分類 : 歴
鹿島の石碑を探る(14) 場所 : いわき市鹿島町御代字柿境
鹿島街道を小名浜方面に進んでいくと船戸信号の先に「源太すし鹿島御代店」があります。そこから左側の旧道に入った所(写真の車が停車している左)に2基の墓石が並んでいます。
《旧、鹿島街道でこの先を行くと八坂神社がある》
明和元甲年十二月九日
清雲道光信士
梵字 霜月妙知信女 霊
明和四▲年十一月五日
寛政八辰二月十八日
壽光妙照信女
梵字 慈観妙心信女
往識實性信士
心 天明三卯八月五日 ←重視箇所
▲▲七年二月二十二日
注目すべきは写真右側の墓石で、天明三年と明記してあります。正に天明の飢饉で亡くなった人の墓石です。
天明の飢饉(1781~1789)は、有史以来の大量死を記録した飢饉で、長期間に亘って全国で天候の不順や転変地変が続きました。人々の間ではこの世の終わりかと騒ぎ立てるほどでした。
特に東北地方では冷害で壊滅的被害を受け、おびただしい餓死者を出しました。天明三(1783)年には浅間山が大爆発を起こし、東北地方の冷害に追い打ちをかけ大凶作に拍車をかけたのでした。
墓石の裏に置かれた塔婆の文字からでも当時の悲惨さが痛切に感じ取れます。
咽喉広大飲食充満
恐怖悉除離餓鬼趣
唯身土己心弥陀
鹿島の石碑を探る(14) 場所 : いわき市鹿島町御代字柿境
鹿島街道を小名浜方面に進んでいくと船戸信号の先に「源太すし鹿島御代店」があります。そこから左側の旧道に入った所(写真の車が停車している左)に2基の墓石が並んでいます。
《旧、鹿島街道でこの先を行くと八坂神社がある》
明和元甲年十二月九日
清雲道光信士
梵字 霜月妙知信女 霊
明和四▲年十一月五日
寛政八辰二月十八日
壽光妙照信女
梵字 慈観妙心信女
往識實性信士
心 天明三卯八月五日 ←重視箇所
▲▲七年二月二十二日
注目すべきは写真右側の墓石で、天明三年と明記してあります。正に天明の飢饉で亡くなった人の墓石です。
天明の飢饉(1781~1789)は、有史以来の大量死を記録した飢饉で、長期間に亘って全国で天候の不順や転変地変が続きました。人々の間ではこの世の終わりかと騒ぎ立てるほどでした。
特に東北地方では冷害で壊滅的被害を受け、おびただしい餓死者を出しました。天明三(1783)年には浅間山が大爆発を起こし、東北地方の冷害に追い打ちをかけ大凶作に拍車をかけたのでした。
墓石の裏に置かれた塔婆の文字からでも当時の悲惨さが痛切に感じ取れます。
咽喉広大飲食充満
恐怖悉除離餓鬼趣
唯身土己心弥陀