いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

    四家姓について(三沢地区)

2008-12-27 10:24:17 | Weblog
 常磐三沢町(三沢は鹿島村当時は、12部落の一つにあったが、昭和29年に磐城市成立の直前、三沢・上矢田・松久須根の三大字は湯本町に編入され、常磐市の市政施行とともに常磐市の一部となった。 
 これは常磐炭鉱の松久須根竪坑の存在に影響されたものである。)

 三沢には、四家を以って氏とするものがあって、この四家とは岩城判官政氏(政氏は滝尻城、住吉城を築いて住んだと伝えられている)の長臣近藤・江藤・斎藤・佐藤の四家から出て名付けられたものであるというから、最初から四家という姓があったものではなく、近藤など四氏の家の者に四家という姓を与えたものと解釈できる。

 昭和4年の、諸根樟一・著「石城郡町村史」の文中によると、この他にも内郷の高坂と豊間の四家も、その系統で豊間に来たものは二家あって同村の慶長・明和の「水張帳」に善七、善吉という人はその裔であるといい、善七の後を徳右衛門又は新右衛門と称して代々名主を務めた。  
 善吉の後はまた二家に分れ、八之丞・八左衛門という。
 
 四家系図では三沢村、四家朝光は中山館主、中山太郎隆吉の養子となる。

 三沢に現在、四家姓を名乗る家は3軒あり、他に佐藤を名乗る家(世帯主・佐藤久男氏)が1軒ある。
 佐藤家の旧墓地の墓石のには、寛政9年というから今から201年前(平成20年現在)の7月21日の刻字があり、もう一つの石塔には「ア」と読む梵字と、円の周辺に23字の梵字が彫られている。
 このような二つの塔から察しても、佐藤家は三沢地区での存在の早さや、当時に於ける格式が伺われる。



 いわき市民マラソンが2009(平成21)年度下半期の開催を目指して進んでいるが、日本陸上競技連盟                   公認のフルマラソン大会「いわき市民マラソン大会(仮称)」のコース検討委員会(御代田公男委員長)は、コースにつ                    いて2案を櫛田市長に提言書として提出した。

 その一案として、いわき駅から南へ走る県道小名浜平線(通称・鹿島街道)を南下、江名港周辺と小名浜臨海工業                      団地周辺の二つの折り返し点を経て、ゴールを目指す。と【鹿島街道】が明記してある。

 もう一つは県道、下高久谷川瀬線を東に抜け、塩屋埼灯台や小名浜港近くの海岸沿いのコースを南下、小名浜臨                       海工業団地周辺で折り返してゴールするというもの。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  小井戸の水は、飲み別れの水 | トップ |       鹿島の方言 ① »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事