OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

我欲と物欲の果て

2015-10-19 15:06:21 | 歌謡曲

棄てるものがあるうちはいい / 北原ミレイ (東芝)

またまた昨日は借りているトランクルームへ行って来ました。

もちろんブログのネタを物色するのが第一義であり、なにしろPCに入れているレコード等々の画像も残り少なくなっていますから、それなりの心積もりはしていたのですが、もうひとつ、さらに現実的な問題がありました。

それは借用スペースが満杯に近くなっているので、同じ場所にもうひとつ借りたいという希望があって、以前から頼んでいた件の話もあったんですが……。

結果的に、未だ願いは無理のようで、こうなったら他所にもう少し広い場所を確保し、全てを移管するしかないという決断も迫られるところが、ツライです。

なにしろ皆様ご推察のとおり、それはサイケおやじの長年の我欲&物欲の証左とも言えるわけで、あまりにも雑多に集められたレコードやCD、映像ソフト、書籍等々が所謂ゴミ屋敷状態!?

もはや自分でも呆れかえるばかりで、あぁ……、こんな物のためにサイケおやじは首吊りの足を引っ張ったり、周囲を不幸に巻き込んできたのかと思うばかりです。

もちろんそこには、例えば往年のSM誌やエロ本の山、あるいは未だ梱包もそのまんまの通販ゲット商品、子供時代からの思い出の品の数々という、慰められてきたブツも多くて、それゆえに棄てる事などは絶対に出来ないという、この期に及んでの潔くない気持ちが情けないわけですが……。

そんなこんなをあれこれと思いつつ、ふっと心音となったのが北原ミレイが昭和46(1971)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「棄てるものがあるうちはいい」でした。

ご存じのとおり、北原ミレイは前年に大ブレイク&大ヒットの傑作「ざんげの値打ちもない」で自暴自棄な気持ちを歌いきっていましたから、続いて出したのがこの「棄てるものがあるうちはいい」というのも、プログラムシステムの掟でありましょう。

実際、作詞:阿久悠&作曲:村井邦彦、そして編曲:馬飼野俊一が作り出したのは、しかし完全なる二番煎じというなかれっ!

むしろ惨めな境遇においても、希望の欠片が見つかるかもしれないという儚い願いは残っているという、捨て鉢な切迫感が北原ミレイならではの凄みのある節回しで歌われる時、言い知れぬ哀切に心が満たされるんですねぇ~~。

確かに、そこにあるのはサイケおやじが非道を積み重ねたものに他ならず、だからこそ全てを棄ててしまうことが出来そうもない自らの弱さ、卑小さを痛感させられる現実として、これからは自分を律する心の拠り所にしようと、まあ、都合の良い事まで考えているんですよ。

恐らくはサイケおやじが死んでしまえば、そこにある諸々の欲望の証は棄て去られるでしょう。

でも、今しばらくは、猶予をお願い致します。

繰り返しますが、サイケおやじは、こんなもののために酷い生き様を積み重ね、無様に格好を繕っているわけですよ。

あぁ、せめてもそうやって生かされてきた、この命……。

なにかの役に立てねばバチアタリは必定、それが出来る日を心待ちにしているのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする