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鹿島の石碑を探る(10) 場所 : ① いわき市常磐上矢田町(鹿島神社鳥居付近)
② いわき市鹿島町久保(金光寺の境内)
上記の場所に全く同じ鹿島小学校発祥の地という石碑が建っています。
昔、その場所に現在の鹿島小学校の前身である小学校があったからです。
いわき市鹿島町は、明治22年以前までは12の村がそれぞれ独立していたので教育施設も数か所に分かれていました。
明治6年に小学校が義務教育として発足し同年、久保村金光寺に啓蒙小学校、上矢田村神宮寺に正徳小学校が設置されたのです。
▲神宮寺は鹿島神社下に現存しますが廃寺になっています。
〈 碑文 〉 鹿島小学校発祥の地
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①
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②
校名の「啓蒙」や「正徳」は中国の古典からとって名付けられています。
それまでは、一般庶民の教育は「寺子屋」で行われ、師匠となる人は僧侶が最も多く、次いで武士や神官でした。しかし、小学校は出来たといっても実情は財政上の問題から校舎を新設するほどの余裕が無かったために、暫くの間は寺子屋や塾などを改造、依存していたようです。
その後、双方の学校は校名を変えたり、移転したりと幾多の変遷を経て昭和9年10月に走熊字中島1番地に木造平屋建て瓦葺き校舎が造られました。
昭和54年、同地に待望の鉄筋コンクリート3階建て新校舎が完成し、そして平成25年には鹿島小学校創立140年を迎えたのです。