いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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追い剥ぎが出た「くうじ山」

2008-12-25 05:11:59 | Weblog

             《右側の坂道を上り切った所が くうじ山》
 
 街道を平方面に向かって行くと、郷ケ丘にあるNTT東日本福島いわき支店を通過するが、その辺りが通称「くうじ山」(=写真)と呼ばれる所です
 昔は、頂上が左に見える山と同じ高さ位の場所にあって、約50メートルの洞門(トンネル)を利用して山越えをする道だったといいいます。  「くうじ山」の由来は戊辰戦争の時に、列藩側が軍事上の作戦拠点としたために軍事山と呼ぶようになったとも云われ、それが「くうじ山」と訛ったのだとする説があります。
 
 しかし旧、上矢田村獺〈おそ〉沢字穂町作(くうじ山の坂下)の長瀬一矢老(享年92歳)は鹿島郷土誌(鹿島郷土誌編纂委員会編)の中で、明治15年前後には未だ「くうじ山」という名はなかったという証言をしています。 こうしてみると、慶応4年(1868)※明治元年に、軍事の場所としたために「くうじ山」と名付けられたというのには疑問が残ります。 また、この山は「軍事山」の他にも、「軍次山」や「軍治山」という文字でも使われています。 明治の中頃には、この「くうじ山」の洞門の中にオイハギが巣食っていて、暗闇が訪れると数人の男たちが洞門の中へ寄り集まり、男根丸出しで焚き火に手あぶりしながら、通行人を脅して金品をまきあげたといいます。 「くうじ山」の洞門にオイハギが出没したという伝聞は多く、難所であるばかりではなく、人里離れた場所だけに、そういう悪さをして人々を苦しめる悪党がいたことは事実のようです。

 
 官選知事、三島通庸(みちやす)が在任した時に、平~小名浜間の道路(現・鹿島街道と呼ばれる旧道の方)が県道に指定されました。 当時のことなので、県道指定による道路改良とはいっても、荷馬車が通行できる程度のものであったはずです。                                   

コメント
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