OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

シカゴの「長い夜」でシングル盤を再認識

2009-05-01 11:38:42 | Rock

長い夜 / Chicago (CBS / ソニー)

今ではすっかりAOR御用達のバンドになった感も強いシカゴも、しかしデビュー当時は政治的なメッセージも含んだイケイケのブラスロックをやっていました。私と同世代の皆様ならば、きっとそのイメージをお持ちかと思います。

さて、このブラスロックという分野は、一般的にはジャズとロックの融合を狙ったものと解釈されていますが、やはり「ロック」とされているからには、ポップな感性と進歩的な実験精神が欠かせません。

その意味でロックの歴史では、まずアル・クーパーが結成したブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&Tが、シカゴ以前に成功していましたし、他にもチェイスとかライトハウスといった同系のバンドが活躍しています。

しかしシカゴが決定的な人気を得たのは、そのポップさとジャズの粋なスマート感を、あくまでもロックのビートで聞かせていたことじゃないでしょうか? つまりジコチュウなアドリブや思索的な曲構成よりも、痛快でカッコ良さ優先主義!

そこを大きく楽しめるのが、本日ご紹介のシングル盤で、アメリカはもちろん、世界中で大ヒット♪♪~♪ 特に我が国ではシカゴと言えば、まずはこの曲というのが、1970年代前半の真相だったと思います。確か日本では3枚目のシングル盤だったでしょうか、発売は昭和45(1970)年で、秋頃には連日連夜、ラジオから流れていましたですね。

適度にエフェクターのかかったペースとギターのユニゾンが下降していく覚えやすいイントロからビシバシの8ビートをブッ叩くドラムス、急流の如き勢いが最高のブラスアンサンブル! そして熱血のボーカルとコーラスに続く間奏では強烈なギターソロ! 演奏の要にしかけられたキメのリフが、如何にもロックという痛快さがたまりません。

もちろんこの曲は、シカゴというバンドが自前で演奏しているわけですが、メンバーはロバート・ラム(p,key,vo)、テリー・キャス(g,vo)、ピーター・セテラ(b,vo)、ダニー・セラフィン(ds)、リー・ロックネイン(tp)、ジェームズ・パンコウ(tb)、ウォルター・バラゼイダー(sax,fl) という大所帯の7人組なればこそ!

彼等は The Big Think と名乗っていたセミプロ時代から、地元のシカゴでは売れっ子のハコバンだったそうですから、その下積み時代に培った演奏能力は現場主義的な魅力に溢れています。ひらたく言えば、スタジオミュージシャンやジャズメンのようなテクニックや音楽的素養は希薄でも、逆に纏まった荒っぽさが如何にもロックという感じでしょう。

しかしメンバーの中には、例えばホーンセクションの3人はジャズに熱中し、きちんと音楽教育を受けたそうですし、ロバート・ラムにしてもセロニアス・モンクが大好きというジャズ者でした。またギタリストのテリー・キャスはベンチャーズとケニー・バレルに強い影響を受けたと語っているほどです。

ただし時代は既にモダンジャズからロックやR&Bに大衆の関心が移り、最初はジャズっぽいダンス音楽やR&B等の踊れる演奏をやっていた彼等にしても、ビートルズ中期の「サージェント・ペバーズ」や「マジカル・ミステリー」あたりのホーンセクションを上手く使った最先端のポップミュージックに接してからは、方針を変更したようです。

そしてオリジナルの楽曲を演じること!

そこにもうひとり、忘れてはならないのが、プロデューサーのウィリアム・ガルシオの存在です。

このウィリアム・ガルシオはシカゴのメンバー同様にイリノイ州シカゴの出身であり、十代の頃から演奏はもちろん、宣伝活動やプロデュースに関わっていたバリバリの業界人で、当時は自ら手掛けた元祖ブラスロックとして1967年に「Kind Of A Drag」の大ヒットを放ったバッキンガムスをマネージメントしていたのですが、その音楽性は軽く、ブラスを使っていても、その演奏は実質的にスタジオミュージシャンが演じていたと言われています。

そこでブラスを使ったロックの将来性を模索していたウィリアム・ガルシオが目をつけたのが、シカゴの前身バンドだった前述の The Big Think というわけですが、そうかと言ってメジャーデビューがすんなりいくはずもありません。

バッキンガムスでの実績からCBSとの関わりも強かったのですが、その契約の条件が、同じブラスロックの先輩格だったBS&Tの新作アルバムをプロデュースする仕事でした。

結論から言えば、そうやって作られたのが1969年のグラミー賞を獲得した名盤「Blood, Sweat & Tears (Columbia)」でしたが、これにはウィリアム・ガルシオも相当に気を使ったのではないでしょうか。なにしろその頃には本命のシカゴのデビュー作の構想が、メンバーとの意志の疎通も良好な関係となって完成しつつあったそうですから!?

そしてついに1969年春、シカゴはデビューアルバムとしては異例の2枚組「The Chicago Transit  Authority (Columbia)」を発表し、忽ち圧倒的な注目を集めるのですが……。

これが我が国では裏目というか、何しろアルバムが2枚組で値段が三千六百円! つまり値段が高くて、私も含めた当時の青少年には簡単に買えるものではありませんでした。しかも驚いたことに、続く2作目の「Chicago Ⅱ」、さらに3作目の「Chicago Ⅲ」までもが強烈な2枚組地獄! おまけに4作目となるライブ盤「At Carnegie Hall」に至っては、驚愕の4枚組で、七千八百円ですよっ! あぁ、お金が欲しいなぁ~~、と切実に思いましたですね。

そこでファンの救いとなるのが、シングル盤の存在です。

我が国で最初に発売されたのは多分「クェスチョンズ67/68」だと思いますが、次に出た「僕らに微笑みを」が小ヒットし、そして決定打となったのが、本日ご紹介の「長い夜」というわけです。ちなみに「クェスチョンズ67/68」はデビューアルバムからのカット、「僕らに微笑みを」と「長い夜」はセカンドアルバムからのカットでした。

既に述べたように、シカゴの音楽性はジャズもソウルも含んだ上でのロック優先主義だと思います。その意味で、この「長い夜」で聞かれるテリー・キャスのギターソロは痛快至極! 特に後半でのワウワウを使ったアドリブは、そのリズム感の素晴らしさゆえに気持が良いほど覚えやすく、しかしコピーは至難のワザです。

それと彼等の楽曲は長い演奏が多いので、シングルバージョンは当然のように編集されたものが多く、「長い夜」にしてもギターソロを短縮していますから、後にアルバムの完全バージョンを聴いた時には違和感が打ち消せず、それは今でも同じです。

このあたりはアルバム2枚組地獄も含めて、ある種の罪作りだと思うのですが、それゆえに既にロックもLPで聴く時代にあって、シングル盤の楽しみを再認識させてもらえたのは僥倖かもしれません。シカゴには他にも多くのトンデモバージョンがあって、「ロウダウン」や「クェスチョンズ67/68」のように、日本語で歌われたものさえ出ています。まあ、それも人気の証明なんですよねっ♪♪~♪

来日公演も大成功でしたし、特に昭和47(1972)年6月の二度目の時には大阪でライブ録音された日本独自の2枚組アルバム「Live In Japan (ソニー)」という、隠れ大名盤まで作られています。

ということで、ブラスロックの王様はシカゴに決定! もちろん私はBS&Tも大好きですが、それは別の味わいとして、必ずしもブラスロックだけとは聴いていません。

そのあたりは何れ別の機会で書こうと思いますが、後になってシカゴのアルバムを聴いていくと、意外にもお洒落系のコードが使われていたり、随所にジャズの色彩も強いことに気がつきます。しかしそれが「ロック」をも強く感じさせる局地的包括性が、シカゴ最大の魅力なのかもしれません。

ところで、この「長い夜」のシングルバージョンって、CD化されているんでしょうか? シングル盤にガタがきているので、あれば欲しいですね♪♪~♪

コメント (2)
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