アジアと小松

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小松基地問題研究会

19690312王子判決

2019年09月15日 | 落とし文
昭和四三年刑(わ)第一七〇四号
判決
            

本籍ならびに住居 ××××××××××××
 学生
 ××× 昭和二二年×月××日生

 右の者に対する公務執行妨害、傷害被告事件につき、当裁判所は、検察官田中豊、弁護人OA出席のうえ審理し、つぎのとおり判決する。

主文
被告人を懲役五月に処する。
この裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由
(罪となる事実)

 被告人は、金沢大学法文学部二年に在学中であるが、米国陸軍野戦病院(王子キャンプ)の開設は米帝国主義のヴェトナム侵略援助の一環にほかならないと考え、これに反対し、日本の戦争参加拒否の意思を表明する目的で、東京都公安委員会の許可を受けて、昭和四三年四月一日午後六時過ぎから北区立柳田公園で開かれた東京反戦青年委員会主催の「北区米軍野戦病院設置反対青年集会」に参加し、午後七時四〇分ころ、引続き行われた集団示威運動に加わり、柳田公園を出発し、十条通りを経て王子警察署本町派出所の交差点にゆき、左折して王子キャンプに向い、王子新道を行進した。

 一方警視庁第一機動隊第三中隊(中隊長警部TY以下六四名)は、同日右集団示威運動に伴つて発生が予想される東京都公安条例三条によってつけられた条件の違反行為、投石、角材による殴打等の違法行為に対して、右条例四条、警察官職務執行法五条、刑事訴訟法所定の規定によって、その要件をみたせば規制、制止、検挙する任務をもって出動し、午後七時四五分ころ北区王子本町一丁目十三番の路地(王子新道脇)で、三列縦隊をつくり待機していた。

 ところが午後八時十分ころ、王子新道を行進して来た学生集団の一部は、右路地に待機中の第一機動隊第三中隊に対して投石して来たので、同中隊は防石ネット二張りを前面に張り、大盾をならべてこれに対処し、これを路地から王子新道上に制圧した。同中隊第一小隊第三分隊所属の巡査ST(昭和十九年十月三日生)は防石ネットの右側支柱を右手に持ち前進したが、午後八時十五分ころ同中隊最前部が前記王子本町一丁目十三番付近の王子新道上に出た際、被告人および他の学生約十名は、互いに意思を通じて、所携の角材を携えて同中隊に向かい、同中隊に接触するや角材を振つて大盾、ネットなどになぐりかかり、被告人も警察官に対して、所携の角材を構え、右角材で、ネット支柱を把持していたS巡査の右手拇指を殴打して、暴行を加え、前記のように違法行為に対する規制、検挙等の任務に従事していた同巡査の職務の執行を妨害した。その際被告人は、右暴行により同巡査に診療治療一回、化膿止め服薬、痛みがとれるまでに約二週間を要した右拇指挫傷(爪床下出血)の傷害を与えた。

 一方警視庁第一中隊(中隊長TH以下八二名)は、第四中隊と共に、第三中隊とは王子新道をへだてた反対側の王子本町一丁目二〇番路地に、第三中隊と同じ任務をもつて待機していたが、王子新道を進んで来た学生集団の一部からも、同中隊に向かい、投石、角材等による違法行為が加えられたので、防石ネットを張り、大盾を中隊前面にならべて、王子新道入口まで前進した。その際、午後八時十五分ころ、第一中隊第一小隊第三分隊所属の巡査ST(昭和十八年二月二三日生)は、学生集団の一部が角材を構え、反対側路地の第三中隊前面に進むのを認め、被告人の前記S巡査に対する前記暴行を現認したので、公務執行妨害の現行犯人として、被告人を逮捕しようとしたところ、被告人は所携の角材で同巡査の右大腿部を殴打して、暴行を加え、同巡査の公務の執行を妨害した。その際被告人は、右暴行により、同巡査に診療治療一回、いたみがとれるまで数日を要した左大腿部打撲傷(くるみ大の皮下出血)を与えた。

(証拠の標目)
一、TY、TS、ST、YN、UK、SKの当公判廷における各供述
一、司法巡査YN、司法警察員YY各作成の写真撮影報告
一、司法巡査YN、UK各撮影の写真二葉
一、東京都公安委員会作成の集会、集団示威運動許可書謄本
一、被告人の当公判廷における供述(判示認定に反する部分は除く)

 なお、弁護人は、「東京都公安条例四条により集団示威運動を規制しうる場合は、警職法五条の要件が必要であり、かつその規制は必要最少限度のものでなければならない。しかるに本件デモの規制は、許可された集団示威運動に対し、単に隊列、角材の所持等の点について形式的条件違反の行為をとらえ、警職法五条の要件をみたしていないにもかかわらず、なされた規制であって、このような規制は違法かつ過剰なものというべきである。したがつて、警察官の本件職務の執行は不適法であるので、公務執行妨害罪は成立しない。」旨は主張する。

 しかしながら、本件規制は判示認定のように学生らの投石あるいは角材による殴打等の違法行為の生じた段階において、その排除是正のためになされたもので、判示状況下にあっては警職法五条の要件をもみたしているものと認められ、また規制方法も過剰な違法なものであるとは認めがたいので、公安条例四条の規制の要件について、警職法五条所定の要件が必要であるか否かを論ずるまでもなく、本件において適法な規制と解することができる。してみれば、本件公務の執行は適法であって、公務執行妨害罪の成立を妨げるものではない。これに反する弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)
 被告人の判示所為のうち、公務執行妨害の点は包括して刑法九五条一項、六〇条(現場での意思連絡につき)に、各傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号にあたるが、右公務執行妨害と各傷害とはそれぞれ一個の行為にして二個の罪名にふれる場合であるから、刑法五四条一項前段、十条により刑期および犯情の最も重いS巡査に対する傷害罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を懲役五月に処する。情状により同法二五条一項に従い、この裁判確定の日から二年間右の刑の執行を猶予する。なお、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させる。

昭和四四年三月十二日
東京地方裁判所刑事十八部二係
裁判官 粕谷俊治

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 一九六八年四月一日の、その日から、もう、五〇年が過ぎたが、一緒に縛についた仲間は元気だろうか? 起訴後、都内各地の留置場から東京拘置所に移送された。一列に並ばされ、軍隊式に、左から順番に、番号を言えという。そこには、個としての人格(名前)は封印され、「非人格」化された番号として扱われた。となりの学生が、「なな」と言った途端に、刑務官は「もとい、やり直し!」と叫んだ。そして「ななという数字はない」と、おまえたちの自由にはさせないぞという決意だったのだろう。

 明治期以降のたたかう先輩たちの汗と涙が染みついた東拘は、私たちの故郷だった。私たちには東拘でさえも自由だった。どこからともなく♪インターナショナル♪が流れてきて、みんなで唱和して、気勢をあげた。短期間のうちに、保釈金六万円で保釈された。沖縄からの留学生が万単位で拠出してくれたと聞かされたが、ちゃんとお礼を言ったのかどうか記憶に残っていない。不義理を果たしたのかも知れない。それから、私たちを弁護して下さったOA弁護士は元気だろうか? 年上の素敵な女性だった。
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