6月16日から、小学生のための「道徳教科書」(1~6年生)8社48冊が展示された。限られた時間で、すべてをチェックするのは困難なので、5年生と6年生にかぎって見た。それでも16冊である。来年度から、子どもたちは「道徳教科書」を手にすることになるが、教育労働者が子ども達とともに子どもの権利条約、世界人権宣言を学ぶ機会を得られる教科書を選択してほしいものである。 . . . 本文を読む
総じて道徳教育は子どもたちが自分で考え・判断することを禁じ、国にとって望ましい人間像や生き方の枠組みを示し、体制順応を求める教育勅語の世界ではないか。図らずも、森友学園問題が世上に曝露され、安倍政権がめざすべき教育の実態が明らかになった。長年天下りを繰り返し、道義も道徳も失った文科省官僚に、「道徳」などを口にさせてはならない。 . . . 本文を読む
比較憲法学とは日本国憲法と他国の憲法(日本国憲法と自民党草案)を比較検討して、その性格と位置を明瞭化する学問である。本書では、①改憲手続き、②改憲回数、③改正の限界の有無、④憲法擁護義務、⑤人権規定の有無、⑥家族の位置づけ、⑦戦争放棄、⑧押しつけ論などについて検討している。 . . . 本文を読む
日本国憲法第29条第1項には「財産権は、これを侵してはならない」とありますが、対談本のなかでは一切議論の対象になっていません。私有財産制こそが日本国憲法の最も守りたい聖域であり、それが今日の日本の諸問題を生み出している根源です。その聖域を守るために、その枠内での権利規定であることを明確にしておく必要があると思いました。 . . . 本文を読む
本書は明治憲法の元首天皇制から新憲法の国民主権への転換がアメリカに押しつけられたのか、それとも日本に内在していたのかを考究している。著者は日本国憲法の最も重要な部分、天皇制と人民主権に関して検証しているが、憲法9条問題については一切触れていない。 . . . 本文を読む
こんなに恥ずかしい「押しつけ」論
『Will』11月号には、「こんなに恥ずかしい日本国憲法」という特集が組まれ、古森義久(産経新聞論説委員)は「象徴天皇は私たちが作った―ケーディスの証言」という駄文を投稿している。
古森はケーディスの「天皇を『国の象徴』とか『国民統合の象徴』とする表現は実は私たちがふっと考えて、作り出したものなのです」という証言を引用している。
さて、古森はこの証言 . . . 本文を読む
今回の天皇ビデオメッセージはまるで「玉音放送」のようだ。
日本国憲法のもとでは、天皇は「個人」ではなく国家機関(象徴)である。主体的に見れば、戦後革命の敗北によって、天皇制に終止符を打つことが出来ず、天皇制に「民主主義」を接ぎ木することを許容してしまったことがそもそもの問題なのである。 . . . 本文を読む
二宮尊徳がはじめて「修身教科書」に登場したのは1904年の国定「修身書」であった。以下、「修身書」登場までの経過を尾崎耕典「明治の道徳教育=教育政策を中心に=」(帝京大学紀要1966年)でたどる。 . . . 本文を読む
『精選 尋常小学校修身書』(八木秀次2002年)を読む
著者・八木秀次は「(編集では)内容は今日読んでも古びていないものを採用し、今日通用しないものや誤解される可能性のあるものは採用しなかった」と述べている。八木が「今日通用させたい」という強い意志を、吉田松陰(6項)から見てみよう。そこには天皇賛美、国体明徴、尊皇愛国、忠君愛国がストレートに語られている。
八木秀次は「新しい歴史教科書をつ . . . 本文を読む