心の中で手を合わせて願掛けをする・・・
うーん、まあ悪くはないな・・・
これもいいかな?
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涌き上がる入道雲や畏れ入る 39ギター
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モクモクと涌き上がる巨大な自然エネルギーの前では小さい人間の存在
雲なんて一つもなかったのに、まあ今日はこんなところだ。


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4 コメント

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こんにちはー (照れまん)
2013-07-10 19:44:17
最初の写真は トラカミキリ のよう?
カミキリムシは 滅多に見なくなりましたね。
・・・
ダンベルを持って ウオーキング。ムムムッ、そのうち 富士山から エベレストにも行けるかも???
・・・
仕方なく 季語にしてもらえた 入道雲です。こんにちはー、お初にお目に掛かります。なんちゃって!!
俳句では、夏の季語 「雲の峰」 と言ういい方が基本季語になります。
言い換えでは、「入道雲」・「積乱雲」・「坂東太郎」・「峰雲」 などなど、他にも、いろんな言い換えがあります。
    会いたくて入道雲に願掛ける 39ギター
とってもよく解る句です。解るのですが、この句だけからは なかなか解りにくいのです。恋人なのか誰なのか??
それに、 「・・・入道雲に願掛ける」 と言うと、ホンマかいな??と思ってしまいます。本人が願を掛ける、と言っているのですから間違いはないのですが、普通は神社で行うモノですよね。
それで、何となく疑問??を持ってしまいます。
この句の場合、はっきり誰に会いたいかを書いてもいいように思います。
たとえば、「 雲の峰遠くの孫にあいたくて」 
または、 「 東京の孫に逢いたや雲の峰」
あまりにも 直接過ぎて、お気に召さないかも??
そんなことを思っていました。
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照れまんさんこんばんは (39ギター)
2013-07-10 22:30:46
お風邪の方はどうですか?
我が家でも娘が風邪をひいて会社を休んでいますが、この暖かいときに「どうして風邪なの?」と風邪を滅多にひかない「〇〇は風邪をひかない」ボクは不思議でなりません。
ですがまあお体には気をつけて下さい。
・・・
ダンベルを持って鍛えているのは一ヶ月後にやってくる孫を抱っこするための基礎体力造りが目的です。
孫が来ても、抱っこしたらすぐに「神経痛・筋肉痛・腱鞘炎の三重苦」では困りますからね。
・・・
ところで、以前から思っていたのですが「この句だけからはなかなか解りにくい」とよく言われることについて自分なりに考えてみて少し解ったことを書いてみます。
たとえば演歌を聴いて「胸にグッと来る」とき僕たちは「作詞者本人」や「作詞者の思いの人」とか「作詞者の人生」とかに直接グッと来ているのではなく、その詩に「自分」や「自分の思う人」や「自分の人生」を重ねてその詩の主人公になりきって「グッと来ている」のではないでしょうか。
今回のボクの句で言うと「会いたくて」はボクが東京の孫に会いたいのではなくてこの句を読んだ人が会いたいと思っている人に「会いたくて」と自分を重ねて欲しいのです。
つまり、詠んだ人ではなく読んだ人が主人公です。
そんな感覚がこの句には強いんですね。
本当は俳句と言うのは自分の思ったことを素直にそのまま表現するのが伝統的な部分(つまり詠んだ人が主人公)でしょうから、ボクのそう言った感覚は俳句には似合わないのかもしれませんね。
「願をかける」と言うのも確かに神社やお地蔵様にお願いすると言う感じなんでしょうけど、一方で人間は自然と言うものに対して例えば「星に祈る」とか「お月様にお願いする」とか自然を神として祈ることをします。
この句を読んだ人に、入道雲を見たとき「あの人に会いたい」と言う気持ちがモクモクと涌き上がって来てその自然現象に対して神に祈る様な気持ちになる、そんなことありませんか?そう言う感じのことを語りかけているんですね。
「願をかける」は何とかならないものかと言う気持ちはありましたがまあ、半分即興の句なので特に深くは考えませんでした。
なんだか、照れまん先生のお言葉に反論しているようですが、誤解なさらないで下さい、そうではなく伝統的な俳句の考え方と自分の持っている感覚のズレと言うものが、こんなところにあるのかなあ、と解った様な気がすると言うことです。
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こんにちはー (照れまん)
2013-07-12 11:55:06
夏なのに ダンベルを枕に寝てしまっていた 照れまんです。
俳句の話ですが、俳句は一人称の文芸と言われています。
「私が・・・」と言うのが常に隠されている訳です。
そのために俳句では 常に私が 〇〇をしたとなります。
人が何かをしたのを見て書いても、私が・・・、と言うのが隠されるので 違和感や違うんだがなあ?と心苦しい感じは常に付きまといます。
例えば田植えを見て書いても 私が田植えをした、と言うことになって仕舞います。
誰かがどこかで 〇〇をしたとは 短くて書けないのです。
それと、私の「思い」とか「考え」は出来るだけ書かないようにします。
それは人により 「思い」や「考え」は違うからです。
それとか、知識も出来るだけ書かないようにします。
例えば、蝉 を見た時、蝉は地中で7年、地上に出て2週間だと知識があると、儚い とか可愛そう とかなる訳ですが、そういう習った知識を書かず、蝉をよく観察して目の前の蝉を詠めと言うのです。
蝉自身が儚い と思っているかどうかは解りませんから。
一人称も 思いや考え、主義主張を書かないのも、そういう決まりがある訳では無く、その方が便宜上書きやすいし読み易いからなのです。
39ギターさんは こころの中を詠みたいと言うのはよく解りますし、それはとってもいいことなので、これからもどんどん書いて下さい。
ただその俳句を見たら、私はこう思います、と言う意見は時々書かせて貰います。
俳句の作り方に 「二物取り合わせ」と言うのがあります。39ギターさんは 一物仕立て の句が多いので、「取り合わせ」の句を憶えれば、俳句の作り方が10倍広がります。
入道雲 などは 遠くにあるので 取り合わせ と 遠近法などは最適です。浮世絵の富士の絵。富士が小さく桶が大きく描かれていたり、波の絵と同じです。
たとえば、私の例句を書いてみます。
・・・・
     大臣の始球届かず雲の峰    照れまん
この句には、大した意味は無く 自分の考えなどは書いていません。夏の甲子園で大臣が始球式をしていて、遠くアルプススタンドの向こうに入道雲が出ているというそれだけです。普通の人間がマウンドから投げると、あんな玉しか投げられない、と言う驚きもあります。
青春の熱い熱気や山の頂上にどの学校が立つのかと言うことで、雲の峰 とが響き合うと想います。
取り合わせの句でもあり、遠近法の句でもあります。案外と自分の考えを書くより、面白いでしょう。
俳句は 物 を書き、物に託すと言われます。
いろいろ、窮屈で重箱の隅をつつくようなところがあるのですが、そこを抜け出すと、無限の宇宙を詠むことが出来るようになります。
面白いでしょう???
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照れまんさんこんにちは (39ギター)
2013-07-12 13:26:25
そうか~
「俳句は一人称の文芸」
これなんですねボクの大きく間違えているところは・・・
ボクは俳句を読む人に「ね、貴方もそうでしょ」「あなたはどうですか」「面白いでしょ」「グッと来るでしょ」と共感を強く求めているんですね。
共感してもらうのは悪いことではないにしても、そうするためにあえて事実を具体的に語らず抽象化して「ひな形化」してしまっている。そんな感じがしてきました。
前のコメントで「演歌の歌詞はそれを自分に重ねるからグッと来る」とかきましたが、演歌は確かにそうですが俳句はむしろ「私はこんなことに感動しました」「私はこんなことに気がつきました」が底辺に流れているんですね。
まだ良く解ってないかもしれませんが、今回の照れまんさんのコメントは何度も読み返して勉強したいと思います。
「二物取り合わせ」も言われてみれば「あ!なるほど」ですね。
・・・
弟子は師匠との対話で賢くなる。
え?お前なんぞ弟子にした覚えはないって?・・・
はい・・・
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