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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

俺の命令に逆らうのかっ!

2016-12-21 16:51:06 | Weblog

私用PCが不機嫌なので、本日はこれにて失礼させていただきます。

リモートが全然ダメなんですよぉ……。

帰宅したら、今夜はサシで対決かなぁ~~。

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明るさは前向きの一歩

2016-12-20 19:36:17 | 歌謡曲
恋のアメリアッチ / 三田明 (日本ビクター)
 
あくまでもサイケおやじの個人的な想いではありますが、三田明は常に前向きというか、どんなに苦しくとも、貧困や病気、周囲の無理解にさえも負けずに生きていこうっ!
というイメージが、そのルックスや歌の世界から発散されていました。
 
ですから、昭和の高度成長期と自らの芸能生活の全盛期が重なっていた事にも整合性があったように思いますし、リアルタイムで制作発売されていた楽曲に、今日でもそうした満ち溢れるエネルギーを感じるのも、聴く度に納得される真実です。
 
それは例えば昭和41(1966)年夏に発売された本日掲載のシングル盤ジャケ写に登場の颯爽とした佇まい、そして殊更収録A面曲「恋のアメリアッチ」のひたすらに高揚していく青春応援歌みたいな仕上がりのジャストミート感に大顕著!
 
なにしろ直向きに明るいベクトルを希求提唱した山上路夫の作詞にアッパーなフルバンオーケストラのアメリアッチ系ジャズサウンドを施した吉田正の作編曲がとにかく痛快ですし、もちろん三田明の快活なボーカルは、これ以上無いほどに青春ド真ん中♪♪~♪
 
ちなみにジャケ写の中の三田明がドラムを叩くイメージというのは、この演奏パートでは非常にドラムスの存在感が強い所為でしょうか、そのドスンバタンのフィーリングはジャズとロックのハイブリット的でもあり、アメリアッチという当時は新種のラテンロック&ジャズを歌謡曲っぽく解釈したと云えば勘違いかもしれませんが、それでも確かに歌と演奏をグイグイとノセていくパワーがあるんですよねぇ~~♪
 
また、それがあるからこそ、弾けるホーンセクションの気持良さやジャズロック寸前のギター等々が尚更に素敵に聴けるように思います。
 
そして三田明のボーカルが、その主役である事は言わずもがな!
 
あぁ~、今こそ誰か男性若手歌手、あるいはジャニーズ系のグループでも、これを同じ味わいでカバーしてくれませんかねぇ~~♪
 
尤も、誰がやっても三田明のオリジナルバージョンには勝てないという結果は分かっているんですけど!?!
 
ということで、本日も仕事で苦しみましたが、こ~ゆ~時こそ三田明的前傾姿勢が必要なのかもしれません。
 
明日も頑張るっ!
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不滅の愛のさざなみ

2016-12-19 16:45:17 | 歌謡曲
愛のさざなみ / 島倉千代子 (日本コロムビア)

島倉千代子が昭和43(1968)年に大ヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「愛のさざなみ」が何時の時代も色褪せぬ傑作という評価は、決して否定されるべきではありません。

もちろん作詞:なかにし礼&作曲:浜口庫之助が企図したところは、島倉千代子にジャストミートするポップス歌謡であり、それまでの島倉千代子のイメージから一歩踏み出した、極めて洋楽チックな狙いがあったと思いますが、それもこれもリアルタイムの昭和43(1968)年が我が国芸能界ではGSブームが頂点の時期であり、加えて洋楽では所謂サイケデリックとかニューロックなぁ~んていう新しい色合いのレコードが次々に入って来ていたのですから、既に立ち位置を確立していた歌謡スタアでさえも、それらを意識せざるをえないものがあったのでしょう。

なにしろ女王・美空ひばりがミニスカ姿でGS歌謡の「真っ赤な太陽」を出していた時代です。

それに追従したレコードを作ったとしても、スタアの看板に傷がつくなんてことは無いという保証があったわけですから!?!

で、そんな雰囲気の中で、最初に「愛のさざなみ」を聴けた中学生のサイケおやじは、なんてオシャレな歌謡曲でせうっ!

と、一発で気に入り、お金も足りないのにレコード屋の店頭で現物ジャケットを見た瞬間、これまた仰天!

だって、このスリーブデザインは、まさに流行のフラワームーヴメントがズバリとモロ出しでしたし、そこにはバックの演奏者として外人ミュージシャンが写真入りで載っているという、これは当時の歌謡曲のレコードでは非常に珍しい事だったんですよっ!

つまり海外レコーディングが敢行されていたという、昭和40年代では大変に豪華な作品というウリまであったのですから、たまりません。

しかし、そんな事が無かったとしても、島倉千代子が歌う「愛のさざなみ」は絶対に大ヒットしていたに違いありません。

そして現在まで、幾つものカバーバージョンが世に出ているという実状、さらにはカラオケでの定番化も含めて、おそらくは日本のスタンダード曲になっているんじゃ~ないでしょうか。

ちなみに先日放送されたNHKの歌番組では、浅丘ルリ子がこの「愛のさざなみ」を歌ってくれましたが、なかなか上手い・下手を超越した「味」の世界が披露されていましたし、サイケおやじの周辺でも先週末に誘われたカラオケ屋の一場面として、ユダヤ系の外人女性が、これをイイ塩梅の日本語イントネーションで歌いきるという「芸」で和みの盛り上げ♪♪~♪

うむ、色褪せぬ名曲の条件には、誰が何処で歌おうとも、ジャストミートさせるツボがあるんですねぇ~~♪
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今は男性デュオのヒット曲ってあるのかなぁ~

2016-12-18 16:41:22 | 歌謡曲
あずさ2号 / 狩人 (ワーナーパイオニア)

同族経営の会社は珍しくもありませんが、時と場合によっては、それゆえのトラブルやゴタゴタを常に抱えている所も少なくはないでしょう。

実名を挙げるまでもなく、有名な会社ともなれば、そんな話を面白可笑しく誇張して報道するマスコミだってありますし、なによりも株主とか銀行が黙っていられないのは、血は水よりも濃い!?

なぁ~んていう宿業を見定めての事かと思います。

だからでしょうか、実は昨日の宴会に来ていた某社トップの兄弟が周囲の良くない噂を他所に、なかなか見事な連携でその場を盛り上げて(?)いたのは、それほど内情を知らないサイケおやじにとっては理屈抜きで楽しい憩いでありましたし、例えそれが対外的な見せかけであったとしても、そ~ゆ~事を立派(?)にやれるのは、血縁の絆という、羨ましきものかもしれません。

なにしろ二次会で流れた先のカラオケ大会では、兄弟歌謡の代名詞とも言える本日掲載のシングル盤A面曲、つまり昭和52(1977)年に兄弟デュオの狩人が放った「あずさ2号」を抜群のコンビネーションで披露し、万雷(?)の拍手喝采でしたからねぇ~~~♪

ここまでやれるんだったら、心配する方がどうかしているんじゃ~ないか?

という気分にさせられたほどです。

ちなみに「あずさ2号」は、この歌が流行っていた当時現存していた新宿発の列車であり、作詞:竜真知子&作曲:都倉俊一の歌の世界に触発された女性が大勢、この特急で松本方面へ一人旅に出るブームが社会現象になっていましたし、映画では例えば日活ロマンポルノの大傑作にして大ヒット作「桃尻娘(小原宏裕監督)」にもひとつのエピソード的に描かれており、またテレビドラマでも便乗企画が多数あったと記憶するところです。

ということで、最後になりましたが、前述の狩人は加藤邦彦&加藤高道の兄弟デュオとして、この「あずさ2号」をメガヒットさせた前後はアイドル的な人気も集めていましたし、他にも「コスモス街道」「国道ささめ雪」「アメリカ橋」等々のシングルヒット、また味わい深く、幾分マニアックな楽曲もレコーディングしていますので、今でも根強い人気があるんじゃ~ないでしょうか。

実際、サイケおやじの母はかなりのファンで、掲載のシングル盤もそのコレクションを拝借したものです。

また、これは真偽定かではないものの、狩人の兄弟仲は決して良くないという話も耳に入ってはおりますが、根底には「血の絆」がありますから、愛憎表裏一体のエネルギーは認められているに違いありませんし、認めざるをえないものを感じてしまうのでした。
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両面宿儺はこの世の理

2016-12-17 17:36:30 | 日本のロック
泣かずにいてね c/w チュッ!チュッ!チュッ! / ザ・カーナビーツ (フィリップス)

面従腹背はサイケおやじの得意技なので、ど~のこ~のと他人の態度を評する事は決して出来ないんですが、それにしても最近仕事で親密になった某氏の裏表の顔の落差・格差は凄いなぁ~~、と感心させられるばかりです。

例えば平素は人当たりの良い態度が、相手の傍若無人やスジの通らなさに対しては、突然怖い口調で封じ込めにかかるし、自分の役目に徹する場合には、それこそ地面に頭を押し付けんばかりに平伏!

しかし、一方では絶対に主張を曲げず、それでいて融通は利きすぎるほどに物分かりが良い人物なんですから、普通に考えれば嫌われ者のはずが、なかなかの人望を各方面で集めているんですから、あれぇ~~~、てなもんです。

それは実際、サイケおやじにしても、少なくとも仕事では信頼感を覚えますし、様々にやり易い事が多々あるもんですから、決して蔑ろには出来ないなぁ~、と思うばかりなんですよ。

人間誰しも、大なり小なり、裏表があって当然の世の中、そこで思い出して取り出したのが昭和43(1968)年にカーナビーツが出した本日掲載のシングル盤で、まずはA面の「泣かずにいてね」がベタベタの歌謡曲!?

ところがB面に収録された「チュッ!チュッ!チュッ!」がハチャメチャに弾けたニッポンのロックなんですから、その落差・格差は実際に皆様に聴いていただく他はありませんし、しかも両面2曲共に作詞:橋本淳&作編曲:すぎやまこういち!

まさにプロの仕事と言っちゃ~お終いなんでしょうが、こ~ゆ~ものが堂々と罷り通っていたのも昭和元禄の底力であり、この世のひとつの理なのかもしれません。

もちろんカーナビーツにとっては、その両方が共に表の顔でありましょうし、人気の秘密の一端だったように思います。

ということで、常日頃からバランス感覚の悪いサイケおやじは、つまるところ世渡りが下手ですし、引かされた貧乏籤にも即座に気が付かない時も間々あるという……。

本当に自嘲の上塗りです。

さあ、ありがたい事に今夜は宴会のお誘いもいただきましたので、裏も表もどっちが本当なのか?

そんなふうに盛り上がりたいものです。
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年の瀬は浅川マキ

2016-12-16 16:50:15 | 浅川マキ
ちっちゃな時から c/w ふしあわせという名の猫 / 浅川マキ (東芝)
 
浅川マキも年末になると思い出す歌手でして、それは昭和40~50年代には当然の様にあちらこちらで開催されていた大晦日年越しライブでは常連だった事に加え、サイケおやじが初めて浅川マキの歌「かもめ」をラジオで聴いたのが昭和44(1969)年の師走だった事にも起因しています。
 
そして次に聴いたのが、翌年早々に新曲扱いで紹介された本日掲載のシングル盤A面曲「ちっちゃな時から」だったんですが、これが驚くなかれ、当時の洋楽流行では最先端だったブラスロックがモロ出しのイントロで、具体的にはブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&Tの大ヒット曲「Spinnig Wheel」からそれをまんま引用している衝撃の潔さ!?
 
さらに曲調がR&B歌謡の王道路線なんですから、浅川マキのジャズブル~スな独特の節回しもニクイほどに冴えまくりなんですよっ!
 
ちなみに楽曲のクレジットを確認すると作詞は浅川マキ、作曲がキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」等々の名曲を書いたむつひろし、そしてアレンジが宮間利之とニューハードの大黒柱であるギタリストにして優れた作編曲の山木幸三郎なんですから、全て納得されるところだと思います。
 
もちろんバックの演奏パートに参加しているのは横内章次(g)、今田勝(p,key)、原田政長(b)、チコ菊池(ds) 等々の超一流ジャズプレイヤーであり、同時にその頃の我が国芸能界におけるレコード制作の現場スタジオでも売れっ子だった面々ですから、素晴しい仕上がりは言わずもがなでしょう。
 
それはB面に収録された作詞:寺山修司&作編曲:山木幸三郎が提供の哀しきジャズ歌謡「ふしあわせという名の猫」でも全開で、こちらはグッと暗いムードが横溢した中にあって、もちろん浅川マキならではの過剰とも思える歌唱表現がグリグリと心に滲みてまいります。
 
ちなみにこの2曲は後に発売された彼女の最初のLPにも収録されているんですが、この「ふしあわせという名の猫」はシングルとアルバムでは異なるバージョンになっているので要注意でしょう。
 
しかし、その味わいの深さは両方共に勝るとも劣らない良さがあって、サイケおやじはどちらも好きです。
 
ということで、最後になりましたが、冒頭で述べた浅川マキの大晦日ライブは彼女の突然の悲報前年まで、ほとんど年末の風物詩になっていたほどだったんですが、残念ながらサイケおやじは一度も浅川マキの実演ステージに接した事が無かったのは痛恨の極みであり、今となっては言い訳にもなりませんが、それゆえに何時でも彼女のライブには行けるはずという安心感が大きな間違いでありました。
 
あぁ、無念……。
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デビュー当時の明菜が好きだった

2016-12-15 18:00:44 | 歌謡曲
スローモーション / 中森明菜 (ワーナーパイオニア)
 
今更なんですけど、毎年この時期になると思い出すのが中森明菜のあれやこれやです。
 
何故かと言えば、説明不要とは思いますが、平成元(1989)年7月の中森明菜自殺未遂事件から、当時は同棲していた近藤真彦との関係が噂を飛び越えて公然の事実となり、そんな騒動の謝罪を兼ねたツーショット会見が行われたのが同年大晦日でしたから……。
 
芸能界のドロドロした実情は百も承知の庶民にしても、正式な婚約発表としか思えない演出での「謝罪」というのは、その業界の「闇」というよりも「業」の深さを痛感させられた事件だったと思いますし、サイケおやじにしても、その意味不明な煮え切らなさには、あらためて呆れてしまった記憶が今も鮮明です。
 
もちろん、御両人には別々の思惑があったはずですし、関係各位にしても、それなりの算段がミエミエながらも「暗黙の了解」として認められるわけですが、でもねぇ……。
 
結局、その事件から今日まで、中森明菜という素晴らしい歌手が本来の輝きを失ったという事実は否めないでしょう。
 
しかし、それでも彼女のファンは存在し続けているようですし、歌謡曲やカラオケ愛好者等々は中森明菜の歌に惹きつけられ、また新しいファンに発見されているのも間違いの無いの真実!
 
ですから、中森明菜が昭和56(1981)年師走に放送されたテレビオーデイション番組「スター誕生」において、衝撃的な勝ち抜きを達成し、翌年に本日掲載のシングル盤A面曲「スローモーション」で本格的なデビューを果した瞬間から、それは決められた運命だったという諦観も、あながち的外れではないという説も流布されて久しいところのです。
 
なにしろ、来生えつこ&たかおの姉弟が作詞作曲し、船山基紀がアレンジを施した前述「スローモーション」の仕上がりの素晴らしさは、当時既に立ち位置が確立されていたニューミュージックのファンさえも虜にするほどでしたし、何よりもリアルタイムで業界が主導していた「ポスト山口百恵」の再燃、そしてトップアイドルに昇り詰めようとしていた河合奈保子や松田聖子の強力なライバルとしての存在感は、既にここに確立されていたと思うばかり!
 
告白すればサイケおやじはラジオから流れて来た「スローモーション」を聴いた瞬間、中森明菜本人よりも、まずは楽曲とボーカルの相性の良さにシビレてしまい、速攻で足はレコード屋へ♪♪~♪
 
そしてジャケ写に登場している彼女のポートレートに接して、必ずやスタアになれるという思いを強くさせられましたですねぇ~~。
 
ただし、発売される楽曲が少しずつ重くなってしまったのは個人的には好むところではなく、結局中森明菜のレコードでは、デビュー曲「スローモーション」が一番に好きであります。
 
ということで、四季折々に思い出される事象は様々でも、殊更年末のあれやこれやは強い印象になっているんじゃ~ないでしょうか。
 
某国営放送局での歌合戦なんてものにはすっかり興味も失せていますが、年の瀬は確かに流れ去っていくのですねぇ~~。
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エイコでイケイケ!

2016-12-14 16:03:18 | 歌謡曲
AH SO! (あゝそう) / 朱里エイコ (ワーナーパイオニア)

昨日今日と続け様に訳わかんない話ばっかり聞かされて、情報処理(?)に泡食っているサイケおやじです。

それは今に始まった事じゃ~ありませんが、先日先輩からアドバイスされたところでは、とりあえず「あ~そぅ~」と軽く返事をしておいて、じっくり後で検証するのがベターだとか、そんなにお気楽に構えられないのがサイケおやじの本質であれば、なかなか面倒な……。

そこでせめて勢いだけでもつけるべく、本日朝イチの一発は朱里エイコが昭和50(1975)年に出した掲載のシングル盤A面曲「AH SO! (あゝそう)」に針を落としてのイケイケ気分!

なんたって、これが日本語&英語チャンポンの作詞は朱里エイコ、同じく和洋折衷の作編曲が東海林修による爆発的なファンク歌謡なんですから、思わず血が騒いで、腰が浮きまくりですよっ!

イントロからシンコペイトがビシバシのリズムとビート、グサッと迫って来るホーンセクション、そして津軽系の三味線が鳴り出せば、そのまんま朱里エイコのパンチの効いたボーカルが炸裂するという激しいツカミにノッケから完全KOは必至ですからっ!

あぁ~、速射砲ファンクベースの物凄さ、ハイトーンのブラスにバリトンサックスの咆哮がキメのホーンリフ、間然することのないリズムギター&ドラムスのコンビネーション、そしてブラックなコーラスのコール&レスポンスも強烈ならば、随所でツッコミを入れる三味線の痛快さは、これが和製ブラックファンクの極北にちがいありません!

う~ん、それにしても、これって実際のライブステージでは、ど~やって演じられていたんでしょうかねぇ~~、少なくともサイケおやじには、その記憶がテレビでもありません。

また、思わずタワー・オブ・パワーが聴きたくなったりしてねぇ~~♪

とにかくサイケおやじの至らない文章よりは、きっちり今もCD化されている音源に接していただきとうございます。

そして必ずやシビレて悶絶、そのまんまアドレナリンが暴走噴出の結末に向かっても、それは全て自己責任でお願い致します。

ということで、本質は享楽的なサイケおやじが現在の仕事に耐えていける精神力を持ち合わせていないのは明々白々!

どこで間違ったのかなぁ~~~~。
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万客千来

2016-12-13 16:58:06 | Weblog

今日はミーテイングと来客が多くて、ど~にも自分が取り戻せません……。

だから、ついつい、心にも無い事を言ってしまったり、肝心の待ち人は来たらず、ちょっと今でもバタバタしています。

本日の1枚は休載、ご理解下さいませ。

失礼致しました。

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逢えるという喜び

2016-12-12 14:48:57 | 歌謡曲
逢いたくて逢いたくて / 園まり (ポルドー?)

以前から面会を切望していた相手と本日、ようやく会える事になり、昨夜からテンション高いもんですから、ついつい早く目が覚めた勢いで聴いたのが掲載のシングル盤A面曲「逢いたくて逢いたくて」であります。

もちろんこれは説明不要、園まりが昭和41(1966)年に放ったウルトラメガヒットで、同年には本人が二役で主演した所謂歌謡映画も日活で制作公開され、これまた大ヒットしているという、今や彼女の代表曲に留まらず、我が国大衆音楽史に刻まれた名曲名唱でありましょう。

とにかく園まりならではのアンニュイな情熱とでも申しましょうか、男なら誰でもイチコロになっちまう節回しと刹那の声質、そして如何にも男好きのするルックスが彼女にはありますから、当時は純粋な少年であったサイケおやじにしても、なかなか妖しい雰囲気に呑まれる快感を覚えてしまいましたですよ♪♪~♪

そこには作詞:岩谷時子&作曲:宮川泰、そして編曲:森岡賢一郎という黄金のヒットメーカートリオが良い仕事! 

まさに曲良し、歌詞良し、アレンジ良し!

という三拍子揃ったところに園まりのボーカルが入るんですから、これが絶品の4ビートジャズ歌謡の決定版ですよねぇ~~~♪

ちなみに今朝のサイケおやじはヘッドフォン使用での鑑賞だったんですが、彼女の歌を聴くのには、これがなかなか心地良い事を認識させられました。 微妙な息遣いや間合の空気間も、しっかりと感じられると思うのは、大袈裟でしょうか?

そしてレコードに入っている歌と演奏も素敵なんですが、前述した映画「逢いたくて逢いたくて」が、これまた日活ならではの楽しくも胸キュンの仕上がりで、園まりの相手役を演じた渡哲也の野暮天フィーリングもニクイところですし、当時は三人娘として売りだされていた中尾ミエ&伊東ゆかりも登場♪♪~♪ さらには直後にビートルズ来日公演で前座を務めるドリフターズまでもが出ているという素敵な作品になっていますので、近年はDVD化された事もあり、皆様には軽い気持ちでご覧いただきとうございます。

ということで、これからいよいよの逢瀬です。

あぁ、この気持ち、どうやって伝えよう!?!
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