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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ウィルソン・ピケットの狂熱

2011-10-15 15:29:33 | Soul

ダンス天国 / Wilson Pickett (Atlantic / 日本グラモフォン)

「ダンス天国 / Land Of 1000 Dances」と言えばR&Bの代表的な名曲として、誰もが一度は耳にしたことがあろうかと思います。

特にキメとも言える「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」というスキャットシャウトは、これしかないの必殺技として覚え易く、しかも熱い黒人ビートが曲そのものから発散される構成はニクイばかり!

しかも我国では昭和40年代後半の一時期、ビートルズ以上の人気があったといって過言ではないウォーカー・ブラザースが歌って大ヒットさせていますから、尚更に刷り込まれている皆様が大勢いらっしゃるはずです。

ところがご存じのとおり、この「ダンス天国」は決してウォーカー・ブラザースのオリジナルヒットでは無く、本家本元はアメリカのニューオリンズを中心に活動していたクリス・ケナーという黒人歌手が自作自演していたものですし、世界的大ヒットになったのは、これまたアメリカの黒人歌手としては超大物だったウィルソン・ピケットによるシングルバージョンでした。

ただし、それが当時の日本では流行ったのか? 

と問われれば、それは否でしょう。

なにしろ「ダンス天国」はウォーカー・ブラザースの人気演目になっていたのですからっ!

しかし一度でもウィルソン・ピケットの「ダンス天国」を聴いてしまえば、後は一気呵成に夢中になることは必定で、とにかくイントロの「ワン、ツー、スリ~~」というカウントシャウトだけで震えてしまいますよねぇ~~♪

実際、サイケおやじは当然ながらウォーカー・ブラザースのバージョンに出会い、その後は我国のGSやポップス系歌手が広く演目に入れていたおかけで「ダンス天国」には充分に免疫が出来ていたはずなんですが、それでも最初にウィルソン・ピケットの歌とシャウトを聴いた時には、筆舌に尽くし難い狂熱を感じました。

それはボーカルパートはもちろんの事、演奏そのもののハードでエグイ雰囲気が、当時としてはどんなハードロックよりも強烈に感じられた事も大きかったと思います。

特に中間部でドラムスの8ビートブレイクと共謀してシャウトしまくるウィルソン・ピケットの「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」は、まさに圧巻!

ちなみにウォーカー・ブラザースは、この部分をグループのコーラスハーモニーで表現していましたから、サイケおやじの耳には「ラァ~、ラララ、ラァ~♪」と聞こえていたんですが、やっぱり「ナァ~、ナナナ、ナァ~♪」が本物って感じです。

さらに咆哮するホーンセクションのアタックの強さ、あるいは妙にハズしたというか、今となってはシンコペイトしていると理解出来るギターリフ等々も独得の世界で、これはリアルタイムのロックはもちろんの事、モータウン系のノーザンピートでも無い、とにかく一味異なるノリが大きな魅力だったのです。

まあ、このあたりは同時期に作られ、日本でも大当たりしていたサム&デイヴアレサ・フランクリン、そしてオーティス・レディング等々の南部ソウル物にも感じられるわけですが、ここでのウィルソン・ピケットは馬力優先主義!

もちろんウィルソン・ピケットの他の音源を後追いで聴いてみれば、実は「ダンス天国」のようなアップテンポのヒット曲は意外に少ないことに気がつくのですが、それゆえに迫力はケタ違いということなんでしょうか。

こうして本当に熱くさせられたサイケおやじが追々に集めていったウィルソン・ピケットのレコードの中には、ちょいと???という部分も無いではありませんが、少なくともアトランティック期の1960年代中頃から1970年代初頭までに吹き込まれた歌はソウルの塊ですよねぇ~~!

そのダイナミックなドライヴ感と野生の情熱で演じられるウィルソン・ピケット節は、スローでもアップテンポでも、全く手抜きの無いガチンコ勝負! 本当に生真面目に歌っていると思うんですが、それゆえに所謂サザンソウルの流行が下火になると本人も低迷してしまったのはちょいと残念……。

それでも前述したアトランティック期の音源はソウルの至宝である事に些かの変化もありませんっ!

最後になりましたが、その時期のレコーディングは当然ながらアメリカ南部のスタジオを使って制作され、それがメンフィスのスタックススタジオやアラバマのフェイムスタジオであった事を後に知ってみれば、そこでバックを演じていたのが白人青年中心だった真相に驚かされたのも鮮烈な記憶です。

告白すれば中高生時代のサイケおやじは、黒人R&B系の歌のバックは全てが黒人ミュージャンだと思い込んでいました。

それは例えば前述のウォーカー・ブラザース、あるいは我国GSのスパイダースが演じる「ダンス天国」が、どうやってもウィルソン・ピケットのバージョンに歌はもちろん、失礼ながら演奏パートそのものが負けているという現実を体験していたからです。

う~ん、やっぱり黒人じゃないと、こういうノリは出せないんだなぁ~!?

と独り納得していたところ、実はホワイトボーイがっ!?

そういう真実に触れるきっかけだったのが、オールマンズのデュアン・オールマンだった事は言うまでもありませんが、そのお話は別の機会に譲ります。

ということで、こういうガッツ溢れる歌と演奏を聴いていると、ヤル気が出ますねぇ~~♪

本日からは、かなり厄介な仕事も待ち受けているんですが、「ダンス天国」な気分でぶつかります!

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シュープリームスは進み過ぎ?

2011-09-19 15:59:50 | Soul

ひとりぼっちのシンフォニー / The Supremes (Motown / 日本ビクター)

黒人女性ボーカルグループで最高の人気と実績を残したのがシュープリームスであるという定説は、今もって認めざるをえません。

なにしろ1960年代、アメリカに上陸してきたビートルズを旗頭とする所謂ブリティシュインベンジョンに堂々と対抗する彼女達の歌は、1964~1965年の5曲連続チャート1位という大偉業! もちろん他にも同時期に発売したシングル曲が悉くヒットしていた歴史は、様々な音楽書でも確認出来るとおりです。

しかしサイケおやじの感覚では、どうにも当時の我国でシュープリームスが流行っていたという記憶が曖昧で、実際にラジオから流れていた彼女達の歌に夢中になったことも当然ありません。

ただし、そのシュープリームスを意識しなければならなかったのは、前述したようにアメリカにおいて大ブレイク期のビートルズと対抗出来るほどの歌を出していたという部分であって、それはどんなに凄いんだろう?

と、いうところに尽きます。

ですから、シュープリームスをしっかり聴くようになったのは1970年代に入っての完全な後追いであった事を告白しつつ、以降を書いていこうと思います。

さて、シュープリームスと言えば、一座の看板スタアは主にリードを歌っていたダイアナ・ロスであり、メリー・ウィルソンとフローレンス・バラードはコーラス組というのが一般的なイメージでしょう。

ところが残された映像からの個人的な感想では、そのメリー・ウィルソンとフローレンス・バラードが醸し出す華やかな雰囲気は決定的で、率直に言わせていただければ、ダイアナ・ロスはスタイルも含めてルックスは決して良いとは……。

実は既存の事実として知られているとおり、シュープリームスはモータウンのお膝元だったデトロイトで結成され、1957年頃からアマチュアで活動した後、スカウトされて1961年に正式レコードデビューしているんですが、しばらくは泣かず飛ばずが続いています。

それが1964年になって発売した「愛はどこへ行ったの / Where Did Our Love Go」が突発的とも言えるメガヒット! 見事にチャートのトップに輝き、ここから前述した「5曲連続」という勢いが人気の証明として全盛期に入るわけですが、後追い鑑賞という利点を活かして聴く当時の音源からは、メリー・ウィルソンやフローレンス・バラードのリードも決して悪くはないという感想が、サイケおやじにはあります。

しかしダイアナ・ロスのボーカルには、他のふたりとは異なるフィーリングが確かにあって、幾分細い声質が妙にロックぽいというか、後に独立してソロシンガーとなったフローレンス・バラードが1960年代末に残したレコードと比べても歴然!?

そこがモータウンで新しいサウンドを作り出そうと試行錯誤を重ねていたスタッフライターのエディー・ホランド、ラモン・ドジャー、そしてブライアン・ホランドの3人が組んでいた所謂H-D-Hの狙いと合致したのか? そんな妄想をサイケおやじは抱く事もあります。

一方、下世話な裏話として、ダイアナ・ロスは上昇志向の積極派だった事から、意図的にモータウンの経営者だったベリー・ゴーディーと恋人関係を作り、そこから周囲の反対を押し切らせて自分がリードの座に就いたという噂も!?

そのあたりのゴタゴタは後に作られるミュージカルや映画、さらには暴露本等々で嫌になるほど明らかにされるわけですが、グループ内に様々な確執があった事は疑う余地もありません。

実際、結成時からのリーダーだったフローレンス・バラードが1967年に脱退すると、増長(?)した彼女の提案によってグループ名は「ダイアナ・ロスとシュープリームス」に変えられるのですが、さりとて世に出た楽曲の素晴らしさは普遍に続くのですから、いやはやなんとも……。

例えば本日ご紹介のシングル曲「ひとりぼっちのシンフォニー / I Hear A Symphony」は、まさに全盛期だった1965年秋の大ヒットで、もちろんチャート1位に輝くのも当然の完成度は圧巻♪♪~♪

まずヴァイブラフォンとドラムスがメインで作られるイントロの幻想的なムードが既成の黒人R&Bとは一線を画す、実にお洒落な音楽性を感じさせるんですよねぇ~♪ 時代的には白人のサイケデリックポップなんてものが未だ現実性の無かった頃ですし、バート・バカラックやブライアン・ウィルソンだって、ここまでのサウンドは想起出来ていなかった事を含めて、全く進み過ぎじゃないかと思うばかりです。

そして全体の曲の構成が、ミディアムテンポの強いビートを基本としたソフトロック調なのも驚くべき事じゃないでしょうか。複雑に絡み合うリードボーカルとコーラスワークのリズムの取り方とか、夢見るようなメロディの展開も素晴らしく、さらに間奏を演じる不思議に野暮ったいバリトンサックスは、意図的に狙ったコントラストの妙なんでしょうか?

とにかくミステリアスで粋な名曲名唱の決定版だと思います。

ちなみに所謂モータウンサウンドに対する個人的な見解としては、黒人R&Bというよりもポップミュージックであって、歴史的な流れの中ではフィル・スペクターが作り出し、流行させた白人向けR&Bの逆輸入というか、非常にジャズっぽくもあり、また強い黒人ビートを出しながら、実はサウンドの彩りがクラシック音楽の影響も否定しきれない白っぽさに感じるのです。

ご存じのとおり、前述したフィル・スペクターの作り出した所謂スペクターサウンドは、分厚いバックの演奏パートに少しばかり引っ込んだミックスの歌唱という、ある意味では作為に満ちたところから浮かび上がる素敵なメロディというキモが特徴的だと思うんですが、それをモータウンサウンドは、さらにジャジーに発展させた部分があって、それこそがお洒落な雰囲気の源じゃないでしょうか。

ですから分厚い演奏パートの存在は言わずもがな、ボーカル&コーラスには黒人R&Bやブルースの衝動よりもモダンジャズやロックのフィーリングが必要とされ、例えばマービン・ゲイがポピュラーなジャズシンガーの如き素養を持っていたのも当然のような気がします。

ということで、モータウンサウンドについては書き尽くせないほどの思い入れがあるんですが、それは既に述べたとおり、サイケおやじの後追い鑑賞による独善ですから、ご容赦下さいませ。

そんな事よりも、まずは聴くという基本姿勢があってこそ、モータウンだって充分に楽しめるはずです。

その意味で、実はシュープリームスが苦手なサイケおやじ……。

だって、グループ名の意味がストレートじゃ無いし、大好きなザ・シュークリームとの紛らわしさとか、何よりも、お洒落過ぎて、黒人音楽特有の粘っこい節回しやシンコペイトされたビートの楽しみが薄いんですよねぇ。

まあ、そうしたポイントが1960年代のアメリカ白人社会にはウケたんでしょうし、そこが制作側の狙いでもあったのでしょう。

ですから、もっと泥臭いものを好む日本人の感性には、それが黒人音楽として売られる事に違和感があったのかもしれません。

当然ながらサイケおやじも、そのひとりとして、白人が黒人音楽を搾取して作ったロックへ先に耳が向かったのも当然だったと思っています。

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今、ストレートな分かり易さが必要

2011-08-25 15:53:53 | Soul

レッツ・ゴー・ソウル / Arthur Conley (Atlantic / 日本グラモフォン)

仕事関係で海外からのお客さんと会話中、まあ、ジョークながら、「日本は幸せ」というキツ~イことを言われてしまいました。

なにしろ未曾有の大災害から原発事故、食物汚染、経済恐慌、政治の不安定が現実なのに、トップニュースが三流芸人の引退だというのですから、外国人には???の気分なんでしょう。

正直、何処ぞの国のように暴動が起こって、政権が潰されたって不思議ではない日本において、某任侠団体の幹部や刑事被告人と交友があったからといって引退する漫才師の動向をあれこれ取り上げるマスコミは、だから「マスゴミ」なぁ~んて言われるんでしょうねぇ。

だいたい、刑事被告人との付き合いがいけないというのなら、もしかしたら総理大臣になるかもしれない代議士が、所属政党の代表選挙に勝ちたいがために同様の立場の権力者に尻尾を振って、頭を下げている図を、なんで悪いと言えないマスコミは笑止!

全く自己矛盾する報道だと思いますが、おそらく件の漫才師は単なる交友関係だけじゃない、もっと黒~い実態が表沙汰になる可能性を考慮したんでしょう。そうなればスポンサーや出演テレビ局、所属会社に大きな迷惑を……。

という推察は、完全なるサイケおやじの妄想にすぎませんが、なにか単純な思惑を回りくどい分かりにくさに仕立てるマスコミは気に入りませんねぇ~~。

そこで、分かり易さといえば、本日ご紹介のシングル曲♪♪~♪

もう、タイトルからして、小学生でも理解出来るノリの良さが痛快至極だと思いますが、実際に聴けば、そこは文字通りのソウル天国! 1967年にアメリカで大ヒットした流れを引き継ぎ、我国でもウケまくりでした。

それはアップテンポの調子の良さ、黒人R&Bならではの前ノリと粘っこいビート感の見事な融合であり、このあたりの雰囲気の凄さは日本人はもちろんの事、欧米の白人にも到底真似出来ない世界だと思います。

で、歌っているアーサー・コンレーは驚くなかれ、オーティス・レディングの弟子というか、所謂秘蔵っ子として大々的にプッシュされた逸材と紹介されましたが、確かに残されている映像を見ると、そのステージアクションは師匠から伝授された動きもあり、また当然ながら、ジェームス・ブラウンを筆頭とする偉大な先輩達からの影響も大きいのですが、この「レッツ・ゴー・ソウル / Sweet Soul Music」そのものが、サム・クックの某曲をオーティス・レディング&アーサー・コンレーの師弟コンビが焼き直したものという真相は有名です。

ただし、そこが上手いのは、歌詞の中にジェームス・ブラウンとか、まさにソウルを体現していた偉大な歌手の名前を織り込んだり、「スウィートなソウルが好きかい?」と問われれば、思わず「イェ~~」と答えてしまう、所謂コール&レスポンスの醍醐味を持ち込んだりした企画性の勝利じゃないでしょうか。

曲展開の要所で炸裂する、どっかで聞いたことのあるキメのリフやビシバシにブッ飛ばす演奏パートも良い感じ♪♪~♪

しかし率直に言わせていただければ、アーサー・コンレーは決して一流のソウル歌手とは思いませんが、結果的に特大のヒットは「レッツ・ゴー・ソウル」だけという状況に素直に従ったような活躍は、ご存じのとおり、師匠のオーティス・レディングの突然の悲報により、自らの芸能生活を縮小してしまう運命と重なり、それはそれで納得させられてしまいます。

どうやら1970年代からは欧州各地を転々としながら、自分に合った生活をしていたと言われていますが……。

なにか、そんなところにも、憎めないものを感じてしまいますねぇ。

ということで、分かり易いものはバカにされる一面が確かにあると思います。しかし、そうしたストレートな正直さは、素直に好感を持たれる事も否定出来ないでしょう。

アーサー・コンレーは、リアルタイムでは「ソウルの新星」と紹介された記憶もありますが、今の時代、ちょっとでも救世主になれるかもしれない期待の星の出現が待たれますねぇ……。

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流石はアレサの底力!

2011-08-23 16:30:45 | Soul

明日に架ける橋 c/w A Brand New Me / Aretha Franklin (Atlantic / ワーナー)

オリジナルヒットとカバーバージョンの関係は、それこそ大衆音楽では避けて通れないものですが、特に情報が少なかった頃の我国洋楽事情においては、そこで図らずも元ネタが暴露されるという根源的な面白さもありましたですねぇ。

例えば本日ご紹介のアレサ・フランクリンが歌う「明日に架ける橋 / Bridge Over Troubled Water」は説明不要、サイモン&ガーファンクル=S&Gが1970年に放ったメガヒットの代表作というだけに留まらず、歴史に残るポピュラーな名曲ですから、カパーバージョンは星の数ほど残されています。

しかしサイケおやじが、これを特に気に入ったのは、S&Gのオリジナルバージョンが本来の味わいとしていた静謐で厳かな盛り上がりが、アレサ・フランクリンの演じるところでは、最初っから濃厚なテンションで披露されるというポイントに尽きます。

ご存じのとおり、それはS&Gのオリジナルバージョンを圧倒的な印象に導く、文字通りのピアノによる壮麗なイントロからアート・ガーファンクルが渾身の名唱によって、感動的の大団円へ向かって行く展開が圧巻だったわけですが、それをアレサ・フランクリンは自らに忠実なゴスペルフィーリングで見事に解釈!

なにしろノッケからエレピとエレキベース、そして如何にものオルガンとドラムスをバックにソウルフルなコーラスとボーカルが露払いを演じた後、本人のエレピとビリー・プレストンのオルガンが絶妙のコラポレーションを聞かせてしまう展開には、いきなりグッとシビれが止まりません。

もちろんそこにはスローミディアムの粘っこいソウルビートが厳然と存在しますから、自在にフェイクされるオリジナルメロディの魅力が尚更に顕著♪♪~♪

あぁ、この体の芯から揺さぶられてしまうグルーヴィな快感は、まさにアレサ・フランクリンの真骨頂でしょうねぇ~~~♪

しかも熱の入ったハイトーンのシャウトは、アート・ガーファンクルの美しいテノールの歌声とは似て非なる魂の発露であり、それはどちからが優れているかという問題よりは、十人十色の好き嫌いも確かにあるでしょうが、良い音楽を聴いているという充足感に他なりません。

当然ながら全篇の雰囲気の良さ、サウンドプロダクトの緻密さ、そこに強い存在感を示す名人ミュージシャン達の伴奏も素晴らしい限りですが、アレサ・フランクリンのバージョンでは、特にゴスペルムードを増幅させるコーラス隊とリードボーカルの並立が全く自然体の黒人感覚で、最高ですよ♪♪~♪

ちなみにサイケおやじがアレサ・フランクリの「明日に架ける橋 / Bridge Over Troubled Water」を初めて聴いたのは、国営FMラジオで放送されたフィルモアでのライプバージョンだったんですが、そこで瞬時にシビれながらも収録LPが経済的な問題によって入手出来ず、それからしばらく後、ようやく中古で掲載したシングル盤をゲットして仰天!?

実はこれ、サイケおやじは件のライプ盤からカットされたものだと思っていたんですが、なんとっ! スタジオ録音バージョンだったんですねぇ~~。

しかし、だからこそ、ライプバージョンと似たようなアレンジで演じられながら、さらに凝縮されたインスピレーションの素晴らしさは筆舌に尽くし難いほどです。

ちなみにアメリカでの発売は1971年3月であり、フィルモアでのライプギグが同年2月ということで、明らかに観客からの好評継続が狙いと思われますが、実際のスタジオレコーディングは1970年秋頃と言われていますから、あながちミエミエの商売とは言い切れないと思います。

そのあたりはB面収録の「A Brand New Me」が、やはり同時期にレコーディングされた事実とも符合しているというか、当然のようにこの歌も所謂フィリーソウルのカパーであり、例えばジェリー・バトラーやダスティ・スプリングフィールドのヒットバージョンは特に知られているはずです。

そしてアレサ・フランクリンが絶妙の4ビートも交えて軽く歌っていく中には、隠し様も無い濃密なゴスペルフィーリングに裏打ちされた前向きなムードが、全く最高♪♪~♪

ですから、何故にサイケおやじがアレサ・フランリンの歌う「明日に架ける橋」に惹きつけられてしまうのかは、本家S&Gが既成のゴスペルメロディを元ネタにしていたという真相を知らされて、思わず唸った現実に……!?!?

当然ながら、そうした裏話は後に知ったわけですが、ゴスペルが身に染みついているアレサ・フランクリンにしてみれば、既に世界的な大ヒットになっていた「明日に架ける橋」をナチュラルな自分流で歌ってしまう事は、なんの造作も無かったのでしょう。

そう思えば、これ以前、同じくゴスペルを焼き直したが如きビートルズの「Let It Be」をアレサ・フラクリンがジャストミートの感覚でカパーしていたのも、当たり前でした。

ということで、もちろんS&Gのオリジナルバージョンを否定するものではありませんが、機会があれば、このアレサ・フランクリンの魂の歌もお楽しみ下さいませ。

既に述べたように、どういうわけか、ご紹介のスタジオ録音バージョンは、リアルタイムで発売されていたアレサ・フランクリンのアルバム群には収録されず、つまりはシングル盤オンリーの存在でしたが、現在ではベスト盤を含む様々なCDで聴くことが出来ますので、ぜひっ!

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ビリー・プレストンのソウルとロック

2011-08-13 16:29:38 | Soul

I Wrote A Simple Song / Billy Preston (A&M)

1970年代、誰よりも有名だった黒人ミュージャンがビリー・プレストンでした。

と書いてしまえば、もちろん異論の噴出は当然でしょう。なにしろ当時は所謂ニューソウルの全盛期であり、また往年のR&Bスタア達にしても、そんな時代の趨勢の中で新たな境地に進む円熟期を迎えていたのですからっ!

しかしビリー・プレストンの場合は黒人音楽というよりは、ロックという白人音楽のフィールドから名前を売ってしまったという特異性があって、それは1969年初頭に記録されたビートルズのゲット・バック・セッションからアップルレコードでのリーダーアルバム制作、その繋がりからのバングラ・デシ救済コンサートでの大熱演、さらにストーンズのライプ巡業やスタジオレコーディングでの目立ちまくった暗躍(?)等々、須らく強い印象を残す活動の数々は、今日でも忘れられていないと思います。

そして同時期にA&Mへ移籍してから作られた自己名義のアルバムも、リアルタイムで抜群の売れ行きが続き、さらに今日ではフリーソウルなんていう意味不明の言葉に依存するDJ御用達であったり、そんなこんなから再発見されて後の新しいファンにも支持を広げている現実は否定出来ないでしょう。

さて、そこで本日のご紹介は、そんなビリー・プレストンが上昇期の勢いで発表した1971年の人気アルバム♪♪~♪ ゴスペルやジャズ、R&Bやファンキーロック、さらにはシンガーソングライター的な味わいまでもがゴッタ煮の歌と演奏は、まさにニューソウルのフィーリングが全篇に溢れる好盤ですよ。

 A-1 Should've Known Better
 A-2 I Wrote A Simple Song
 A-3 John Henry
 A-4 Without A Song
 A-5 The Bus
 B-1 Outa-Space
 B-2 The Looner Tune
 B-3 You Done Got Older
 B-4 Swing Down Chariot
 B-5 Got Is Great
 B-6 My Country 'Tis Of Thee

実は当時、このアルバムが注目されたのは、親友のジョージ・ハリスンが参加していたという話題があればこそで、それはシングルカットもされた「I Wrote A Simple Song」という、なかなか内省的なアルバムタイトル曲に顕著でした。なにしろジョージ特有の「枯れた泣き」のスライドギターが最高の味わいで楽しめますし、ビリー・プレストンの幾分抑えた歌いまわしがジャストミートのジェントルな曲メロ、さらにはバロック調のストリングスやツボを外さないソウルフルなホーンのアレンジが実にキャッチーな仕上がりなんですねぇ~♪ もちろん本人が演じるオルガンやピアノも良い感じ♪♪~♪

ちなみにアレンジにはクインシー・ジョーンズが絡んでいるのも、充分に納得される名曲名演だと思います。

ところが、何故かこれが小ヒット……。

しかし瓢箪からコマというか、驚くなかれ、このシングルのB面にカップリングされていたインスト曲「Outa-Space」が全米のラジオ局を中心にウケまくった事から、ついにはチャートのトップに輝く大ヒットになったのですから、流石にビリー・プレストンは凄いミュージシャン! 実際、ノッケからファンキーに突っ込んでくるキーボートとリズム隊のコンビネーションは、キメのリフやアドリブの分かり易さも含めて、たまらない熱気を撒き散らします。

ストーンズのファンの皆様ならば、1975年の全米ツアー及び翌年の欧州巡業のライプステージで、ストーンズの面々をバックに従えた爆発的なパフォーマンスで会場を興奮のルツボに叩きこんだ名場面が忘れられないはずですよねぇ~♪

う~ん、ファンキーなキーボードロックの極みつき!

そう書いてしまえば、これまた顰蹙かもしれませんが、ビリー・プレストンの魅力ひとつは、そういうロックフィーリングを隠そうとしない事かもしれません。

ですから、絶対的にファンキーなリズムセクションを構築した中でスワンプロックをやってしまう「Should've Known Better」や「John Henry」、おそらくはデヴィッド・T・ウォーカーが弾いているであろうメロウなギターが絶妙の彩りとなったゴスペルソウルの「Without A Song」にしても、実は白人ブルースロックからの影響が滲んでいるように感じるのです。

ただし、一方で痛烈な同朋意識を訴える「The Bus」の気持良いフュージョン感覚は流行の黒人音楽以外の何物でもなく、またアメリカ大衆音楽における黒人流行歌の役割を再認識させる「The Looner Tune」の楽しさは格別ですよ♪♪~♪

もちろん、このあたりの路線は以降に継承発展されていくわけですが、まだまだこの時期、つまり1971年当時の流行最先端はスワンプロックであり、シンガーソングライターのブームが大きく広がっていたとあっては、続く「You Done Got Older」が些か煮え切らないのも必然だったのでしょうか……。個人的にはデレク&ドミノスあたりに演じて欲しいような気分ですし、ビートルズの「Get Back」をパロったところはご愛嬌???

しかし、これを場面転換にしたかのように、続く「Swing Down Chariot」「Got Is Great」「My Country 'Tis Of Thee」の三連発は、まさにゴスペルロックのニューソウル的展開が最高潮! 似たような事は、例えばダニー・ハサウェイも同時期にやっていますが、ビリー・プレストンの何かふっきれた感性は唯一無二でしょう。

特にオーラスの「My Country 'Tis Of Thee」は渾身の名唱名演だと思います。

ということで、これ以降の本格的な全盛期に出された諸作と比べれば、かなり地味な仕上がりなのは否めませんが、ここに提示されたロックとソウルの並立関係はスワンプロックの発展形でもあり、未だ正体が明確では無かったニューソウルのタネ明かしとしても興味深いと思います。

ちなみに参加ミュージャンは既に述べたようにジョージ・ハリスン(g)、デヴィッド・T・ウォーカー(g)、クインシー・ジョーンズ(arr)、キング・エリソン(per)、クライド・キング(vo)、バネッタ・フィールズ(vo)、メリー・クレイトン(vo) 等々の有名人が多数クレジットされていますが、それ以外にも無記名の助っ人が活躍している真実は、まさに聴けば納得でしょう。

また、言うまでもありませんが、ビリー・プレストンの的確なボーカルの力とピアノやオルガン、さらに各種シンセ類の使い方も最高レベル! それは演目のほとんどが自作曲であり、自身のプロデュースによる忽せに出来ない決意の表明に他なりません。

全くこういうアルバムが普通に作られていたのですから、やはり1970年代は個人的な思い入れ以上に充実していたんですねぇ~♪

機会があれば、皆様にもお楽しみいただきた1枚です。

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アビー・ロード対マクレモア・アベニュー

2011-08-06 16:55:31 | Soul

McLemore Avenue / Booker T. & The MG's (Stax)

世界中で一番有名なLPレコードは、そのジャケット&内容の全てにおいて、ビートルズが1969年9月に出した「アビイ・ロード」というのは衆目の一致するところでしょう。

ですから、そのカパー&パロディ盤が数多存在するのも道理であり、本日ご紹介の1枚は、中でもニンマリさせられるほどの秀逸アルバム♪♪~♪

なにしろジャケットからして完全パロディですからねぇ~♪

ご存じのとおり、ビートルズのカパーフォトが撮影された横断歩道のロケ地はEMIスタジオ前のアビイ・ロードですから、ブッカーTとMGs の面々も所属レコード会社のスタジオ前にあるメンフィスはマクレモア・アベニューを横断するという、実に気合いの入った企画の本気度も高いと思います。

そして当然ながら、演目も「アビイ・ロード」収録の名曲群なんですから、たまりません♪♪~♪

 A-1 Medley
       Golden Slumbers ~ Carry That Weight ~ The End ~
       Here Come The Sun ~ Come Together
 A-2 Something
 B-1 Medley:
       Because ~ You Never Give Me Your Money
 B-2 Medley:
       Sun King ~ Mean Mr. Mustard ~ Polythene Pam ~
       She Came In Through The Bathroom Window ~
       I Want To You (She's So Heavy)

さて、収録演目は上記のとおりですが、本家ビートルズの「アビイ・ロード」が特にLPのB面で披露した鮮やかで華麗なメドレーの様式美が、ここでも大切にされているは流石です。

と言っても、それは丸コピーでは決してなく、オリジナルの味わいを活かしつつも、きっちりと独自のアレンジを用い、さらに絶妙な流れが構築されているのです。

それは説明不要とは思いますが、ブッカーTとMGs は本来が歌手の伴奏を担当するグループであり、それゆえに自分達が主役となるインストの演奏は上手くて当然! そういう下地があってこそのアレンジの妙や演奏の職人技が楽しめるんじゃないでしょうか。

このアルバム制作時のメンバーはブッカーT(org,p)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、アル・ジャクソン(ds) の4人組で、ジャケ写から一目瞭然の白人2人に黒人2人という人種混成が、いろんな意味でメンフィス産のR&Bを成功に導いたという説には納得出来るものがあります。

なにしろメンフィスはアメリカの中でも殊更に人種差別が厳しく、白人と黒人が一緒に行動したり、同じ場所に居ることさえもタブーとされる土地柄だったのが、1960年代までの常識だったと言われています。

しかし、そんな環境の中で行われていた芸能活動、つまり主に黒人R&Bを演じる現場では白人がリーダーシップを執ることが珍しくなかったようで、それはレコーディングセッションにおいても、レコード会社のオーナーはもちろん、プロデューサーやバックバンドにも白人が多かった事は今や歴史として認知されています。

例えばブッカーTとMGs が所属していたスタックスは、オーティス・レディングやルーファス&カーラ・トーマス等々の偉大な黒人シンガーのレコードを世に出した忘れられないレベールですが、当時の経営者は白人でしたし、初期にはセッションの伴奏を務めていたマーキーズという演奏グループも全員が白人だったのです。

ただし、これも当然ではありますが、黒人ミュージシャンだって立派に活動していたのが本当のところであり、ブッカーTは前述のマーキーズが巡業に出ている間のレコーディングセッションでは中心人物として活躍していた俊英であり、アル・ジャクソンは地元の名手として、これまたライプの現場では堂々の活躍をしていたわけですから、自然とレコード制作に関わっていくのも時代の要請というところでしょうか。

つまり今日、所謂スタックスサウンドと称されるアメリカ南部産のR&Bがメンフィスで誕生したという説が強いのも、基本的には黒人ならではの粘っこいソウルビートを白人にも理解し易いように変化させた成果なのかもしれません。

その意味でスティーヴ・クロッパーとダック・ダンが前述したマーキーズ出身というのも充分に肯定出来る経緯でしょう。

こうしてひとつの流れの中で纏まったブッカーTとMGs が、スタア歌手の伴奏ばかりではなく、自らのリーダー盤を出してヒットさせるのは自明の理!?! 説明不要のシングルヒット「Green Onion」や「Time Is Tight」等々は誰もが一度は耳にしたことのある有名なリフでしょうし、なによりもシャープなスティーヴ・クロッパーのリズムギターや味わい深いリードプレイ、グルーヴィでソフト&メローなムードの演出も忘れないブッカーTのオルガン、意外にもモダンなダック・ダンのペースにドライヴ感満点の天才的なビートとリズムを提供するアル・ジャクソンという4人組が作り出す演奏は、未来永劫の基本的な音の楽しみがいっぱい♪♪~♪

ですから、アルバムも様々な企画の中で作られていますが、この「マクレモア・アベニュー」こそは所謂トータルアルバムの美味しい部分を抽出した確信犯的な楽しさがあり、加えてグループとしての音楽表現も充実しています。

ただしご推察のように、インスト演奏主体と言っても、それは決してアドリブ優先主義ではなく、ビートルズが提示した素敵なメロデイとコーラス&ボーカルの魅力をそれに置き換えることに主眼が置かれていますから、ご安心下さい。

極言すればハコバン的なチープな質感も大切にされ、それをショボイと批判するか、カッコ悪いことがカッコイイとする当時のフィーリングを肯定するかによって、自ずと好き嫌いが分かれるのは仕方のないところかもしれません。

それでも聴いていて心地の良い瞬間が多々訪れるのは確かであって、それは耳に馴染んだビートルズならではのメロディや演奏のポイントが、ブッカーTとMGs という職人集団によって中身の濃いソウルフルな味わいに仕立てられている証に他なりません。

万人向けとは申しませんが、機会があれば、お楽しみ下さいませ。

最後になりましたが、ジャケットに写っている道路左側の三角屋根の建物がスタックスのスタジオであり、昔は映画館だったとか!?

実はサイケおやじは1979年に現地に行くことが出来て、その歴史的な場所には流石に震えがきたほどでしたが、リアルタイムではテレビ用の貸しスタジオになっていたらしく、肝心のスタックスレコード本体も大手のファンタジーに売却された後でしたから、ちょいと寂れたところでしたねぇ……。

ということで、やっぱり「アビイ・ロード」は凄いなぁ~~♪

そう思うこと、頻りなのでした。

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真夏のダンスに Heat Wave !

2011-07-25 15:31:17 | Soul

Heat Wave / Martha & The Vandellas (Gordy / 日本ビクター)

これまでも度々述べてきたとおり、サイケおやじはブルースやR&Bといった黒人音楽の素敵な楽曲は、そのほとんどを所謂1960年代ロックから教えられました。

例えば本日ご紹介のシングル曲「Heat Wave」にしても、オリジナルはマーサ&バンデラスが1963年夏から秋にかけて全米はもちろんの事、世界中で大ヒットさせたノーザンピートの傑作というのが歴史ではありますが、これがリアルタイムの日本で流行っていたという認識が、何故か、サイケおやじにはありません。

しかし、この歌が最高に好きになったのは、ザ・フーが「恋のヒートウェーブ」という邦題でカパーしてくれたのが発端で、それを昭和42(1967)年にラジオで聴いたサイケおやじは、一発でシビれましたですねぇ~~♪

そこで急遽、レコード屋へ走ったことは言うまでもありませんが、残念ながらザ・フーのバージョンは我国独自の編集LP「アイム・ア・ボーイ」に収録されていただけということで、泣きの涙……。

いゃ~、本当にその頃、潤沢な小遣いがあったら、今の自分はもっと豊かな感性と余裕の人格を形成出来ていたのではないか? なぁ~んて思うほどですが、まあ、そういう人生の辛苦を少年時代に知ってこそ、年齢を重ねた後の心に味わいが染みてくるのかもしれませんねぇ。

閑話休題。

で、そういう未練を根性の源にして、高校生の頃にようやくゲットした前述のアルバム「アイム・ア・ボーイ」を堪能していた頃、なんと「恋のヒートウェーブ」はザ・フーのオリジナル曲ではなかったという真実に、恥ずかしながら辿りついたのがサイケおやじの未熟さでありました。

そこで、ど~してもマーサ&バンデラスのオリジナルバージョンを聴きたくて、なんとか中古でゲットしたのが掲載したシングル盤というわけですが、これが意外なほどに大当たり!

如何にも調子の良いリズムとキャッチーなリフで構成された楽曲の流れは、当然ながらザ・フーではギターで置き換えられていたパートが、オリジナルバージョンではブラス&ホーンセクションとヘヴィな黒人ビートによって本質的に演じられ、なによりも浮ついたところが魅力だったザ・フーのボーカル&コーラスが、マーサ&バンデラスのパンチの効いた黒っぽさの前では些か色あせてしまう印象さえありました。

実はご存じのとおり、マーサ&バンデラスが放ったオリジナルのヒット曲は英国でもアメリカ同様にウケまくりで、特にモッズ族と呼ばれた連中がやっていたロックバンドではカパー必須の状況があったようです。

それはマーサ&バンデラスが、なかなかロックっぽいアプローチを自然体で表現出来たことによるのかもしれません。

有名なところではミック・ジャガーとデヴィッド・ボウイが共演した「Dancing In The Street」が彼女達のヒット曲カパーだった事でも顕著ですが、基本的にはダンス用の歌と演奏であったとしても、絶妙のコブシを使い分けるマーサ&バンデラスは同じモータウン所属のシュプリームスあたりと比較して、その黒っぽい感覚がロック方面ではウケる秘訣じゃないか?

そんなふうに思っています。

肝心のマーサ&バンデラスは、マーサ・リーヴズ、ロザリンド・アッシュフォード、アネット・スターリングという3人組で、もちろん彼女達は全員が当時のモータウン御膝元だったデトロイト出身という事になっていますが、その結成とデビューについては諸説があるようです。

しかし、その中で一番有力なのが、秘書として雇われながら、実はモータウン系のライターが書いた楽曲のデモを歌うのが仕事というマーサ・リーヴズを正式に売り出すため、コーラスバートをやれる他のふたりが選ばれたという定説も、それが当時最先端の流行だったという証でしょう。

ですから、なかなか器用な面も兼ね備えた彼女達がマーヴィン・ゲイあたりのバックコーラスを担当する事も多かったそうですし、当時の常識として、実際の巡業ステージではマーサ・リーヴズ以外のメンバーが頻繁に代わっていた真相もあるようです。

ということで、サイケおやじは忽ちにしてマーサ&バンデラスのファンになり、このジャンルの黒人女性コーラスグループとしては、真っ先に好きになったのが彼女達でした。

なにしろ、この「Heat Wave」をはじめ、本当に楽しいビートで歌ってくれるダンス曲の素晴らしさは言わずもがな、パラード系の曲にしても、なかなか強いリズム感が侮れませんよ♪♪~♪

当然ながら、実に夏向き真っ盛りの歌ですから、この機会に熱いダンスビートを求めて楽しむのも素敵じゃないか? と思っています。

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偽り無しのダブルダイナマイト!

2011-06-20 16:36:05 | Soul

Hold On, I'm Comin' c/w Soul Man / Sam & Dave (Atlnatic / 日本グラモフォン)


洋楽史的には1960年代の黒人音楽、つまりR&Bも立派に流行っていたと思われがちですが、実はアメリカにおいては未だ人種差別の壁があった所為で、所謂ヒットチャートに入るほど売れた歌手やグループは数えるほどなのが実態でしょう。

まあ、このあたりは様々な事象に対する一般的な通念が、白人と黒人では根本から異なっていたのですから、ある程度は納得出来るんですが、何故か我国でも昭和40年代初め頃までは、それほどイノセントな黒人音楽が流行っていたという印象がサイケおやじにはありません。

それがモダンジャズでは黒人物がウケまくっていた現実とは、何故か遊離しているのも不思議……。

しかし昭和43(1968)年頃になると、それが一変!

ラジオからも本格的な黒人の歌がピンピンに流れて来ましたし、何よりも当時最高潮のGSブームで登場した様々なバンドが、そういうコピー&カパーを演じていたことも大きかったと思います。

ちなみにサイケおやじにしても、黒人R&Bやブルースに関しては、ビートルズやストーンズ等々の英国ビートグループやアメリカのガレージ系バンドを経由して、それなりに親しんでいたつもりだったんですが、やはり本物を聴いてしまえば、あとはそっちに夢中!

例えば本日ご紹介のサム&デイヴは、通称ダブルダイナマイトと呼ばれた黒人男性デュオの最高峰で、その豪気なソウル魂と心に染みる真っ黒な泣き節は魅力絶大でした。

そして特に人気があったのが、このシングル盤A面収録の「Hold On, I'm Comin'」でしょう。

本国アメリカでは1966年春から秋にかけてチャートのトップに輝く大ヒットを記録した名曲名唱である事は、ダイナミックで完璧なサウンドプロデュースを得た2人の熱いシャウト合戦に顕著で、実は日本ばかりではなく、世界中のバンドや歌手も盛んにコピーしていましたが、そのほとんどは失礼ながらイモ丸出し!?

それほどサム&デイヴの凄さは絶品の仕上がりで、イントロからズッシリ重いリズムとビートにキャッチーなホーンリフを従えたサム&デイヴの粘っこい歌い回しは、時にエキセントリックな絶叫や掛け声も交えながら、実に熱血なソウルの世界を現出させるのですから、サイケおやじはラジオで初めて聴いた昭和43(1968)年の春休み前に絶対レコードを買う決心をさせられたほどです。

そして実際に入手し、B面を聴いて、これまた絶句!

ご存じのとおり、カップリングされた「Soul Man」もサム&デイヴの代表曲にして、アメリカでは1967年秋からの大ヒットになっていたんですから、本来はこっちがA面扱いでも全く問題無いはずなんですよねぇ~~♪

個人的にはイントロの軽いギターが重いビートを牽引していくノリが大好きで、もちろんサム&デイヴの歌も抜群のリズム感とソウルフィーリングに満ちていますから、むしろB面ばっかり聴いていた時期もあったほどです。

う~ん、それにしても凄い贅沢な抱き合わせのシングル盤ですよねぇ~~♪

文字通り、ダブルダイナマイトとは、この事ですよっ!

で、書き遅れていましたが、サム&デイヴはサム・ムーアとデイヴ・プレイターの2人組として、マイアミ周辺で活動していたのが下積み時代だったようです。当然ながら、弱小レーベルへの吹き込みもしていたわけですが、前述した「Hold On, I'm Comin'」で大ブレイクした時にはアトランティックと契約中でありながら、制作主体は南部のスタックスレコードという業界の不思議な目論見が微妙なところでしょうか?

ただしデュオチームの定型として、サムが高音パートを歌い、一方のデイヴが中低域を担当するという固定観念が、スタックスで作られた諸作では曲によってリードを歌う部分が柔軟に解釈されているように思います。

つまり、売れなかった時代の音源よりは、ずっと自由度が増したソウル性感度が素晴らしく、それは当時のスタッフだったアイザック・ヘイズとデイヴ・ポーターの曲作りやプロデュースがあればこそっ! 同時にブッカーT&MGs の面々の中心とする伴奏バンドの力量も聴き逃せないところでしょう。

ということで、今にして思えば、このシングル盤収録の2曲がヒットした事で、ようやく我国にも本格的なR&Bが聴ける状況が出来たように感じています。

そして夏前にはオーティス・レディングの「The Dog Of The Bay」がメガヒットする布石になったんじゃないでしょうか。

ただし個人的には誤解を招く発言になるかもしれませんが、こうした黒人R&Bをロックと同じ感覚で聴いていたのも、また事実だったんですよ。

そのあたりが如何にも昭和40年代の雰囲気ということで、ご理解願えれば幸いでございます。

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アイズリー・ブラザーズ生涯の1枚

2011-05-19 16:40:10 | Soul

■Live It Up / The Isley Brothers (T-Neck / CBS)

アイズリー・ブラザーズが1974年に出した傑作人気アルバムで、それは「ジ・アイズリーズ・ライプ」と「3+3」によって目覚めたサイケおやじにとっては、初めてのリアルタイム盤だったんですが、案の定、我国ではヒットしていません。

というか、当時はアイズリー・ブラザーズのようなニューソウルでもハードロックでもない中途半端な存在は、レコード会社や洋楽マスコミでも扱いにくかったようで、特に目立ったプロモーションは無かったと思います。

しかし内容は、自意識過剰とも受け取られかねない頑固さと流行に対する敏感な反応が上手くミックスされた、実に美味しい歌と演奏がテンコ盛り♪♪~♪

 A-1 Live It Up (part 1 & 2)
 A-2 Brown Eyed Girl
 A-3 Need A Little Taste Of Love
 A-4 Lover's Eve
 B-1 Midnight Sky
(part 1 & 2)
 B-2 Hollo It's Me
 B-3 Ain't I Been Good To You
(part 1 & 2)

まず冒頭、強いビートでうねりまくるクラヴィネットのコンビネーションは、完全にスティーヴィー・ワンダーの「迷信」から強い影響を受けている事は否定出来ないわけですが、これが最高の気持良さ♪♪~♪

と言うか、シンプルなファンクビートと粘っこいボーカル&コーラスが黒い熱気を醸し出し、さらにはジミヘン直系のブラックロックなギターが泣きまくるという展開は、これでシビれなければバチアタリでしょう。

こうした歌と演奏は前作「3+3」で確立されたオケーリー、ルドルフ、ロナルドの年長組ボーカル隊とアーニー(g,ds)、マービン(b) の弟2人に従兄弟のクリス・ジャスパー(key) を加えたインスト組の6人が一体となって作られたもので、特にアーニー・アイズリーはド派手なギターばかりでなく、潔いまでにファンキー&シンプルなドラムスを担当していることが、結果オーライだと思います。

つまり、こうしたファンク物は単調なビートの繰り返しの中に様々なアクセントやイントネーションを表現していく事で生成されていくスリルとサスペンスが面白いわけですから、あまり変則的なオカズ過多はお呼びじゃない!?

このあたりをつまらないと言い張るのがジャズ愛好者だろうと思いますが、それじゃ電化期のマイルス・デイビスやジェームス・ブラウンは、どうなんですかぁ~~?

まあ、そんな生意気な質問には答える義務や義理も感じなくて当然ではありますが、基本的にファンクビート中毒者のサイケおやじは、もう、この一発でイチコロでしたねぇ~♪

しかも執拗なファンク攻撃が延々と続いた直後に潔く入っていくメロウソウルの「Brown Eyed Girl」が、最高にたまらない世界ですよ♪♪~♪

このあたりは硬軟自在にソウルフルな歌いっぷりを完全披露するロナルド・アイズリーの真骨頂ですし、意外と生音主体の演奏パートも侮れず、こうしたコントラスの妙がアルバムの流れと雰囲気を作っていく十八番の目論見が、早くもここで成功したというわけです。

そして再びギターが暴れ、クラヴィネットがリードする「Need A Little Taste Of Love」から甘いフュージョンソウルな「Lover's Eve」へと続く展開は、結論から言えばB面への露払いでしょうが、ドゥービー・ブラザース調の前者に美メロが心に染みわたる後者という構成は、後に白人ミュージシャンがブルーアイドソウルの発展形として表現するAORへの最短距離かもしれません。

ですから、このアルバムの真価を収めたB面の素晴らしさは、何度聴いてもアイズリー・ブラザーズのファンで良かったと思う他はありません。

それはファンキーフュージョン&ソウルの決定版「Midnight Sky」で早くも実感され、前半のソフト&メローな展開が後半では強烈なゴスペルファンクに変貌するという物凄さっ! 正直言って、同じ曲とは思えないほどですよっ!

もちろん、その中では強烈なギターバトルをひとり数役で演じてしまうアーニー・アイズリーの大奮闘が眩いばかりですし、年長組の熱血ボーカルも最高の極みでしょう。

ちなみにここでのイカシたリズムギターのカッティングはサイケおやじが最も好むところで、当然ながらレコードに合わせて練習を重ねた日々が確かにありましたが、当時はこんな事をやっていると周囲からは奇異の目で見られていましたですねぇ……。

しかし、この強烈な盛り上がりが自然終息した次の瞬間、スパっと繋がるのがご存じ、トッド・ラングレンが畢生の美メロ曲「Hollo It's Me」のソウルフル極まりないカパーなんですから、身も心も血の滾りからトロトロに溶かされてしまう、これは素晴らしき落差♪♪~♪

もう、この流れだけで歓喜悶絶は必至なんですが、さらに劇ヤバなのが「Ain't I Been Good To You」のドラマチックな構成展開で、前半の甘くてヘヴィなロッキンファンクが一端終了した後に再スタートする後半の超スローなゴスペルソウルの世界には、泣きじゃくるギターとソウルフルなオルガンも効果的で、ほとんど中毒症状に陥りますよっ!

いゃ~~~、何度聴いても涙がボロボロの傑作アルバム!

こう言って、絶対に後悔しませんっ!

もちろん、ご存じのとおり、このアルバムにしても以降の全盛期からすれば、物足りない部分はあるでしょうし、助っ人参加したジョージ・モーランド(ds) やカール・ポター(per) 等々の存在、さらには前作同様にスティーヴィー・ワンダーのブレーンだったロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの暗躍が気になるポイントだと思います。

しかし既に自らの手でプロデュースも演奏の大部分も自在にやれるようになったアイズリー・ブラザーズ唯一無二の個性は、充分に確立されていると思います。

なによりも当時、一般的に流行の兆しがあったファンクやAORといったR&Bとロックの融合志向を素早く具象化し、実践していた点は無視出来ないはずです。

そして、そんな理屈よりも、まずは聴いていて最高に楽しくて気持良い音楽が、ここにあるのです。

ということで、山下達郎の元ネタとして楽しむのもOKでしょうし、トッド・ラングレンがお好きな皆様にもオススメ出来る1枚として、実に嬉しいアルバムなのでした。

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3+3=ロックなソウル

2010-12-01 15:49:56 | Soul

■3+3 / The Isley Brothers (T-Neck / CBS)

何時も拙プログを熱心に読んで下さる某氏からのメールによるリクエストで、本日はアイズリー・ブラザーズを書く次第ですが、どうやら最近、我国では紙ジャケット仕様のCDが纏まって再発されたようですね。

個人的にはアナログ盤を揃えているので、魅力的なボーナストラックでも無い限り、あえて買わないと思いますが、今日では山下達郎の元ネタという以上に、これをきっかけにアイズリー・ブラザーズが再評価される事を願っています。

で、本日のご紹介はアイズリー・ブラザーズが1973年に出した人気盤で、実はサイケおやじがアイズリー・ブラザーズに目覚めたのは、このアルバムの前作だった「ジ・アイズリーズ・ライプ」でしたから、ちょいと遅ればせながらも、一応はリアルタイムで聴けた最初の1枚でした。

 A-1 That Lady
 A-2 Don't Let Me Be Lonely Tonight
 A-3 If You Were There
 A-4 You Walk Your Way
 A-5 Listen To The Music
 B-1 What It Comes Down To
 B-2 Sunshine
 B-3 Summer Breeze / 想い出のサマーブリーズ
 B-4 The Highways Of My Life / 心のハイウェイ

アルバムタイトルとジャケ写からもはっきりしているように、この時期のアイズリーズはボーカルを担当するオケーリー、ルドルフ、ロナルドの年長組とアーニー(g)、マービン(b) の弟2人に従兄弟のクリス・ジャスパー(key) を正式メンバーとした6人組になっていましたが、こういう体制は既に1960年代末から実質的にスタートしていたと言われていますし、前述したライプ盤では、その熱いファミリーの絆が確認出来ました。

しかし、巡業やレコーディングでは、当然ながら助っ人の参加も必須であり、ここではトゥルーマン・トーマス(key)、ジョージ・モーランド(ds,per) 等々の名前がクレジットされています。

そしてますます顕著になっているのが、リアルタイムの我国では「ソウル・ロック」と呼ばれていたファンキー志向のポップなソウル風味です。

このあたりはアイズリーズが1960年代中頃から強く打ち出していた独自の個性ではありますが、それが1970年代に入って発表するアルバム収録曲の中で、例えばキャロル・キングやニール・ヤング、あるいはスティーヴン・スティルスやボブ・ディランあたりのオリジナルを自らのスタイルで演じてしまうという、当時の黒人R&Bのジャンルでは、ある意味での最先端を、アイズリーズとは因縁浅からぬジミ・ヘンドリクスの手法も活かした表現で聞かせるという、実に尖がったやり方でした。

それは前述のライプ盤でも存分に堪能出来るわけですし、サイケおやじを夢中にさせたのも、実はそこにあったのですが、さて、このアルバム「3+3」ではスタジオ録音という事もありましょうが、洗練されたムードと激しく熱い部分が尚更に見事に融合した傑作に仕上がっているのですから、リアルタイムで一聴した瞬間から、歓喜悶絶!

いゃ~、本当に目眩がするほど、シビレましたですねぇ~♪

なにしろA面初っ端の「That Lady」からして、カッコ良すぎるエレキギターのカッティングからアップテンポでブッ飛ばすファンキーロックが大全開! ちなみに演目はアイズリーズが1960年代中頃に出した「Who's That Lady」のセルフリメイクなんですが、後追いで聴いたそこでは幾分ジャズっぽかったアレンジが、ここではタテノリビートとキメのリフを主要武器にしながらも、アーニー・アイズリーの熱血ギターが終始炸裂するという、最高にたまらん世界が展開されていますし、ボーカル&コーラスのソウルフィーリングも言うこと無しですよっ!

ちなみに件の「熱血ギター」は最初、シンセ系のキーボードかと思ったんですが、これがやっぱりギターに他ならず、なかなか新しかったですねぇ~♪

そして曲の終りから間髪を入れずに繋がる「Don't Let Me Be Lonely Tonight」のメロウな世界への場面転換が、実に鮮やか♪♪~♪ もう、この瞬間だけで幸せになれること請け合いなんですが、なんと演目はジェームス・テイラーが「ワンマンドッグ」で発表した畢生の自作自演でありながら、ロナルド・アイズレーの官能的なボーカルによって、ほとんどアイズリーズのオリジナル? そう錯覚させられるほどの素晴らしさですし、ゆったりしたインストパートのタメの効いたグルーヴも流石の一言です。

さらに今日では、山下達郎が率いていたシュガー・ベイブのデビュー曲「Downtown」の元ネタとして有名になってしまった「If You Were There」、そしてドゥービー・ブラザースのヒット曲をカバーした「Listen To The Music」あたりのファンキーでポップな明るさからは、単なる黒人ソウルグループとは一線を画する雰囲気が濃厚に広がっていきますし、ちょっと聞きには正統派R&Bのような「You Walk Your Way」にしても、ニューソウルやブルーアイドソウルに近い表現が滲んでいるように思います。

その意味でB面トップに置かれた「What It Comes Down To」のホノボノした歌と演奏は、トボケたようなイントロも含めて、とても黒人ソウルとは思えないような味わいで、しかも効果的なエレピやキーボード類の使い方、潰れたようなドラムスの音作り等々、なかなかスティーヴィー・ワンダーの世界に近いようなところも散見されますが、実はアルバムクレジットを読んでいたら、ハッとさせられました。

なんとレコーディングエンジニアとして、「心の歌」以降のスティーヴィー・ワンダーを支えていたロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの名前があったのですっ!

う~ん、すると特に「Sunshine」で顕著なシンセ系リズムの使い方や曲調そのもののスティーヴー・ワンダー症候群は、その所為!? まあ、曲タイトルも意味深ではありますが!?

なぁ~んて、些か不遜な事まで思ってしまうんですが、実際にこのアルバムの音の新しさは、前述した2人の功績も大きいんでしょうねぇ。

しかし、それでもサイケおやじが一番好きなアイズリーズのスタイルは、激しいエレギギターが唸り、熱いボーカルが心の底から歌いあげるロッキンソウルな世界ですから、ポップスデュオのシールズ&クロフツが放ったロマンチックなヒット曲「想い出のサマーブリーズ」を思い入れたっぷりにカパーしてくれたことには拍手喝采! 確か前述した「That Lady」同様、シングルカットされ、FEN等のラジオによって局地的にヒットしたと記憶していますが、じっくり構えたソウルビートの中で特に後半、ひたすらに燃え上がるアニー・アイズリーのギターは何度聴いても最高ですねぇ~♪

そしてトドメの一撃となるのが、オーラスの「心のハイウェイ / The Highways Of My Life」で、ロナルド・アイズリーの見事な歌いっぷりは、まさにソウル&メロウの極みつき! しかもクリス・ジャスパーが弾くイントロからのピアノと彩りのシンセからは、これまたスティーヴィー・ワンダーを想起させられるんですから、歌と演奏が進むにつれて、それがますます強くなっていくのは絶妙の「お約束」かもしれません。

ということで、今となっては、あちこちに山下達郎がいっぱい!?

そんな感想を抱かれる皆様も大勢いらっしゃるに違いないアルバムだと思いますし、実際、「That Lady」あたりは椎名和夫をギタリストとして起用していた時期の所謂タツローファンクが逆説的に楽しめます。また既に述べた「If You Were There」のシュガーベイブっぽさ、あるいは随所で散見される難波弘之的なピアノ&キーボードの雰囲気、さらにはボーカル&コーラスの山下達郎モロ出しの味わい等々、これは決して不遜ではなく、好きな人にたまらない世界が確かにあるのです。

しかし、このあたりは、あくまでも後追いの結果論である事なのは言わずもがな、実はサイケおやじは初めてシュガー・ベイブの「Downtown」を聴いた時、思わず笑ってしまったですよ。もちろんパクリに呆れたというよりも、ついに我国でもファンキーロックを志向するバンドが登場したのかっ!?! と妙な可笑しみに包まれたのが本音でした。

まあ、それはそれとして、この「3+3」はアルバムの曲順というか、LP片面ずつの流れも秀逸なんですよねぇ~♪ トラックによっては前曲最終パートに次曲のイントロが微妙に重なっているところもありますし、A面からB面への自然な場面転換は、CDでブッ通しに全体を聴けば、尚更に明らかになるんじゃないでしょうか。

ご存じとおり、このアルバムを契機として、アイズリーズはさらなる全盛期に突入したわけですが、日本ではそれほどのブレイクはなかったように思います。

ただし山下達郎という偉人が登場した事により、それなりにアイズリーズが注目され、また同時に、それまでの正統派黒人R&Bやソウルの愛好者をファンキーロックな世界に導いた役割としてのアイズリーズは無視出来ない存在でした。

正直言えば、山下達郎があれだけウケたんですから、アイズリーズも……、という気分は今も打ち消せません。

聴けば、必ずや虜にされる魅力がいっぱいのアイズリーズ! スライやJBよりも確実に親しみ易いはずですから、ぜひとも皆様も、お楽しみ下さいませ。

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