■心の音 / あべ静江 (キャニオン)
もしも叶わぬ願いが叶うなら、もう一度だけ、あの人に会いたい……。
そう願う人は少なくないでしょう。
不肖、サイケおやじもそのひとりとして、もしも願いが叶うなら、その時はその人に心から謝罪したいというのが、現在の偽りの無い心境です。
確信犯的告白と思われるでしょうが、サイケおやじはその昔、自らの我欲によって、その人を絶望のどん底に陥れた過去があり、しかも自分は既に大義名分を周到に準備しての行動だったのですから、責任逃れというか、卑怯をも正当化していました。
もちろん、その時を境に周囲のサイケおやじに対する態度や姿勢は二極分化され、それなりの時間が過ぎ去った今は安穏とする事も出来るわけですが……。
ある事情から先日、そうした酷過ぎる過去の所業が痛切に思い出され、全く悔悟と贖罪の気持ちに苛まれ……。
極言すれば、今の自分があるのは、その所為であり、だからこそ、決して幸せになってはいけないと思うほどなんですよ。
あぁ……、ずうぅっと忘れていたはずなのに、それを都合良く解釈すれば、こんなに人間らしい気持ちにさせてくれる事にも、感謝する他にどうしていいのかわからないという……。
それは絶対に叶うことのない願望であり、それを承知の上での言い訳なのでしょう。
本日も戯言、失礼致しました。
ということで、そんなこんなは世の常かもしれず、だからこそ、人は別離の歌を欲するのでしょうか。
あべ静江が昭和51(1976)年に出した掲載のシングル盤A面曲「心の音」も、そんな風景描写が作詞作曲:財津和夫によって提供され、しかも林哲司のアレンジがマンドリンやクラリネットを用いた懐メロ調学園歌謡みたいな下世話さに収斂しているという、まさに彼女のソフトタッチな哀愁歌唱にはジャストミート♪♪~♪
内容的には「女歌」ではありますが、「心の音」を思い出すのは万人共通でありましょう。
あぁ、絶対に叶わぬと知りつつ、もしもその人に会えたなら……。