小松基地第2滑走路について 2022年6月
馳浩が「小松空港第2滑走路建設」を公約に掲げ、当選(3/13)してから急速に第2滑走路建設が加速している。小松基地滑走路(建設、増強)について、簡単に歴史的経過を確認しておこう。
1944年11月 小松基地滑走路完成(1500m×1700m)
1947年X月 滑走路補修(1720m×1500m)
1961年05月 2400m南北滑走路完成
1971年X月 滑走路かさ上げ発表→1973年10月完成
1978年05月 滑走路増設論(国際チャーター便就航)
1994年06月 第2滑走路案発表
1999年02月 滑走路かさ上げ方針
2000年12月 かさ上げ調査・設計着手
2002年05月 「仮滑走路着工」発表→2005年3月運用開始
2006年12月 本滑走路運用開始
2018年02月13日 福村県議「小松空港第2滑走路を」
2019年03月21日 第2滑走路建設意見書可決(小松市議会)
2020年02月27日 第1回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会」(第2滑走路を優先検討)
2020年05月21日 石川県が国に対して小松空港の資産調査を要望(最終報告は2021年度内)
2022年02月24日 ロシアによるウクライナ侵略戦争
2022年03月13日 馳浩県知事当選(第2滑走路建設公約)
2022年05月26日 小松空港国際化推進議連総会(第2滑走路検討)
2022年06月02日 第2回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会」
2022年06月10日 小松市長答弁(第2滑走路の是非を1年以内に結論を)
2022年06月14日 馳県知事答弁(第2滑走路の検討本格化)
2022年06月20日 小松空港協議会総会(馳会長「(第2滑走路)スピード感をもって議論」)
情報開示請求
6月2日に第2回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会(検討委員会)」が開催されたが、その第1回「検討会議」は2020年2月27日におこなわれた。同年8月に、「検討委員会」の資料・会議録などの開示請求をおこなったが、「検討途中の議論であり、公開することにより委員の率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれがあるほか、未成熟な情報の公開により、県民に不正確な理解を与えるおそれがあるため」という理由で、全文書の非公開決定の通知書が届いた。
2022年6月16日に、再度第1回「検討委員会」のレジュメ・資料・会議録の開示請求をおこなったところ、①会議次第、②委員名簿、③会議資料(「小松空港の現況及びこれまでの取り組み」、「小松空港中期ビジョン策定に向けての検討課題」、「小松空港に関する住民意識調査の結果」)、④議事概要など17枚の文書が開示(6/21)された。
たったこれだけ!?
ざっと見て、一体、これらの資料を開示したところで、「意見交換・意思決定の中立性を損ない、県民に不正確な理解を与える」ことになるのだろうか、むしろ、会議次第、委員名簿、会議資料は全県民が「会議」に関心を持ち、議論を啓発するのに必要最低限の情報ではないか。
そして、1時間30分の会議内容は、たった1枚の「議事概要」(388文字)しかなく、400字詰め原稿用紙1枚にも満たないのである。そのなかで、第2滑走路については、「30年先を見据え、第2滑走路が必要なのかそうでないのか、この場でしっかりと議論をしてほしい。第2滑走路については、民航側の利用だけでは、国にその必要性を理解してもらうことは難しいのではないか。共用空港としての事情等も勘案してもらい、必要性を理解してもらう必要がある」と書かれているだけである。
あまりにも情報隠しが酷いので、その足で県庁8階の空港企画課を訪問し、「議事概要」ではなく、「議事録」を開示するよう求めたが、「議事録はない」という返事で、ならば、「議事録不存在」の通知を出すよう要求し、泉さんは「了解」して、退去したが、未だに連絡がない(6/25)。
そして、28日になって、石川県情報公開室から、「議事録が開示された」という電話連絡があり、29日に受け取った。「なかった」はずの議事録があり、案の定、立派な肩書きの付いた出席者の名前が黒く塗りつぶされており、自分の発言に自信がないなら「委員になるなよ」と言いたい(内容については、後日報告したい)。
「住民意識調査」
第1回「検討委員会」開催前におこなわれた「住民意識調査」(2019/6~7)は、「世代別の航空利用状況」、「地域別の航空利用状況」についてのアンケート調査であり、結果は、第2滑走路を必要とするほどには、小松民航への期待がないことが明らかになり、「北陸新幹線敦賀延伸を見据え、航空利用の利便性周知等により、世代や福井県民等をターゲットとした需要の掘り起こしが必要」という結論を出している。そこには、現実(需要)から必要性を導くのではなく、結論(第2滑走路建設)に導くための条件作りであり、とても首肯できない論法である。
とくに、第2滑走路建設によって周辺住民の生活環境が激変するにもかかわらず、この問題に関する質問項目は一言半句もなく、無視しているのである。
何処に建設するのか
福村章県議は「現在小松市が工業用地として活用しようとしている20万平方メートル以上の隣接地をほかに転用したら拡張用地がなくなる」(2018/2/13県議会)と言っており、現在の滑走路の北側300mあたりに平行滑走路を想定しているようだ。
橋本米子さんは「現空港における滑走路増設について、「国土交通省の資料を見てみますと、滑走路間隔について…、滑走路間隔は、現在の管制方式基準による最少間隔300mでは、滑走路間に大型機が1時待機でき他の離着陸機への影響が出なく、一方、国際民間航空機関基準によると、最少間隔210mでは、滑走路間での大型機の一時待機が他の離着陸機に影響が出るなど制約が大きくなる…。このように滑走路の間隔については最低でも210m、独立して運用するためには300mを確保する必要がある」(2019/3/20小松市議会)として、反対意見を述べている(原資料にあたる必要あり)。
安宅新町は再び
これを地図上に書き込むと、下図のようになり、騒音苦から逃れて、1990年代に現地に集団移住した安宅新町住民にとって、第2滑走路ができると、その距離は約300mしかなくなり、再び航空機騒音に苦しめられることになる。しかも、第2滑走路予定地の北東延長線上には、草野町(500m)、浜佐美本町(700m)、浮柳町(800m)、鶴ヶ島町(1km)、安宅町(1.3km)、小島町(2km)がひしめいているのである。第2滑走路を建設し、住民の生活を犠牲にしてでも、経済効果と軍事効果を上げようというのか。本末転倒の言説である。
小松基地滑走路は過密か
福村は航空機の発着が過密だと言うが、「小松基地月間航空交通量」(2001~18年度)によれば、16年分の軍用機の管制総数は30万4480回、民間機は25万5326回で、年間平均で見ると、軍用機は1万9030回、民間機は1万5958回である。
<軍用機+民間機>の管制数で最も多かったのは2003年度の3万6280回だったが、2012年度以降は概ね3万5000回を前後している。1日(午前8時から午後8時までの12時間)に96回程度で、1時間に8回、8分間に1回程度の発着である(注:自衛隊機は土・日の訓練はないので、微修正が必要)。この程度を「過密」などと言うのは「黒いカラスを白い」と言うのにひとしい。インターネット情報では、福岡空港の2017年度の発着回数は17万8000回で、1日15時間運用で、2分に1回の割合で発着している。
スクランブル発進について
福村章県議は「小松基地においては、…対岸諸国からの脅威に日本国がさらされている…。…平成当初は年600回であったスクランブルが平成28(2016)年には1,068回、大幅にふえている。…最近、元小松基地司令が『日本海が大変な脅威にさらされている中、民航が優先され、基地が自由に使えない』との不満…」(2018/2/13県議会)と発言している。
この数値は航空自衛隊全体のスクランブル発進の数値であり、小松基地単独の数値ではない。小松基地に限って言えば、手元には、1970年から2006年の37年分の資料しかないが、1981年前後は年間180回を記録しているが、その後激減し、2005年には9回だけである。2007年以降、小松基地は緊急発進数を発表していないので、中部航空方面隊(小松+百里)の年間スクランブル数を見ると、<2017年度=56回、2018年度=52回、2019年度=35回、2020度年36回、2021年度=31回>である。すべてが小松基地からの緊急発進だとしても、1カ月に2、3回程度である。
福村章は、民航が軍事(スクランブル発進)を圧迫しているかのように言いなしているが、川崎順次小松市議は「今、何の支障もない」「(自衛隊は)現状で滑走路の2本は要らない」という防衛省の見解を紹介しており(2019/3/20小松市議会)、福村章は180度真逆のことを述べている。
日本海周辺の情勢の緊迫化
福村章の第2滑走路必要論の根拠は元小松基地司令発言(日本海が大変な脅威にさらされている中、民航が優先され、基地が自由に使えない)にあるようだが、ここに第2滑走路建設の本音がある。民航のためといいながら、実は自衛隊(戦争)のために第2滑走路を造ろうとしているのである。
ここ数年間の日本海周辺の情勢を俯瞰すると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル発射訓練、韓国のSLBM発射実験・大型ロケット発射実験が相次いでいる。最近でも、中国・ロシアの爆撃機6機長距離飛行(5/24)、北朝鮮弾道ミサイル発射(5/25)、日米共同訓練(5/25)、沖縄南東での米韓合同軍事演習(6/2~4)、北朝鮮ミサイル8発発射(6/5)、日米弾道ミサイル対処共同訓練(6/5)、米韓軍ミサイル8発発射(6/6)、黄海上空で米韓軍戦闘機20機の編隊飛行(6/7)など、日米による軍事的挑発によって南北関係の緊張が高まっている。
本当の目的は
とくに、2・24ロシアによるウクライナ侵略後、馳県政(3/13当選)が始まるや、休眠中だった「検討委員会」を再開し、第2滑走路建設の道筋を付けようとしている。その目的は、小松基地の「抗堪性」を強化することが目的である。
小松基地では「抗堪性」を高めるために、1989年に三昧谷地区を買収し、2015年までに16基の防弾格納庫(掩体)を完成させている。2004年に、管制塔を建て替え、15チャンネルから24チャンネルにグレードアップした。2025年にはF35戦闘機の配備を予定し、第2滑走路建設によって「抗堪性」(攻撃能力)を高めようとしているのである。
滑走路の幅を2倍にしたり、埋め戻されている仮滑走路を復活させれば、「抗堪性」を向上させることができるが、現時点では露骨な軍備強化方針であり、社会的非難が巻き起こるので、「民航の強化」というカムフラージュを必要としているのだ。(防衛省の腹のなかには、仮滑走路があるので、敢えて波風を立ててまで第2滑走路を要求していないのであろう)
いずれにしても、私たちは騙されてはならないのだ。
当ブログ「20180215小松基地第2滑走路について」を参照。
馳浩が「小松空港第2滑走路建設」を公約に掲げ、当選(3/13)してから急速に第2滑走路建設が加速している。小松基地滑走路(建設、増強)について、簡単に歴史的経過を確認しておこう。
1944年11月 小松基地滑走路完成(1500m×1700m)
1947年X月 滑走路補修(1720m×1500m)
1961年05月 2400m南北滑走路完成
1971年X月 滑走路かさ上げ発表→1973年10月完成
1978年05月 滑走路増設論(国際チャーター便就航)
1994年06月 第2滑走路案発表
1999年02月 滑走路かさ上げ方針
2000年12月 かさ上げ調査・設計着手
2002年05月 「仮滑走路着工」発表→2005年3月運用開始
2006年12月 本滑走路運用開始
2018年02月13日 福村県議「小松空港第2滑走路を」
2019年03月21日 第2滑走路建設意見書可決(小松市議会)
2020年02月27日 第1回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会」(第2滑走路を優先検討)
2020年05月21日 石川県が国に対して小松空港の資産調査を要望(最終報告は2021年度内)
2022年02月24日 ロシアによるウクライナ侵略戦争
2022年03月13日 馳浩県知事当選(第2滑走路建設公約)
2022年05月26日 小松空港国際化推進議連総会(第2滑走路検討)
2022年06月02日 第2回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会」
2022年06月10日 小松市長答弁(第2滑走路の是非を1年以内に結論を)
2022年06月14日 馳県知事答弁(第2滑走路の検討本格化)
2022年06月20日 小松空港協議会総会(馳会長「(第2滑走路)スピード感をもって議論」)
情報開示請求
6月2日に第2回「小松空港中期ビジョン策定検討委員会(検討委員会)」が開催されたが、その第1回「検討会議」は2020年2月27日におこなわれた。同年8月に、「検討委員会」の資料・会議録などの開示請求をおこなったが、「検討途中の議論であり、公開することにより委員の率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれがあるほか、未成熟な情報の公開により、県民に不正確な理解を与えるおそれがあるため」という理由で、全文書の非公開決定の通知書が届いた。
2022年6月16日に、再度第1回「検討委員会」のレジュメ・資料・会議録の開示請求をおこなったところ、①会議次第、②委員名簿、③会議資料(「小松空港の現況及びこれまでの取り組み」、「小松空港中期ビジョン策定に向けての検討課題」、「小松空港に関する住民意識調査の結果」)、④議事概要など17枚の文書が開示(6/21)された。
たったこれだけ!?
ざっと見て、一体、これらの資料を開示したところで、「意見交換・意思決定の中立性を損ない、県民に不正確な理解を与える」ことになるのだろうか、むしろ、会議次第、委員名簿、会議資料は全県民が「会議」に関心を持ち、議論を啓発するのに必要最低限の情報ではないか。
そして、1時間30分の会議内容は、たった1枚の「議事概要」(388文字)しかなく、400字詰め原稿用紙1枚にも満たないのである。そのなかで、第2滑走路については、「30年先を見据え、第2滑走路が必要なのかそうでないのか、この場でしっかりと議論をしてほしい。第2滑走路については、民航側の利用だけでは、国にその必要性を理解してもらうことは難しいのではないか。共用空港としての事情等も勘案してもらい、必要性を理解してもらう必要がある」と書かれているだけである。
あまりにも情報隠しが酷いので、その足で県庁8階の空港企画課を訪問し、「議事概要」ではなく、「議事録」を開示するよう求めたが、「議事録はない」という返事で、ならば、「議事録不存在」の通知を出すよう要求し、泉さんは「了解」して、退去したが、未だに連絡がない(6/25)。
そして、28日になって、石川県情報公開室から、「議事録が開示された」という電話連絡があり、29日に受け取った。「なかった」はずの議事録があり、案の定、立派な肩書きの付いた出席者の名前が黒く塗りつぶされており、自分の発言に自信がないなら「委員になるなよ」と言いたい(内容については、後日報告したい)。
「住民意識調査」
第1回「検討委員会」開催前におこなわれた「住民意識調査」(2019/6~7)は、「世代別の航空利用状況」、「地域別の航空利用状況」についてのアンケート調査であり、結果は、第2滑走路を必要とするほどには、小松民航への期待がないことが明らかになり、「北陸新幹線敦賀延伸を見据え、航空利用の利便性周知等により、世代や福井県民等をターゲットとした需要の掘り起こしが必要」という結論を出している。そこには、現実(需要)から必要性を導くのではなく、結論(第2滑走路建設)に導くための条件作りであり、とても首肯できない論法である。
とくに、第2滑走路建設によって周辺住民の生活環境が激変するにもかかわらず、この問題に関する質問項目は一言半句もなく、無視しているのである。
何処に建設するのか
福村章県議は「現在小松市が工業用地として活用しようとしている20万平方メートル以上の隣接地をほかに転用したら拡張用地がなくなる」(2018/2/13県議会)と言っており、現在の滑走路の北側300mあたりに平行滑走路を想定しているようだ。
橋本米子さんは「現空港における滑走路増設について、「国土交通省の資料を見てみますと、滑走路間隔について…、滑走路間隔は、現在の管制方式基準による最少間隔300mでは、滑走路間に大型機が1時待機でき他の離着陸機への影響が出なく、一方、国際民間航空機関基準によると、最少間隔210mでは、滑走路間での大型機の一時待機が他の離着陸機に影響が出るなど制約が大きくなる…。このように滑走路の間隔については最低でも210m、独立して運用するためには300mを確保する必要がある」(2019/3/20小松市議会)として、反対意見を述べている(原資料にあたる必要あり)。
安宅新町は再び
これを地図上に書き込むと、下図のようになり、騒音苦から逃れて、1990年代に現地に集団移住した安宅新町住民にとって、第2滑走路ができると、その距離は約300mしかなくなり、再び航空機騒音に苦しめられることになる。しかも、第2滑走路予定地の北東延長線上には、草野町(500m)、浜佐美本町(700m)、浮柳町(800m)、鶴ヶ島町(1km)、安宅町(1.3km)、小島町(2km)がひしめいているのである。第2滑走路を建設し、住民の生活を犠牲にしてでも、経済効果と軍事効果を上げようというのか。本末転倒の言説である。
小松基地滑走路は過密か
福村は航空機の発着が過密だと言うが、「小松基地月間航空交通量」(2001~18年度)によれば、16年分の軍用機の管制総数は30万4480回、民間機は25万5326回で、年間平均で見ると、軍用機は1万9030回、民間機は1万5958回である。
<軍用機+民間機>の管制数で最も多かったのは2003年度の3万6280回だったが、2012年度以降は概ね3万5000回を前後している。1日(午前8時から午後8時までの12時間)に96回程度で、1時間に8回、8分間に1回程度の発着である(注:自衛隊機は土・日の訓練はないので、微修正が必要)。この程度を「過密」などと言うのは「黒いカラスを白い」と言うのにひとしい。インターネット情報では、福岡空港の2017年度の発着回数は17万8000回で、1日15時間運用で、2分に1回の割合で発着している。
スクランブル発進について
福村章県議は「小松基地においては、…対岸諸国からの脅威に日本国がさらされている…。…平成当初は年600回であったスクランブルが平成28(2016)年には1,068回、大幅にふえている。…最近、元小松基地司令が『日本海が大変な脅威にさらされている中、民航が優先され、基地が自由に使えない』との不満…」(2018/2/13県議会)と発言している。
この数値は航空自衛隊全体のスクランブル発進の数値であり、小松基地単独の数値ではない。小松基地に限って言えば、手元には、1970年から2006年の37年分の資料しかないが、1981年前後は年間180回を記録しているが、その後激減し、2005年には9回だけである。2007年以降、小松基地は緊急発進数を発表していないので、中部航空方面隊(小松+百里)の年間スクランブル数を見ると、<2017年度=56回、2018年度=52回、2019年度=35回、2020度年36回、2021年度=31回>である。すべてが小松基地からの緊急発進だとしても、1カ月に2、3回程度である。
福村章は、民航が軍事(スクランブル発進)を圧迫しているかのように言いなしているが、川崎順次小松市議は「今、何の支障もない」「(自衛隊は)現状で滑走路の2本は要らない」という防衛省の見解を紹介しており(2019/3/20小松市議会)、福村章は180度真逆のことを述べている。
日本海周辺の情勢の緊迫化
福村章の第2滑走路必要論の根拠は元小松基地司令発言(日本海が大変な脅威にさらされている中、民航が優先され、基地が自由に使えない)にあるようだが、ここに第2滑走路建設の本音がある。民航のためといいながら、実は自衛隊(戦争)のために第2滑走路を造ろうとしているのである。
ここ数年間の日本海周辺の情勢を俯瞰すると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル発射訓練、韓国のSLBM発射実験・大型ロケット発射実験が相次いでいる。最近でも、中国・ロシアの爆撃機6機長距離飛行(5/24)、北朝鮮弾道ミサイル発射(5/25)、日米共同訓練(5/25)、沖縄南東での米韓合同軍事演習(6/2~4)、北朝鮮ミサイル8発発射(6/5)、日米弾道ミサイル対処共同訓練(6/5)、米韓軍ミサイル8発発射(6/6)、黄海上空で米韓軍戦闘機20機の編隊飛行(6/7)など、日米による軍事的挑発によって南北関係の緊張が高まっている。
本当の目的は
とくに、2・24ロシアによるウクライナ侵略後、馳県政(3/13当選)が始まるや、休眠中だった「検討委員会」を再開し、第2滑走路建設の道筋を付けようとしている。その目的は、小松基地の「抗堪性」を強化することが目的である。
小松基地では「抗堪性」を高めるために、1989年に三昧谷地区を買収し、2015年までに16基の防弾格納庫(掩体)を完成させている。2004年に、管制塔を建て替え、15チャンネルから24チャンネルにグレードアップした。2025年にはF35戦闘機の配備を予定し、第2滑走路建設によって「抗堪性」(攻撃能力)を高めようとしているのである。
滑走路の幅を2倍にしたり、埋め戻されている仮滑走路を復活させれば、「抗堪性」を向上させることができるが、現時点では露骨な軍備強化方針であり、社会的非難が巻き起こるので、「民航の強化」というカムフラージュを必要としているのだ。(防衛省の腹のなかには、仮滑走路があるので、敢えて波風を立ててまで第2滑走路を要求していないのであろう)
いずれにしても、私たちは騙されてはならないのだ。
当ブログ「20180215小松基地第2滑走路について」を参照。