拙サイト「サイケおやじ館」の掲示板で、たまたまロックバンド「外道」の話題が出た事が嬉しく、何時かは書きたいと思っていた彼等の事を、私の思い出話と絡めて、今日は綴ります――
自分の人生を変えた事象として、ストーンズや「花と蛇」は決定的ですが、昭和40年代末に突如現れた日本のロックバンド=外道にも、かなりの衝撃を受けています。
あれは昭和48(1973)年の秋の終り頃でした。
当時の、ちょっと顔見知りのバイク仲間から、「外道」というロックバンドがあるから、ライブのチケットを買って欲しいと頼まれました。
正直、その頃は「外道」なんていうバンドは知りませんでしたが、どうやらカッコイイ、そしてハードロックなバンドらしいと……。
ちなみに当時の日本ではロックバンドなんて、ほとんどありませんでした。なにしろ「かぐや姫」とか「チューリップ」あたりの歌謡フォークが全盛でしたし、キャロルとかミカバンドはデビューしていましたが、なんだかなぁ……。
で、当日、某会場へ行ってみると、そこはバイク集団の溜まり場と化していたのです! もちろん私もバイクでそこへ行ったんですが、実はデビュー当時の「外道」には、そういうファンが圧倒的だったのです。
メンバーは加納秀人(g,vo)、青木正行(b,vo)、中野良一(ds,vo) という、いわゆるハードロックトリオの編成で、その音楽性はシンプル&バカノリ! しかしそれゆえに纏まったバンドアンサンブルはド迫力でしたし、加納秀人のギターテクニックは千変万化の恐ろしさに満ちていました。
しかも全曲オリジナルの日本語歌詞にはエグミがあり、ズバリと真実を言い放ち、なおかつディープな心情吐露とユーモアが強烈でした。
しかしレコードは、その頃にシングル盤を1枚出していたらしいのですが、会場では売り切れで買うことが出来ず、さらにどこのライブでも客層が悪いとか暴動や喧嘩が絶えないとの理由で、大っぴらに宣伝活動が出来ず、おまけに演奏会場の貸し出し禁止や当日でのコンサート中止なんていう騒動が頻発していたそうです。
前述の経緯でチケットを売らなければならない理由も、当にそこでした。
実はメンバーの中野良一が、バイク集団=当時は狂走族とかサーキット族と呼ばれていた、所謂暴走族の顔役だったことから、最初、そういう集団にファンが増え、バンドそのものの困難な状況から、彼等がプロモーションをやるようになっていたのです。
それにしても、この初体験は強烈でしたねぇ~♪ やっている事はシンプルなリフの積み重ねという、覚え易い曲がほとんどでしたが、間違いなく聴いている者をバカノリさせてしまうツボがあり、ストーンズとかグランドファンクとか、そういうライブで本領発揮のバンドです。
さらにステージでの煽りが上手く、衣装はギンギンギラギラのグラムロック風なものを日本的な着物感覚でアレンジした異端派! MCではアブナイ発言連発! さらに演奏中の掛声や手拍子強要も嫌味無く、それでいて有無を言わせないカリスマがありました。
ルックスでも加納秀人のカッコ良さは抜群で、女の子のファンが大勢ついていましたですね。
また噂どおり、某コンサートへ行ったら、出演予定の「外道」だけが出演中止となり、金を返すから帰って欲しいとか言われて、本当に暴動になったり、キャロル派のファンと喧嘩したり、コンサート帰りにバイクで走っていたら暴走族と間違われてパトカーに追跡されたり……等々、今では懐かしい騒動もありました。
ちなみにサイケおやじは暴走族は大嫌いで、一切、そういう団体に入ったことはありません! 恥ずかしながら、喧嘩したことはありますが(苦笑)。
そんな彼等ですから、少しずつ人気が沸騰して、翌年夏頃からは大ブレイク!
とは言ってもテレビに出られるわけじゃなく、ライブや野外フェス等で多くの熱演伝説を築きあげていくのです。それらの音源は今日、ようやく発掘音源のCDとして流布するようになりましたが、リアルタイムでは大ヒットなんて、夢のまた夢というのが現実でした。
それでもアメリカに乗り込んで、現地のファンを圧倒したことから、海外デビューも検討されていたとか!? しかしっ!
その全盛期とも言える昭和51年の秋に電撃解散! その真相は、様々な憶測があるだけで、メンバーや当事者からは語られていません。
そして加納秀人はソロ活動に入り、フュージョンに急接近したアルバムを作るなどしていましたが、失礼ながら「外道」を知っているファンには物足りなく……。
すると昭和55(1980)年に突如、復活♪ そして今日まで断続的に活動を繰り広げています。
さて、このアルバムは、1973年から2003年まで、30年間の中から選りすぐったトラックを集めたベスト盤♪ しかも初回盤には貴重なテレビ出演時の映像を収録したDVDが付いていたという最高のブツです。
ちなみに、その番組を仕切った田原総一朗は、今と変わらぬトンマな質問ばかりで、笑わしてくれますよ♪ わかっちゃいないですぅ~♪
肝心の収録曲は――
01 香り (1974年9月20日:横浜野音ライブ)
02 そんな (1975年12月20日:気仙沼市民会館ライブ)
03 外道 (1975年5月17日:京都拾得ライブ)
04 ダンス・ダンス・ダンス (1975年5月17日:京都拾得ライブ)
05 逃げるな (1974年9月20日:横浜野音ライブ)
06 黒い影 (1975年1月:ハワイ)
07 乞食のパーティ (1975年1月:ハワイ)
08 にっぽん讃歌 (1973年:1st シングル)
09 Yellow Monkey (1980年:コロムビア・スタジオ)
10 いつもの所でブルースを (1975年12月20日:気仙沼市民会館ライブ)
11 コウモリ男 (1975年5月16日:京都拾得ライブ)
12 アロハババア (1975年5月16日:京都拾得ライブ)
13 愛の寝台車 (1975年1月:ハワイ)
14 悪魔のベイビー (1975年5月17日:京都拾得ライブ)
15 ビュンビュン (1974年9月8日:町田祭ライブ)
16 何 ? (1975年5月17日:京都拾得ライブ)
17 ぶっこんでやれ ! (1975年5月17日:京都拾得ライブ)
18 水金地火木土天回明 (1980年:コロムビア・スタジオ)
――と、代表的な名曲・名演がズラリ♪ しかも様々な音源からの寄せ集めながら、曲の流れが最高の編集、さらにリマスターの統一感が見事です。
「香り」はアップテンポの爆裂曲で、彼等のライブでは定番曲! まず、これを聴いたら仰天しますよっ! 今から30年以上前に我国では、こんなバンドがいたんです! ラフ&タイトな青木良一のドラムスとブリブリ動く青木正行のベース、さらにガンガン突っ込む加納秀人のギターが一体となったド迫力が楽しめます。
続く「そんな」や「外道」はキャッチーなリフを主体にしたハードロックの王道路線邁進です♪ このあたりはギター初心者でも弾ける簡単なものなんですが、このノリは簡単には出せないはずです。
「ダンス・ダンス・ダンス」はライブならではの楽しさ満載の代表曲で、物凄いドライブ感が見事ですし、このトラックでは観客との遣り取りがリアルタイムで楽しめます。もちろん加納秀人のスペーシーなギターソロは物凄く、聴くほどにシビレます♪ 中野良一のバカボン系乱れ打ちドラムスも強烈!
さらにドロドロ系の「逃げるな」「悪い夢」や、ポップ路線の「乞食のパーティ」「アロハババア」、ブッ飛びR&Rの「愛の寝台車」「悪魔のベイビー」と、このバンドのシンプルな楽しさ&醍醐味が存分に楽しめる選曲になっています。
また「いつもの所でブルースを」は正統派ブルースロックの快演! ミック・テイラーも真っ青と思われる加納秀人のギターは、当時としても世界に通用することがわかるはずです♪ もちろん我国では、こんなにロックしているバンドなんて、当時無かったのですよっ!
そしてクライマックスの「ビュンビュン」は、今や伝説となった町田祭でのライブ音源で、警察署の隣に作られたステージでの爆音演奏! 「おまわりさん、楽しい~?」と、愛想の良いMCが楽しめますし、演奏は豪快無比! どんなパンク野郎も勝てませんよ。
もちろん「何?」と「ぶっこんでやれ」はライブでも白熱の山場に演奏されていた人気曲でした。特に後者は歌詞がアブナイです♪ 実際、この頃の会場ではヌードで踊るとか、ブラパン脱いでステージに投げるイカレタお姉ちゃんが、大勢いましたですよ♪ なにしろ青木正行のベースはビンビンですし、加納秀人のギターは、どうにも止まらない狂おしさが全開ですからっ!
ということで、今では青春の思い出というか、すっかり遠くなった若かりし日々の音源ですが、実はいつまでも聴いていたいのが本音です。もちろん車の中にも常備しています。
彼等のアルバムは、そのほとんどがライブ盤ですが、音の良し悪しもありますから、まずは、このCDから聴いてみて下さいませ。当時の日本にも、本物のロックバンドがあったことを、ぜひとも知っていただきとうございます。
一応、例によってジャケ写から試聴出来るサイトに繋げてありますので、よろしくです♪