■Love Story c/w A Song For Jeffrey / Jethro Tull (Reprise / 日本ビクター)
今となっては単なる思い込みに過ぎなかったわけですが、しかし1970年代初頭までは
30過ぎたらロックは出来ないっ!
と、真剣に信じられていたんですよ。
それはロックという反社会性の強い音楽の中にあって、スタアは若くしてこそ、本物のスタアという闇雲な信仰があったからでしょう。
しかし、そこを逆手に活かす天の邪鬼な奴等も確かに存在し、例えばデビュー当時から既に老成していたザ・バンドや掲載した本日の1枚を演じるイギリスのジェスロ・タルあたりは、意図的に狙った面々だったと思います。
なにしろ当時の洋楽雑誌に載っていたグループショットのほとんどは、所謂オジン丸出しというか、既に奇異の目でしか見られなかったのが我国の実態で、特にジェスロ・タルは、掲載したシングル盤のジャケ写からも一目瞭然!?
正直、とてもロックスタアの佇まいではありません。
もちろん昨今流行のおやじバンドと呼ぶ事さえ、抵抗が……。
あぁ、それなのに、実際のジェスロ・タルはブルースロックやロックジャズ、あるいはサイケデリックなフォークロックをゴッタ煮で演じる激ヤバな感性が何時までも若々しいと思えるのですから、百見は一聴にしかず!?
このシングル盤A面収録の「Love Story」にしても、グイノリのハードロックと英国民謡(?)が上手い塩梅でミックスされた新感覚のポップスという感じで、これは今でも古びていないでしょう。
ちなみにこれはジェスロ・タルが1968年末出した3枚目のシングル曲にして、初ヒットらしく、当時のメンバーはイアン・アンダーソン(vo,fl,hmc,g)、ミック・エイブラハムズ(g,vo)、グレン・コーニック(b,g)、クライヴ・バンカー(ds,vo) という4人組がジャケ写と同じ老人姿でデビューしていたというのですから、う~ん……。
そして当然ながら、このシングル盤はリアルタイムの昭和44(1969)年に我国でも発売されながら、このルックスに「ラブ・ストーリー」という曲タイトルでは、売れるはずもありませんでした。
もちろんサイケおやじにしても、これは後にデッドストックになっていたものをゲットした中の1枚です。
しかし洋楽雑誌で接するジェスロ・タルの捻じれたイメージ戦略には、かなり気になるところが大いにありましたから、それはそれで必要な過去だったのでしょう。
ご存じのとおり、ジェスロ・タルが日本で放った最初のヒットは「Bouree」であり、それは小さく局地的なものではありましたが、確かにある程度の人気は確立していたんじゃないでしょうか。
ですからB面収録の「ジェフリーに捧げる歌 / A Song For Jeffrey」は、本来がジェスロ・タルの英国における2枚目のシングル盤A面曲だったらしいのですが、ここにカップリングされたのはレコード会社の絶妙な選択で、そのフルート入りのブルースロックという変態性が見事にジェスロ・タルの本質に迫った名演を楽しめるのが、お徳用♪♪~♪
つまり、これは後に知った事ではありますが、ブルースロックの王道を行くギタリストのミック・エイブラハムズとローランド・カークの如き汎用大衆ミュージックが本音のイアン・アンダーソンという、デビュー当時のジェスロ・タルの特質が、このシングル盤には凝縮されていたという事です。
ただし、繰り返しますが、当時の日本の洋楽事情では、こんな老人ルックスでヒネリが効き過ぎたバンドなんか、到底受け入れられるはずもなく、それはジェスロ・タル本人達にも何かと葛藤でもあったのでしょうか、本格的にブレイクするのは、ブルースに拘り続けた(?)ミック・エイブラハムズが脱退して以降に発売された前述の「Bouree」まで待つ他はなかったのですが……。
それにしてもジェスロ・タルが老人ルックスを捨てなかったはの立派!?
現実的には売れまくった1970年代に堂々の三十路となったメンバー達にしてみれば、それが最先端のセンスだったと胸を張っているのかもしれませんねぇ。
そこで現代を俯瞰すれば、既に還暦を過ぎても転がり続けている大御所バンドや全くスロウハンドにならない偉大なるギタリスト等々、一流の芸を演じている老人ロッカーが大勢いるのですから、これには相対性理論のアインシュタイン博士も草葉の陰でなんとやら……。
やっている仕事は違っても、我々だって負けていられないと思うのでした。