いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
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往古、鹿島は海底だった

2018-06-24 06:53:32 | Weblog
                             分類:歴
                         
  縄文時代以前に海進海退の影響で地質が形成された
  
 鹿島地域一帯は山が多いが最も高い山でも走熊にある高照山の海抜128,1メートルです。
 この頂上には国土地理院の地図上の目印となる三角点が存在します。
 矢田川周辺の地質現象には、数万年以前より縄文時代にかけて、海進海退の影響があったことが考えられます。                                                                      
       《粘土層と粘土層に挟まれて厚さ2mほどの小角礫層が現れた》

 昭和54年12月に、いわきニュータウン造成工事中に上矢田地内の山中から多数の貝化石が産出されました。
 位置的には、鹿島神社の北側を吉野谷鉱泉方面へ向かって500メートルほど進んだ通称、千本松という地名があった海抜60メートルばかりの山頂です。その地をブルトーザーで表土を2メートルほど削った地層から、海棲の貝殻が出てきたということです。                                 
            《角礫層からは小石片や貝殻が算出した》 

 いわきの大地には幾つもの断層があり、その断層帯で例えば地震のような運動が生じると、海底だったところが山のように競り上がってくる現象が生じてきます。
 鹿島地区の随所で見られる貝の化石は、千数百万年前頃に、何らかの地殻変動が起きて、海底だった部分が盛り上がり、その時ヘドロの中に棲んでいた貝類なども一緒に陸上へ押し上げられたと思われています。





 
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