OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

だれか待ってて、風の中で

2015-10-15 11:12:54 | 歌謡曲

だれかが風の中で / 上條恒彦 (キングレコード)

いきなりの泣き言で申し訳ありませんが、現在のサイケおやじは孤立無援……。

もちろん仕事での話なんですが、一番頼りにしていたスタッフが重度の鬱病らしく、二ヶ月近くも寝たきりの引き籠り状態で、電話にも出られないし、家族もお手上げという中、もちろんそれなりの治療も拒否しているとか???

当然ながら家を訪ねても会えず、しかもあんまりこちらからの励ましや苦言は厳禁という周囲の注意もあるもんですから、様子を見るというよりも、この先はアテにならないというのが本当のところと覚悟はしています。

しかし、こんな急場でサイケおやじは他所に義理を借りてばかりいられず、あ~ぁ……、こっちが全てを投げ出したいというのが本音ではありますが、そんな時こそ、助けてくれるのは「歌」という思いを強くしている次第でして、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「だれかが風の中で」もそのひとつです。

それはサイケおやじと同世代の皆様は言うに及ばず、昭和47(1972)年にフジテレビ系列で放送され、社会現象ともなった時代劇「木枯らし紋次郎」の主題歌ですからねぇ~~、主人公の渡世人・紋次郎は誰とも関わりを持つ事を避け、ギリギリ一宿一飯の恩義だけで孤独に強く生きていこうとするはずが、物語中では常に世の中の「しがらみ」や「義理人情」の板挟みに迷い、それを振り払っては後悔モードで去っていくという、なかなかリアルタイムでは新感覚の作風や演出が人気を集めました。

例の「あっしには関わりのねぇ~こってござんす」というキメの台詞は、前述した社会現象を呼び起こすには必殺の一言であり、しかしそれでも情に流されていく渡世人・紋次郎の生き様こそが、最高のハードボイルドだったんですねぇ~~~。

しかも紋次郎はチャンバラも実にカッコ悪く、ドスで斬りまくるというよりも、メチャクチャに振り回し、相手を殴りつけるが如き立ち回りどころか、負けそうにると走って逃げるというのが常套手段なんですから、それもまた新鮮味がありましたし、常に長い楊枝を加えている佇まいは、大人子供共通に真似て粋がる男が日本中に溢れていたほどです。

もちろんサイケおやじも、すっかり「その気」にさせられていましたですよ。

ちなみにそのテレビ版の主演は中村敦夫であり、原作は笹沢佐保、演出の総監督は市川崑、そして制作スタッフのメインは大映の精鋭集団でありましたから、既にオープニングから素晴らしい映像美学が満喫出来たのも素晴らしいところで、掲載のジャケ写は全くそのイメージの流用でしたから、主題歌「だれかが風の中で」も忽ちの大ヒット!

ところが、これが当時としては全然時代劇のテーマとは裏腹に、丸っきりの西部劇調だったというのも、作詞:和田夏十&作曲:小室等、さらには編曲:寺島尚彦が企図した新感覚というところでしょうか。

まさに上條恒彦のハートウォームでダイナミックな歌唱にはジャストミートしすぎていたほどで、孤独に流離う中にあっても、何時か希望は見えるかも…… という刹那的明るさを求めるクールな男の心意気がウケたんだと思います。

そして現在のサイケおやじには、あらためてそれがグッと身に滲みて、気分はすっかりハードボイルドっていうわけなんですよ、恥ずかしながら。

いゃ~、決して悲壮感に酔っているわけじゃ~ないんですよ、言い訳と受け取られるかもしれませんが。

ただ、そんなこんなの心情を吐露したかったというのが本日の主題でありまして、すっかり皆様のご厚情に甘えてしまいました。

もちろん、この世は厳しいけれど、決して捨てたもんじゃ~ない!?

光がなければ、陰の見分けもつかないはずで、だからこそ、光を求めるちっぽけな気持ちを失いたくはありません。

だれが風の中で待っていてくれるのかなぁ~~。

コメント (12)
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