■私は蝶々 / 藍毓莉 (日本コロムビア)
台湾から我が国へ出稼ぎにやって来て活躍した歌手の中でも、欧陽菲菲の大ブレイクは地元でも相当なインパクトがあったのでしょうか、忽ち彼女のフォロワーが来日してのレコードデビューは当然の流れであり、昭和49(1974)年春に本日掲載のシングル盤を出した藍毓莉(ラン・イーリー)は、その中でも「丸っきり」の存在でありました。
なにしろ、これは皆様に聴いていただければ納得されるはずなんですが、作詞:阿久悠&作曲:井上忠夫が提供したA面収録「私は蝶々」は、欧陽菲菲が昭和47(1972)年に大ヒットさせた「恋の追跡」を強烈に意識したプラロック歌謡であり、川口真のアレンジもニューソウルなワウワウギターとかツッコミ鋭いブラスのリフを恣意的に用いた確信犯!?
と決め付けてしまえばミもフタもありませんが、決して否定出来るものでは無く、そもそも藍毓莉(ラン・イーリー)の歌いっぷり、そしてブレスや日本語での節回しが、欧陽菲菲にクリソツなんですねえ~~!!?!
過言ではなく、もはや双子の姉妹曲っていう感じですよ (^^♪
ですから、結果的にブレイクしたとは言い難いのは事実だったんですが、ある意味では好事家の琴線に触れてしまう事も確かですし、単純に面白がって、後年中古で現物を探しまくったサイケおやじにしても、気持ちはひとつ!
ということで、彼女の場合は芸名が「藍毓莉」と表記され、日本人には馴染みの無い漢字だった事から、「ラン・イーリー」という歌手が瞬時に印象付けられなかった様にも思います。
しかし掲載のジャケ写ポートレートからも彼女の美人度数の高さは皆様にも納得していただけるはずでしょうし、実際に当時、数度テレビで接した印象でも、華やかな雰囲気は女優顔負けだったと記憶しております。
残念ながら、藍毓莉(ラン・イーリー)名義のレコードは、これっきりしか持っていませんし、他に見かけたブツもありませんので、探索を続けて幾年月……。
もしも今後、台湾に出掛ける機会があれば、じっくりと彼女のレコードを探したい気持ちが再燃しているのでした。