■哀愁のカレリア / The Feenades (Fazer / フィリップス)
古くから本家と元祖は、どっちが正しい?
という争いは少なくありませんが、元を糺せば根っこは同じという真相も、これまた少なくはないでしょう。
例えば本日掲載のシングル盤A面の「哀愁のカレリア / Ajomies」は、フィンランドのエレキインストバンドと紹介されたフィーネーズの演奏により、1963年に制作され、それがエレキブームが盛り上がっていた昭和40(1965)年末頃の日本で大きなヒットになった名曲なんですが、実は同時期にスウェーデンの人気グループだったスプートニクスが、なんとっ!
「霧のカレリア / Karelia (ポリドール)」として、ほとんど同じメロディーを流行らせたのですから、どっちがオリジナルなのか、それともカバーなのか?
なぁ~んていう疑問をサイケおやじは根強く感じましたですよ。
だって、それは所謂「競作」という企画以上に両方の演奏の雰囲気がクリソツであり、もちろんギターの音色やアレンジのツボも極めて似すぎているのですから!?
しかし後年に知り得た正解は単純明快でした。
実は両方ともメインでギターを弾いているのが、ボー・ウィンバーグであって、つまりフィンランドのフィーネーズは、既にスプートニクスを率いていたボー・ウィンバーグの覆面企画プロジェクトだったと言われています。
そして背景には欧州でのエレキインストブーム、殊更北欧系のグループが演じていた独得の澄みきったギターサウンドと哀愁のメロディの魅力溢れる融合があってこそ!
おそらくはビートルズが登場するまでの短い期間であったはずですが、それが日本で受けられた現実は素晴らしいかぎりと思います。
ちなみに邦題から推察すれば、我国ではスプートニクスの「霧」が最初に出て以降、次いでフィーネーズの「哀愁」が続いたのでしょうか。結局、良い曲は売れるという当然の法則の証明が成り立ったんですよねぇ~♪
ということで、一応告白させていただくと、個人的にはフィーネーズの「哀愁のカレリア」が好きです♪♪~♪ そしてもちろん、だからといって、スプートニクスの「霧のカレリア」が嫌いなはずもありません。
あえて言えば、このメロディには「霧」よりも「哀愁」が似合っていると思うだけなのでした。
早苗さんは正式デビューする前の出来事です
ビョーン・テリン、オーヴェ・ヨハンセン、デレク・スキナー、ピーター・ウィンズネスもいないだろうな…
オランダ系アメリカ人
ベンチャーズ歌謡として三枝マモル名で「ふたりの舗道 c/w 夜明けのハイ・ウェイ」・「北国の別れ c/w 愛の妖精」をもリリース
ゆうき剛の名で「もう一度人生を c/w 一人」・「長い髪の少女 c/w 昨日の街ヨコハマ」もリリースしてます。
他にマモルマヌー名義で「雨の街 c/w 愛と死の世界」(デビュー曲)・「雨が降る c/w ガラスの部屋」
ゴールデン・カップスは基本的に好きなバンドです。本牧、横浜の匂いがプンプンします。良き時代でもありましたね。~♪
私はドラマーですが物理的に無い時やパートが無い時はベースも弾いていました。やはり憧れは彼でした。エコーアローが今も目に浮かびます。
なんだか私は亡くなった人のことばかり投稿していますね。
見上げてごらん夜の星を…そうか星になってしまったんだ。
ボーとノーキーがセッションしている動画、よくぞ残しておいてくれたと思います。
>ボー・スタランダーさん
カリヤラ(カレリアのフィンランド語)は、その他に鈴木やすし等、多くがカヴァーしていますね。ピーナツ盤は完全に歌謡曲になっている。
インストのコピーも多いのですが、どうしても日本人が演奏すると私にはカレリア音頭に聴こえてしまう。
フィリップス・レーベルで日本ビクターから発売されたシングル盤は、A面が“哀愁のカレリア(Ajomies)”(レコード盤のラベルは“哀愁のカレルヤ”と印刷されている)、B面は“二つのギター(Two Guitars)が収録されてました。(FL-1196)。
演奏は“フィーネーズ”と紹介されていましたが、フィンランドのエレキ・グループであるとしか判らないと書かれてありました。
1965年11月スプートニクスが“霧のカレリア/ハバナギラ(DP-1449)のシングル盤をポリドールからリリースしましたが、“哀愁のカレリア”と“霧のカレリア”がメロディーといいギターの音色といい、非常によく似ていたためその関係を確かめたいというファンが多く、ついにはどちらかは盗作ではないかと言われるようになりました。
フィーネーズというバンドの情報がまったくなかったため、質問の矛先はスプートニクスに向けられましたが、当時は明確な回答がなかったこともありファンをやきもきさせたものでした。
後日、真相は明らかになったのですが、1961年にフィンランドのフィリップ社がスプートニクスの初代マネージャー、スティグ・アンダーソンに依頼し、それをボーが中心となって制作したのが“Ajomies”だったのでした。
ボーがギターとベースを彈き、ピーター・ウインズネスがドラムたたき、得意の多重録音でオーバーダビングして作られました。
フィーネーズとしては、この他にシャドーズの演奏で有名な“幻のコンディキ号”と“夜霧のレニングラード”が紹介されてました。
しかしここでの“哀愁のカレリア”(Ajomies)はインスト史上極めて重要な曲となったのである。スプートニクス名での“霧のカレリア”(Karelia)とは、トロイカの間奏の後の【Cm】のハイポジション・フレーズがカットされているか否かの差でしかないものの、この違いは別バージョンで済まされない程の意味をもつと思われる。
「カレリア」がヒットした主因はこのトロイカに有ると考えられる。どんなダサイ「カレリア」でもこの間奏に入ると、ホットする。このアイディアは秀逸であった。
あぁ~ザ・ピーナッツと中尾ミエが「カレリア」を歌っているレコードがでてましたね。
ミュージシャン・元 The Spotnicksのリードギター[スウェーデン]
2020年 1月3日 死去享年82歳
あの世で「ノーキー・エドワーズ」さんと「ボー・ウィンバーグ」さんが、互いにエレキ談義をしてるんじゃないでしょうか。
ハンク・マービンさん長生きしてください。
日野さんが亡くなった時も衝撃でしたが、今回も言葉を探せません。
昼休みには事務所に御伺いして新着CDをみせて頂きよかったら購入しました。
今は亡き日野さんの笑顔が蘇ってきます。北欧エレキインストフォーエバー
お仕事(現役時代)楽しかったでしょうと問いかけた時「楽しかったよ~」と答えた日野さんの遠くを見つめるような瞳が、まるで少年の様に私には映りました。
もし彼がスプートニクスの様な表舞台の人だったら、大スタークラスの業績を残した方でしょう。
コメント、感謝です。
エレキインストのバンドは、なかなか演奏能力が高いプレイヤーが多く、昔はジャズから転向してきた者が多いような気がします。
今は案外とハードロックからの転向組が少なくないらしいですよ。
私は所謂エレキの若大将世代なので(笑)。
熱いコメント&情報、ありがとうございます。
とても勉強になりました♪
というよりも、久々にインスト熱が再燃させられましたですよ♪
北欧物は通常流通作品ばかりで、極めるのが非常に困難というのが我が国の現状だったと思います。
その中で偉大なる先達のご指導があればこそ、楽しみも深まるというのが、趣味の道の喜びでもありますよねぇ~~。
これからも、よろしくお願い致します。
お陰様であちこちのライブハウスでエレキインストの実演を観ることが出来ました。
一番印象に残ったのは錦糸町「サーティーエイトでのムスタングス」のライブでした。(メンバー4人のサインをEP盤にもらいました)
あぁ~フィンランドの“シャレーズ”もベンチャーズよりで非常に演奏能力が高い!素晴らしいグループです♪。
スウェーデンを筆頭にフィンランド、ノルウェー、デンマーク、次いでベルギー、オランダと特に北欧諸国のエレキインストを主に情報やCDを海外より買い付け会員に提供してくださいました。
お陰様でユーロ・エレキ・インストのCDだけでも1000枚は下りません!印象に残ったバンドは次のとうりです。
スウェーデン:スペースメン、1961、インベーダーズ、バイオレンツ(スプートニクストとほぼ同期)、カスタムズ
フィンランド:ムスタングス、クアイエッツ、アフトンズ、アベンジャーズ(ザ・サウンズと間違われたバンド)
ノルウェー:バンガーズ、クィーバーズ、フレームズ、クライマーズ(スウェーデンにも同名のバンドがいます?)
デンマーク:クリフターズ、スカーレッツ、ヨルゲン・イングマン(アパッチで有名)
ベルギー:言わずとしれたザ・ジョーカーズ、カズンズ(仏陀が有名)、バート・ブランカ(ベルギーの寺内たけし)
オランダ:やはり筆頭はジャンピング・ジュエルス、ティルーマン・ブラザース(インド・ロックをモチーフ)、ウイリーと彼のジャイアンツ(“心のときめき”で有名)
星の数ほどいるエレキインストバンドですが、当時(’60年代前半)日本も含め煌びやかな演奏を振りまいていたのですね♪
コメント&フォロー、感謝です。
やはりレコード会社の熾烈な企画争いがあったんですねぇ~。そういえば当時、スプートニスクはテレビで数回見ていますが、フィーネーズは来日しませんでしたから(笑)。
ロシアの映画監督エイゼンシュタインの作品「イワン雷帝」の中で、カレリア湖上のもうもうたる霧の中で決戦シーンがあるのですが、当時ポリドールの洋楽部長だった私はアルバムに収録されていた「Karellia」を最初に聴いた時このシーンを想い出し、迷わず「霧のカレリア」と名付けました。
同時期にフィリップス・レコードから「哀愁のカレリア」(フィーネーズ)を発売。
「霧の~」と「哀愁の~」のチャート決戦となりました。
ポリドールは急遽、スプートニクスを来日させ、テレビ・コンサートに出演させ「霧の~」を”カレリア”本命盤として印象づけることに成功したのでした。
(日野 忠)
フィーネイズの「哀愁~」はフィリップス・レコードがスプートニクスのボー・ウインバークに依頼して録音した作品でした。