■古い日記 / 和田アキ子 (RCA)
今日に至る和田アキ子のパブリックイメージを決定づけたのが、昭和49(1974)年に発売された本日ご紹介のシングル曲じゃないでしょうか。
まさに説明不要というR&B歌謡の傑作であり、当たり前過ぎるネタとなった「アッ、ハァ~ッ!」というソウルフルな掛け声とシャウトのキメは、和田アキ子でなければ、それは偽物!
そこまで極まっていますし、おまけに怖~いジャケ写の佇まいは、ゴッドねぇちゃんに偽り無し!
いゃ~、全く終始脱帽する他は無い名曲名唱だと思います。
ところで新年と言えば、日記をつけようと誓った皆様も古来から大勢存在しているはずですし、今日では「プログ」というスタイルでそれは実行されている事でしょう。
そこでサイケおやじの場合は、実は小学校入学の1年生4月から中年真っ只中の今日まで、ほとんど毎日、なんらかの形で日記を続けてまいりました。
これは我ながら、よくも続いたもんだなぁ~、と思うばかりなんですが、きっかけは前述したとおり、小学生になったのを契機に母親から強制されて始めたのが真相であり、毎日それを書いて母に見せないと、その日か翌日の小遣い十円が貰えなかったという事情がありました。
もちろんその頃は実に他愛の無い内容で、その日の給食のメニューとか遊びや授業のあれこれ、そしてテレビやラジオで見たり知ったりした諸々を書いていました。
そして母がそれをサイケおやじに強要したのは、文字や文章を覚えさせると同時に、自分の子供が何を考え、行動しているのかを知るためだった事は言うまでもありません。
ですから小学校4年生になると、流石に疎いサイケおやじも確かにそれに気がつき、「二重帳簿」ならぬ「二重日記」を書き始め、あたりさわりの無いものを母に見せ、自らの真の心の動きや自意識過剰の行動なんかは、本物の日記に認め始めたというわけです。
また当然ながら、その頃になると日記を毎日書くという作業が習性となって、苦痛でも何でも無くなった点については、今もって母に感謝するべきことだと思っています。
そしてこれも当然なんですが、同時期になると母も日記を見せろとは言わなくなり、小遣いも月極めに変更されたので、所期の目的は達成されたという事なんでしょうねぇ。
ちなみに使っていた日記は所謂大学ノートで、それは後に手帳になり、今はPCのテキストになっていますが、そこには当時リアルタイムの洋楽や歌謡曲のヒット状況、鑑賞した映画、あるいは読んだ本のデータや感想、さらにはその日の食事内容や買ったエロ本の使用感(?)、おまけに中古屋漁りの収穫等々が相当にびっしり書き込まれているのですから、これは何かにつけて今も有用しています。
告白すればサイケおやじがプログやネットサイトで書く内容は、これまでの日記のメモ的活用に大きく依存しているのです。
そして人間関係のあれこれも記録していますから、これが仕事に役立つのはもちろん、大袈裟に言えば人生の機微がそれなりに凝縮された秘密の塊ということで、いずれはすっぱりと処分しないと、後々禍根を残すことは必定!?
う~ん、自分でも何とも言えないところですんで、まあ、生きているうちは他人に見つからないよう、注意していく他はないでしょうねぇ。
最後になりましたが、肝心の和田アキ子の「古い日記」のサウンドのキモは、当時の流行だったニューソウル系のサウンドを歌謡曲にミックスさせることに長けていた馬飼野康二の手腕が冴えまくり♪♪~♪ アップテンポで炸裂するブラスとディストーションギターに負けじと歌う和田アキ子の本領が、余裕すら感じさせる仕上がりなのは流石だと思うばかりです。
さらに安井かずみの綴った歌詞の回想的せつなさの分かり易さは、特にサビの展開でメロディそのものが昭和歌謡曲どっぷりになる仕掛と上手く連動し、大ヒットにして和田アキ子の代表作となったのも必然でした。
今の芸能界で、これを堂々とカパーする女性歌手が出現したら、本家の和田アキ子は何んと評するか、それもちょいとした楽しみではあります。