分類:歴 坂上田村麻呂将軍の人物像 坂上田村麻呂将軍が東夷征伐に向かう途中、鹿島の走熊で休息をとった折、戦勝を期して七本の松を植えてから今年(平成30年現在)で1214年を数えるが、この先、鹿島神社にも立ち寄っている。 その際、武運長久を祈願し矢の根4本が献上されたが、鏃(やじり)は現在でも残っている。 《坂上田村麻呂像と、実際に鹿島神社へ奉納したという鏃(やじり)》
坂上田村麻呂は平安時代の公卿、武官で、名は田村麿とも書く。父は左京大夫・坂上苅田麻呂で官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。 田村麻呂は身の丈5尺8寸(約176cm)、胸の厚さ1尺2寸(約36cm)あって、向かいに立つと仰け反って見え、背後から見ると河岸でいるように見えるというほどの堂々たる容姿だった。 田村麻呂の生誕地については諸説あり、命名が地名に由来するものであれば「平城京田村里」(奈良市尼辻町)が有力とされる。また俗説として陸奥国田村庄(現・郡山市田村町)で誕生したという「坂上田村麻呂奥州誕生説」や、蝦夷出身だったとする「坂上田村麻呂夷人説」などもある。 《矢の根が献上されている鹿島神社=上矢田町》 この地は、古くは岩崎東郷と称し、後に大矢田と呼ばれていたが、田村将軍が矢の根を此処に納めた際に「田村矢を上げる」 と記したところから 「上矢田」 の地名が付いたとの説がある。
《鹿島神社入口の鳥居。鳥居の前は鹿島街道になっている》
場所 : 鹿島神社 いわき市常磐上矢田町花木下 (旧・鹿島村大字上矢田)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます