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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

二人の絆で甘茶の魅力

2012-05-17 16:08:05 | Soul

二人の絆 / Harold Melvin & The Blue Notes (PIR / CBSソニー)

もちろん自分だけじゃ~ない事は分かっているんですが、最近のサイケおやじは仕事諸々の困難重圧に潰されそうな本音を隠そうと必死です。

そこで、一番欲しいものは心の安寧というか、なにかホッとする瞬間を求めてしまうんですねぇ。

例えば本日ご紹介のシングル曲「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」は、今やディスコのチークタイムでは定番化しているフィリーソウルの「甘茶」の名唱なんですが、これが日常でも煮詰まった状況の中に流れてくると、意想外に心が和んでしまうんですから、やっぱり不滅の名曲はそうなるだけの絶大な価値を秘めているんでしょう。

歌っているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツは、1950年代から活動していたベテランの黒人R&Bコーラスグループとはいえ、結果的にブレイクしたのは、この「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」が大ヒットした1972年以降でしょう。

特に我国では、同じフィリーソウルの人気上昇期に流行りまくったオージェイズの「裏切者のテーマ」やスリー・ディグリーズの「荒野のならず者」と並んで、そのイメージを決定的にする大きな役割を果たしていたと思います。

というか、「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」によって、演じているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツはもちろんの事、所謂「甘茶」の魅力に目覚めたファンも数知れず、それがまたフィリーソウルを飛び越えてのディスコブームに繋がる下地になったという、結果論的な推察も可能だと思うばかり♪♪~♪

ちなみに、その「甘茶」とは、黒人音楽愛好者のマニア用語であって、一般的には「スウィートソウル」を指すわけですが、特に1970年代の黒人ソウルグループが演じる甘~い曲調のスローバラード、時にはムードコーラスに限りなく近いものまでも含む総称と、サイケおやじは解釈しておりますので、念の為。

で、肝心の演じているハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツは既に述べたとおり、長いキャリアゆえに結成当時からのメンバーチェンジも当然あって、1972年頃にはハロルド・メルヴィン、テディ・ペンダーグラス、ベルナルド・ウィルソン、ローレンス・ブラウン、ロイド・パークスという5人組になっていたわけですが、後に知ったところでは、彼等は自ら楽器を演奏して歌うバンドスタイルのグループとしてドサ回りをやっていたという、なにか苦節の裏話もリアルですねぇ。

それが当時、フィラデルフィアを本拠地として新しいソウルミュージックを作り出さんとしていたケニー・ギャンブル&レオン・ハフの新会社たるPIR=フィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約する事により、既にリードシンガーとして個性を発揮していたテディ・ペンダーグラスの魅力が大きく開花♪♪~♪

グループとしても時代の流行の先を行く洗練を表現出来るようになったのは、ブルー・ノウツが本来からフィラデルフィア出身であった事に加え、ハロルド・メルヴィンがケニー・ギャンブルと幼馴染だったという縁も深いところでしょうか。

とにかくイントロからグッとムードが高まる濃厚なストリングと甘いメロデイのコーラスをキメとして、テディ・ペンダーグラスの男の道の如き力強いリードは、同時に絶妙の泣きを含んでいるんですから、たまりません。

 もしも 今でも
 俺のことを分かっていないのなら

 この先だって ずぅ~っと お前には
 理解なんて 出来はしないさ

と歌われる内容は、実は朝帰りでもした男の夫婦喧嘩の末の苦しい言い訳らしく思えるんですが、それが「甘茶」ならではの美メロとコーラスに彩られる時、結局はメイキンラヴにしか解決策を見出せない、まあ、当たり前の成り行きに♪♪~♪

そんな愛情も、日常の中の事件が二人の絆を強くするんでしょうかねぇ……。

根本的に自分の事しか見えていない自己完結型のサイケおやじには、どうにもそんな境地には辿りつけない分だけ、それも「甘茶」の魅力と憧れるわけですよ。

それでも、この「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」の威力は絶大で、発売翌年には世界中でメガヒットを記録し、さらにはイーグルスの「Take It To The Limit」やシカゴの「If You Leave Me Now」等々、モロパクリの白人ロックパラードが世に出ていくのですから、決して侮れる世界ではありません。

特にストリングアレンジの確固たる個性は、そのイーグルスにおいてはコーラスワークも含めて、絶大な影響下にある事は言うまでもないはずです。

ということで、今となっては「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」だけが突出している感も強いハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツではありますが、もちろん十八番の「甘茶」に加えて、彼等はアップテンポの所謂フィリーダンサーも素晴らしいんですよねぇ~~♪

そのあたりも何れはご紹介していく所存ではありますが、グループとしては1970年代後半を絶頂期としてメンバーチェンジが相次ぎ、看板スタアのテディ・ペンダーグラスが独立して以降は、些か精彩を欠いています。

しかし、それでもブルー・ノーツが現在も存続しているのは、やはりスウィートソウルな世界に絶対的な強みがあるからでしょう。当然ながら「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」と同質の味わいを持ったヒット曲を多数放っているのですからねぇ~♪

そしてこれから「甘茶」の世界を楽しまれんと決意されている皆様には、とにかく1970年代のハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、そして「二人の絆 / If You Don't Know Me By Now」を堪能して欲しく思います。

まちがいなく、ホッと和みますよ♪♪~♪

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ドナルド・ダック・ダンがシビれさせてくれたビート

2012-05-15 15:30:56 | Soul

ピートにしびれて / Booler T. & MG's (Stax / 日本グラモフォン)

昨日報じられたドナルド・ダック・ダンの訃報には、流石に驚きました……。

なにしろ来日巡業中、東京のホテル内客室での事らしく、全ての公演を終えて帰国直前だったというのですから、やりきれません。死因は発表されていないようですが、今回のステージライプに接した友人からの情報では、かなり体調が苦しかったようで、椅子に腰かけながらのペースプレイだったそうです。

う~ん、故人の責任感の強さというべきなんでしょうか……。

今は衷心よりご冥福を祈るばかりなんですが、最近はサイケおやじが少年時代から好きだったミュージャン、俳優、スポーツ選手、作家等々の訃報が毎月のように報じられ、時の流れの諸行無常を痛感させられております。

で、サイケおやじがドナルド・ダック・ダンを最初に意識したのが、本日掲載したシングル盤A面曲「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」で、演じているのはジャケ写に登場している黒人キーボード奏者のブッカーTが率いるMGs でした。

それが昭和44(1968)年頃の事で、楽曲そのものはアメリカで2年ほど前にヒットしていたそうですが、サイケおやじが初めてこれを聴いたのは、従姉に連れられて行ったボーリング場のジュークボックスでした。

あぁ~、この強烈なピート感は、なにっ、これっ!?!

ご存じのとおり、当時のジュークボックスは殊更重低音が強調された音響であった事も幸いしていたんでしょうが、ブッカーT(org)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、アル・ジャクソン(ds) という4人組がやってくれた、ずっしり重いピートのインストには、邦題どおりにシビれさせられましたですねぇ~♪ その体験は今も鮮烈な記憶です。

尤も、そういうMGs のメンバー構成を知るのは後の事ですし、またこのグループがオーティス・レディングやカーラ・トーマス等々の所謂スタックス系R&Bのバックを担当していたなんて事は、未だ知る由もありません。

ただ、この「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」がサイケおやじを魅了した最大の要因が、ズンズンズンのペースプレイであった事は間違いありません。おそらくはファズを使っていたのかもしれませんが、こんなにヘヴィ&シンプルでありながら、所謂モダンなフィーリングをやっているなんて!?

そう感じてしまえば、追々に聴いていく南部ソウル系の楽曲の多くが、前述したスタックス制作であれば、必ずやドナルド・ダック・ダンのペースが鳴り響いている事に目覚めたのです。

ちなみに「ピートにしびれて / Hip Hug-Her」は、なにもドナルド・ダック・ダンだけが突出しているわけではなく、MGs の4人がそれぞれポリリズムで絡みあうが如き集団ソウルビート演奏を展開するところに最高の素晴らしさが生まれていると思いますし、それこそがMGs の人気と実力の秘密として、この他にも数多くのレコーディングとヒット曲を残せたのでしょう。

そして何よりも白人でありながら、これが本物のブラックミュージックという印象を作り上げた貢献度において、ドナルド・ダック・ダンは永遠に不滅だと思います。

また、それゆえにソウルフルな音楽性を求める歌手やミュージャンからの共演要望も多く、そこではベースプレイばかりか、現場での音楽監督やプロデュースもやっていたのですから、まさに縁の下の力持ち!

おそらくは自己名義のレコードは出していないと思われますが、それでも洋楽にちょっとでも興味を抱いているならば、それと意識しなくとも、ドナルド・ダック・ダンのペースを聞いたことの無い人はいないでしょう。

ということで、あまりにも突然の客死とはいえ、同じメンフィス出身の盟友たるスティーヴ・クロッパーと最後の巡業ライプを共演し終え、そこから天国へと旅立ったドナルド・ダック・ダンの生涯には、何か運命的なものを感じてしまいます。

そして、これはあまり言いたくありませんが、そこには既に到着している多くの仲間がいるわけですから、この世にあった以上のソウルグルーヴを響かせているものと思います。

ドナルド・ダック・ダン、安らかに、そして永遠なれ!

シビれさせくれたビートは決して忘れません!

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アイズリー・ブラザーズの両面堪能

2012-04-13 16:04:00 | Soul

The Heat Is On / The Isley Brothers (T-Neck / CBS)

最近はモロにハードワークに突っ込んでいるサイケおやじにすれば、ある時はイケイケであり、また裏を返しての和みの懐柔という、些か貫けていない日々が続いているわけですが、そんな両面があればこそ、アナログ盤レコードというメディアは有用です。

つまりA面とB面に分かれている事で、それなりに異なった味わいが作り出された作品に出会ってしまえば、後は自ずと愛聴する道が開けるんですねぇ~♪

例えば本日ご紹介のアルバムは、アイズリー・ブラザーズが1975年に出した傑作人気盤なんですが、制作意図が明らかに異なるレコード両面の企画がたまらない1枚です。

 A-1 Fight The Power
 A-2 The Heat Is On
 A-3 Hope You Feel, Better Love
 B-1 For The Love Or You
 B-2 Sensuality
 B-3 Make Me Say It Again Girl

まず内容的には前作「リヴ・イット・アップ」の流れを見事に引き継いだファンキーロックなニューソウルで、まあ、こう決めつけて書いてしまえば各方面からのお叱りや顰蹙は覚悟しなければならないとは思います、

しかしサイケおやじの感性としては、A面ド頭のヘヴィファンク「Fight The Power」にしろ、続く漆黒の「The Heat Is On」にしろ、やっている基本はジェームス・ブラウンやスティーヴィー・ワンダーかもしれませんが、実はそれ以上に隠し様もないロックっぽさが露骨に良い感じ♪♪~♪

特に「The Heat Is On」において、お経のように繰り返されるメロディ欠損症候群のファンクリフに対し、満を持して炸裂するジミヘン型ギターソロこそが、まさに当時を全盛として過言ではないアイズリー・ブラザーズの大きな魅力なんですよねぇ~♪

ちなみに既に皆様もご存じのとおり、ここに収められたトラック各曲全てが代表作「3+3」で確立されたオケーリー、ルドルフ、ロナルドの年長組ボーカル隊とアーニー(g,ds)、マービン(b) の弟2人に従兄弟のクリス・ジャスパー(key) を加えたインスト組の6人だけで作られた! と、わざわざジャケットに記載されているあたりに彼等の自信が表れていると思いますし、実際に決して専門職域ではないアーニーのドラムスが敲き出すシンプルなリズム&ビートが逆に効果的なのは、確信犯としか言えません。

それほど狙いが定まったところに繰り広げられる執拗な繰り返しとシンコペイトの妙が、ファンクの基本姿勢を貫く「Fight The Power」の全米大ヒットに繋がったのでしょう。

ただしリアルタイムの我国では、明らかにメロディが欠損し、しかも黒人意識発揚の歌詞が直截的に伝わらない外国語である所為で、こうした音楽はウケるはずもなく……。

ですからモロにドゥーピー・ブラザーズ調のリズムギターとコーラスが心地良すぎるアップテンポの「Hope You Feel, Better Love」にしても、黒人グループが何故に白人ウエストコーストロックを!??!? 等々と揶揄誹謗される結果になったんですが、サイケおやじ的には、それこそが両バンドの相乗効果であって、これほど好きなスタイルもありません。

告白すれば学生時代のサイケおやじは、入れてもらっていたバンドでドゥーピー・ブラザーズのコピーもやっていたんですが、個人的にはこの「Hope You Feel, Better Love」で堪能出来るアーニーのギターを念頭に、ハチャメチャなジコマンジミヘンをやっていましたですねぇ。もちろん周囲からは顰蹙の嵐だったわけですが。

しかし、このアルバム本篇に話を戻した時、ここまで続く流れがイケイケのファンク&ファンキーロックで押しまくれたのは、明らかにアーニーの奮戦があればこそ!

それがB面では一転して和みのスローバラード大会に入った時、今度は年長組のボーカル&コーラスの美メロ優先主義やクリス・ジャスパーが操る各種キーボードの彩りが、本当にたまらない世界を提供してくれるんですから、もう何も言えませんよ。

特に思わず山下達郎の「My Sugar Babe」を歌ってしまいそうになる「For The Love Or You」の刹那の泣き節、そしてジャジーな「Sensuality」からネチネチメロウの真髄という「Make Me Say It Again Girl」へと続く流れは、ハードな仕事に疲れた後にはジャストフィットの癒し系♪♪~♪

ご存じのとおり、各曲が様々な歌手&グループによってカパーされ、時には堂々のパクリネタとなっているのも当然が必然だと思います。

ということで、A面がイケイケ、B面がメロウという見事なまでの二面性が楽しめる名盤です。

ところが、それがアダになったというか、既に述べたとおり、アイズリー・ブラザーズはそれゆえに我国では人気が出ず、結果的に山下達郎がブレイクした後に本家ネタ元扱いという点にのみ、注目された経緯が哀しいところでした……。

まあ、それも現在では解消されつつあるとは思いますが、そんなこんなでもアイズリー・ブラザーズは、やっぱり好き♪♪~♪

サイケおやじの感性には合っているんでしょうねぇ~♪

 

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ジェームス・ブラウン真骨頂のライブ映像

2012-03-05 14:59:40 | Soul

James Brown Live At The Boston Garden April 5, 1968 (Shout = DVD)

ソウルブラザー・ナンバー・ワン!

ファンクの帝王!

等々、数え切れない称号を与えられつつ、決してそれに負けない存在感を示し続けたジェームス・ブラウンは、しかし、それゆえに残した音源やレコードがどっさりありますから、果たして何から聴いていいのやら……。

そのあたりの戸惑いは後追いになるほど強いはずですし、実際、サイケおやじにしても、運良く昭和40年代にラジオで「パパのニュー・バッグ / Papa's Got A Brand New Bag」や「It's A Man's Man's World」といった代表的ヒット曲にシビれる事は出来ましたが、さて、それでも本格的にジェームス・ブラウンを聴くには、何から入っていいのか、相当に迷いましたですねぇ。

そこで結局、おそらくは人気曲ばっかりが演じられているはずと見当をつけて、最初に買ったLPがアポロ劇場で1967年に録られたライプアルバムだったんですが、これが最高に大正解!

今となっては歴史的な名盤でありますし、ちょうど正統派R&Bからファンク期に移行しつつあった意欲満々のジェームス・ブラウンがリアルで記録されている真実は絶対的だったのです。

で、いよいよこれからジェームス・ブラウンという濃厚なソウルの世界へ歩まれんとする皆様には、ぜひともライプアルバムからっ!

と、声を大にするサイケおやじではありますが、それ以上なのが実際のステージギグである事は言うまでもなく、その生ライプの壮絶にして狂熱の世界は唯一無二ですから、それが収められている映像作品がレコードやCDを上回るという印象も強烈です。

そして本日ご紹介のDVDは、まさにジェームス・ブラウンの真骨頂が感性直撃の決定版で、それが演じられた1968年4月5日といえば、黒人公民権運動の指導者としてアメリカの黒人達から絶大な尊敬を集めていたキング牧師が暗殺された翌日!

つまり全米各所で黒人暴動が起こっていた、とてつもなくアブナイ時期であったことは歴史に記録されているとおりであり、ちょうどその日にボストンで野外ライブを予定していたジェームス・ブラウンに対しても、当局は暴動の誘発を恐れて興業の中止を勧告するのですが……。

しかし既に黒人大衆音楽の絶対的スタアであり、その影響力も社会的になっていたジェームス・ブラウンはスタッフや現地為政者と協議の末、予定通りにライプを強行! それはもしも予定がキャンセルとなった場合の更なる険悪な事態を憂慮しての決断だったと言われています。

そしてそれを「キング牧師追悼公演」という名目でテレビとラジオで生放送する企画も進行し、地元の放送局WBGHが全面的に協力することにより、ついに実現したのが、ここでも存分に楽しめる魂のコンサートというわけです。

01 Introduction Speech By Mayor Of Boston Kevin White
 まずボストンのケビン・ホワイト市長と同市議(?)のトーマス・アトキンスからの開式の辞が、このパートです。
 ちなみに、このDVDは輸入盤なのでチャプターもジャケットにはテキトーに記載されていますので、ここでは一応正しておきますが、日本語字幕も当然ありませんので話の正確な意図がちょいと掴めません。
 しかしおそらく観客は黒人ばっかりだったでしょうから、ステージという高い場所から白人の為政者が「お願い」をする事そのものが、状況を考慮するほどに凄いとしか言えません。
 皆さん、お互いに見つめ合いましょう。
 偉大なJBの音楽に免じて、偉大なキング牧師を尊敬し、……云々。
 いゃ~、その場にジェームス・ブラウンが居ればこその緊張が、ひしひしと伝わってくる、まさに歴史の一場面だと思います。
 映像が些かコントラストの強い照明によるモノクロというのも、結果オーライかもしれませんねぇ。

02 That's Life
 こうしてスタートするライプの初っ端は、ジェームス・ブラウンが得意とする「思わせぶりなツカミ」であって、ミディアムスローなソウルバラードが個性的な熱血節で歌われる時、そこにはハート&ソウルがジワジワと充満していく瞬間が堪能出来ますよ。
 もちろん客席は既にして興奮のルツボってところでしょう。
 くわっ~~、JBのシャウト! 最高~~~!

03 Kansas City
 そして間髪を入れずに始まるのが、お馴染みの人気R&Bということで、ここではアップテンポで狂乱するジェームス・ブラウンが十八番のダンスアクションも冴えまくり!
 そうです、ファンクの帝王はソウルダンスのナチュラル名人でもあって、そのあたりを楽しめるのも映像作品の大きな魅力♪♪~♪ 観客への煽りも強烈ならば、バックバンドへの的確な指示指令も、その間にあるというわけです。
 ちなみにここで帝王はステージから退場しますが、実は日常的なステージ進行では、この後にバックバンドだけの演奏や座付歌手&ダンサーのパフォーマンスがあって、この日もそれが行われたことは司会者のMCの流れでわかると思います。

04 Medley:It's A Man's Man's World (incomplet)
05 Medley:It's A Man's Man's World / Lost Someone / Bewildered
 で、ここからが再びジェームス・ブラウン登場の所謂「スタアタイム」の始まりなんですが、しかしそのド頭が果たして「It's A Man's Man's World」であったかは定かではありません。
 というのも、ここに収められたトラックはメドレーの最初の部分の映像が欠落しており、音声だけになっているのですから!? しかしチャプターを打ち直したところからは、もう、熱いエモーションに怒涛の黒人ビートが強烈な渦を巻いていきます。なにしろ「It's A Man's Man's World」は説明不要の泣き落としがたまりませんし、結果的に最後までブッ続けで演じられる歌と演奏の流れは圧倒的であって、一瞬たりとも耳目が疎かになるなぁ~んて事はないはずです。

06 Got It Together
07 There Was A Time
08 I Got The Feelin'
09 Try Me
10 Medley:Cold Sweat / Ride The Pony / Cold Sweat
11 Maybe The Last Time
12 I Got You
13 Please, Please, Please
14 I Can't Stand Myself
 という構成のステージ展開の中にあって、極言すればファンクビートのシンコペイトしまくった世界が連続するという、ちょいと「お経」の様に聞こえるのもまた、黒人ファンクの表層のひとつでしょう。
 つまり同じ事の繰り返しが延々と続くのが、JBファンクの特質であって、しかも歌や楽器演奏のテンションが相互作用的に高まっていくのは、如何にもライプの現場であることを映像で確認出来るのですから、もう、何百何千回鑑賞しても、これに飽きるなんて事は無いはずです。
 それは既に述べたとおり、恐怖(?)の連続ともいうべきスリル満点のメドレー形式が演じられればこそ、ジェームス・ブラウンとバックバンドのスタミナと気合は驚嘆の極み! ちなみにそのメンバーの中にはメイシオ・パーカー(ts)、ジミー・ノーラン(g)、クライド・スタブルフィールド(ds) といった名手が揃っていますから、各々のソロパートはもちろんの事、カウンター的に炸裂するホーン&ビートリフの凄さは圧巻! このあたりの快感は、ぜひとも皆様にもお楽しみいただきとうございます。
 そして、この日のライプを完全に歴史にしているのが、いよいよクライマックスに向かう中で突発していく観客とジェームス・ブラウンの繋がりの凄さで、平たく言えばステージに押し寄せるファン、それを制止するスタッフや白人警官、ついにはステージ上でジェームス・ブラウンと一緒に踊り出す者も出てくるんですが、流石にジェームス・ブラウンはお客さんを大切にする姿勢が鮮明です。
 収拾不能となった会場でジェームス・ブラウンに駆け寄る黒人ファンのひとりを白人警官が暴力的に突き飛ばして排除した次の瞬間、爆発寸前の空気を察知したジェームス・ブラウンは演奏を中断させ、会場に冷静さを求めるのですが、その切り札に使われるのが、黒人としての尊厳なんですねぇ~。
 ここはサイケおやじが稚拙な筆を弄するよりも、絶対に観て欲しい場面であって、流石という言葉しか、今は使えませんっ!

ということで、これに接して、何も感じるところが無かったとすれば、それは黒人音楽を理解する因子に欠けているのかもしれませんよ。僭越ながら、サイケおやじはそのように思います。

とにかくジェームス・ブラウンの全盛期が記録されているのは絶対で、あまりにも有名な「Please, Please, Please」におけるマントショウも楽しめますし、バンドメンバーの超絶的な演奏能力は、何かイノセントなジャズファンからはバカにされる一般的な評価なんて、如何に的外れか!? それすらも痛快に確認出来るでしょう。

最後になりましたが、このDVDは輸入盤ながらも公式商品としてリージョンフリーですから、ご安心下さい。当然ながら、これまでブートとして流通していたものよりも画質&音質の向上も保証付き♪♪~♪

また、これは1枚物ですが、他に関係者インタビューや1960年代の他の映像をオマケに入れた3枚組も出ています。ただし繰り返しますが、日本語字幕が無いので、まずはこっちの1枚物をオススメしておきます。

いゃ~、何度観ても、最高ですねぇ~~♪

ジェームス・ブラウンを体験するには、まず、これでっ!

まさに溜飲が下がるってやつです。

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スリー・ディグリーズは昭和歌謡曲?

2012-02-22 15:33:38 | Soul

荒野のならず者 / Three Degrees (PIR / CBSソニー)

日本の芸能界に多大な影響を及ぼした洋楽スタアとしては、まずベンチャーズが筆頭格でしょうが、1970年代にブレイクした黒人女性ボーカルグループのスリー・ディグリーズが巻き起こした大旋風も決して小さくは無かったと思います。

なにしろ結論から言えば、我国の歌謡曲&歌謡ポップスが急速にシティソウル化したきっかけが、彼女達の登場にあった事は過言ではありません。

その端緒が昭和49(1974)年春から爆発的に流行った「荒野のならず者 / Dirty Ol Man」であり、当然ながら同時期に世界中でメガヒットした事は言うまでもないでしょう。

それほど「荒野のならず者 / Dirty Ol Man」はキャッチーでイカシたソウルミュージックであり、しかも演じているスリー・ディグリーズはルックスもセクシーな実力派として、強烈な存在感を発揮したのです。

ちなみにスリー・ディグリーズは決してポッと出の新人グループではなく、メンバーの出入りも含めた、それなりに長いキャリアを経ての人気獲得とあって、所謂「場慣れした」余裕もさることながら、やはり楽曲の親しみ易さが最大のポイントであり、それがスバリ!

1970年代に一世を風靡したフィラデルフィアサウンド=フィリーソウルのひとつの成果でした。

まあ、このあたりは、前年に我国でも大ヒットしたオージェイズの「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が地均し的役割を担った事も無視できませんし、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフの裏方とは思えない存在感の強さも特筆するべきだと思います。

しかし、繰り返しになりますが、スリー・ディグリーズという本場のソウルを歌ってみせる女性グループとしての魅力♪♪~♪

それがまた、絶対に侮れないんですよねぇ~~♪

既に述べたように、当時のグループは1965年の正式デビュー以来、数回のメンバーチェンジがあり、この「荒野のならず者 / Dirty Ol Man」を大ヒットさせた頃はフェイエット・ピンクニー、シーラ・ファーガソン、バレリー・ホリディという顔ぶれになっていたわけですが、如何にもニューソウルな衣装の着こなしやステージアクションのカッコ良さは、時には乳首やアンダーヘア(!?)がスケスケのショットを含めたスチール写真だけでもビンビンに伝わってくるほどの衝撃度だったんですよっ!

もちろん人気沸騰時の来日ステージのチケットは予約だけで発売前からソールドアウト状態という伝説すら残されているほどです。

しかも彼女達はそうした人気に溺れる事なく、日本語バージョンのオリジナル楽曲も幾つか、きっちりサービス満点に吹き込んでくれましたから、それらは何れご紹介するとして、そこに我国の職業作家やスタジオミュージシャンが参画していた事も大きな意味がありました。

つまり、例えば筒美京平は既に洋楽テイストを歌謡曲に盛り込む事が得意技でありましたから、流行のフィリーソウルからも当時は大きな「頂き物」を司っていました。

そしてそれがスリー・ディグリーズの大ブレイクによって、何か免罪符の如き許容範囲の広がりとなり、特に女性アイドル歌手&グループが歌謡ソウルに踏み込む道を流行の先端として確立させた点は、今や歴史だと思います。

また同様の仕事を残してくれた作家も夥しく、極言すれば昭和50年代前半までの歌謡界はフィリーソウル抜きには語れないほど!?

それほどスリー・ディグリーズの登場と活躍は強い印象と影響力を残したはずなんですが、どういうわけか現在、何かそこに触れるのはタブーという雰囲気があるのは何故???

現実的にはスリー・ディグリーズがテレビCMにも登場し、来日する度にコンサートが満員だった1970年代後半こそが、彼女達の全盛期だったろうと思います。そして1980年代はイギリスを中心に欧州各地で新たなファンを開拓したというか、当時はちょっと日本では忘れられた存在だった頃の人気に現地で接したサイケおやじは、驚愕と懐かしさにウルっときた思い出があることを、この機会に記しておきます。

ということで、もしも「荒野のならず者 / Dirty Ol Man」が出なかったら、我国歌謡曲の歴史も変わっていたかもしれないと思うのは、サイケおやじの独断と偏見かもしれませんが、当たらずも遠からじ? というのが本音であります。

今となってはスリー・ディグリーズのレコードなんて、珍しくもない!

そういう観点からしか評価(?)されない彼女達ではありますが、本当は手を合わせるファンだって、絶対に今も大勢存在しているはずです。

不肖サイケおやじも、実はそのひとりであることを本日は告白させて下さいませ。

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ディープソウル極みの愛聴盤

2012-02-19 16:11:31 | Soul

Otis Blue / Otis Redding Sings Soul (Volt)

世の中、有りそうで無いものは夥しいわけですが、音楽鑑賞に限って言えぱ、ハナからケツまで自分を満足させてくれるアルバムは滅多にありません。

それは例えばビートルズという巨星にしても、まあ、好みの問題もあるかもしれませんが、ひとつのLPの中には、ど~しても納得出来なかったり、???というトラックが絶対的にあるんですねぇ……。

しかし、本当に僅少ながらも、否、それゆえに「好み完全充足盤」に出会ってしまえば、まさに生涯を供にする事必定であり、本日ご紹介のアルバムはサイケおやじが死ぬまで聴いても飽きない1枚!

 A-1 Ole Man Trouble
 A-2 Respect
 A-3 Change Is Gonna Come
 A-4 Down In The Valley
 A-5 I've Been Loving You Too Long
 B-1 Shake
 B-2 My Girl
 B-3 Wonderful World
 B-4 Rock Me Baby
 B-5 Satisfaction
 B-6 You Don't Miss Your Water

歌っているオーティス・レディングは説明不要、ディープソウルという枠を超越した黒人歌手絶頂のひとりですが、ご存じのとおり、不慮の事故により早世していますから、残された音源は本当に限られた時期のものです。

しかしそこから伝えられる歌は、文字通り「ソウル=魂」の塊であって、良くも悪くもグッと惹きつけられてしまう「別の何か」がサイケおやじには感じられるのですが、そこまでの理由づけをしなくとも、素直に聴けてしまう、聴かされてしまう「パワー」が、殊更このアルバムには満ちていると思いますし、言うまでも無く、それこそが永遠不滅の証じゃないでしょうか。

それは上記した収録演目のチョイスにも顕著で、歌われているのは決してオーティス・レディングのオリジナルヒットばかりでは無く、サム・クックでお馴染みの「Change Is Gonna Come」や「Shake」、テンプテーションズのメガヒットにして広く誰もが知っている「My Girl」、そしてB.B.キングの「Rock Me Baby」やウィリアム・ベルの「You Don't Miss Your Water」、さらにはソロモン・バークの「Down In The Valley」あたりの有名過ぎるブルースやR&Bのカパーに加え、なんとっ! 白人ロックバンドのストーズがリアルタイムでヒットさせていた「Satisfaction」までもを堂々とやってしまう根性の据わり方は半端ではありません。

実は今や歴史というアメリカにおける黒人公民権運動、あるいはベトナムに対する反戦運動等々の社会的動向が、このアルバム制作発売時の1965年にはひとつのピークであり、そういう意識の過剰な受け取られ方が黒人音楽の動向に何らかの影響を与えていたことは否定出来ません。

ただし優れたボーカリストは何を歌っても「自分」を表現する事に長けていますから、もちろんサイケおやじを含めた後追い鑑賞であるほど、質実共にそうした事象を代表する名曲「Change Is Gonna Come」にしても、非常にストレートな感動に浸れるように思います。

いゃ~、正直、サム・クックのオリジナルバージョンよりも百倍は好き♪♪~♪

と言い放ってしまえば、きっとお叱りは覚悟しておりますが、その意味でオーティス印の純正オリジナルソウルという「Respect」や「I've Been Loving You Too Long」は、また格別の素晴らしさで、何度聴いても血が騒ぎ、深い感動に震えてしまいます。

そして当然ながらアルバム全体の構成、配置された楽曲の流れの良さも絶品であり、特にA面ド頭がちょい聞きには地味~~な「Ole Man Trouble」という仕掛こそが流石!

もう、じっくりと歌われていく不穏な曲メロを彩るアレンジの素晴らしさ、そしてオーティス・レディング自作の強みが完全に表れたとしか言いようがないヘヴィソウルの真髄が、このアルバム全体への入り口に相応しいと思うばかりですよっ!

ちなみにバックの演奏はブッカーT(org,p)、スティーヴ・クロッパー(g)、ドナルド・ダック・ダン(b)、アル・ジャクソン(ds) という4人組によるブッカーTとMGs にフロイド・ニューマン(as,bs)、アンドリュー・ロウ(ts)、ウェイン・ジャクソン(tp) 等々で構成されたメンフィスホーンズ、そしてアイザック・ヘイズ(key) も助っ人参加という鉄壁の布陣による本家スタックスサウンドの決定版で、その粘りっ気とエグ味の効いたアタックのコンビネーションは、この時期特有の良さがたまりません♪♪~♪

オーティス・レディング自身も納得の歌唱表現が冴えまくりのトラックばかりで、これがつまらないと言われたら、ディープソウルの立つ瀬が無いのと同じでしょう。

とにかく有名曲のカバーバージョンが完全なるオーティス節になっている事だけでも、これは凄すぎる名盤と断言させていただきます。

ということで、例によって思い込みばっかりが優先した文章ではありますが、好きなものは好きという他はありません。

また、最後になりましたが、黒人ボーカル作品でありながら、ジャケットに白人美女の写真が使われている点については、これが如何にも当時の素晴らしき「しきたり」であって、告白すればサイケおやじは彼女の大ファン♪♪~♪

そして私有盤は最初、日本プレスの再発アナログLPを聴いていたんですが、一念発起してアメリカ盤をゲットしたところ、当然ながらカッティングレベルの高い音圧によって、さらに強靭なオーティス・レディングのソウルに完全KOされましたですねぇ~~♪

それでますます抜け出せない世界にどっぷりというわけです。

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ピケット対オールマン=フェイム組の凄さ

2012-01-20 16:04:30 | Soul

Hey Jude / Wilson Pickett (Atlantic)

幾ら強がっても、基本は気が弱いサイケおやじですから、ここ一番の仕事や生活の諸々で気合いが必要な時には、それなりの手助けを必要とする事が度々です。

そしてそんな時、特に有用なのが音楽であって、例えば本日ご紹介のアルバムはその点において、サイケおやじの愛聴盤のひとつ♪♪~♪

ご存じ、黒人R&Bの王道歌手として、まさにソウル度満点のボーカル&シャウトを存分に聞かせてくれたウィルソン・ピケットが1969年に出したヒットアルバムなんですが、実は告白すると、サイケおやじがこのLPをゲットしたのは別の目的でありました。

そうです、既にご推察の皆様も大勢いらっしゃるはずですが、ここに収録の歌のバックには早世した天才ギタリストのデュアン・オールマンが参加しているのです。

 A-1 Save Me
 A-2 Hey Jude
 A-3 Back In Your Arms
 A-4 Toe Hold
 A-5 Night Owl
 A-6 My Own Style Of Loving
 B-1 A Man And A Half
 B-2 Sit Down And Talk This Over
 B-3 Search Your Heart
 B-4 Born To Be Wild
 B-5 People Make The World

さて、今では既定の事実として良く知られていますが、黒人R&Bの制作現場は、ほとんどの場合において白人が主導しているのが常であり、それは全体を統括するプロデューサー以下、特にセッションのカラオケパートが白人ミュージシャンによって演じられていたという真相は、それをバックに歌う黒人歌手にとっても最初は戸惑いがあったと言われています。

そしてウィルソン・ピケットの場合も例外ではなく、実はニューヨーク周辺では黒人ミュージシャンを中心として行われていたレコーディングの実際が、むしろさらに本質的なブラックソウルを全面に打ち出していたアメリカ南部録音の諸作、つまり所謂サザンソウルの場合は、例えばメンフィスのスタックスサウンドのように、その本質が白人によって作られていた現実があって、最初にそれを知らずに現場へ入った瞬間、驚愕したと本人が事ある毎に語っていたほどです。

しかし流石は大物の貫録というところでしょうか、ウィルソン・ピケットがそうした現場から最初のヒットを出したのは、おそらく1965年の「In The Midnight Hour」からだと思うのですが、とにかくずっしりとヘヴィなバックの演奏と粘っこい熱血ソウルなボーカルスタイルの相性の良さは抜群! 以降の大ヒット連発は有名な歴史だと思います。

で、そうした流れの中の1968年晩秋、ウィルソン・ピケットのレコーディングセッションに参加したのが、後にオールマン・ブラザース・バンドで大ブレイクするデュアン・オールマンであり、そこから作られたのが本日掲載のアルバムというわけですが、既にレコード産業はLP主体に移りつつあったとはいえ、まだまだ時代はシングルヒットが優先され、アルバムが出されるのは、それがあってこその実情でしたから、セッション毎に幾つか録られた楽曲は当然ながらシングル向けの候補が必要であり、なんとっ!? 選ばれのはビートルズが同時期に世界中で大ヒットさせていた「Hey Jude」なんですから、これにはウィルソン・ピケット本人も躊躇いがあったと言われています。

ちなみに書き遅れていましたが、件の現場はアラバマ州のフェイムスタジオで、プロデューサーはそこのオーナーである白人のリック・ホールということは、参加ミュージシャンがジミー・ジョンソン(g)、バリー・ベケット(key)、デヴィッド・フッド(b)、ロジャー・ホーキンス(ds) 等々を中核とする所謂マスル・ショールズ・リズムセクションであり、デュアン・オールマンは西海岸に出てのメジャーデビューとなったアワ・グラスというバンドの失敗から出身地の南部に舞い戻り、当時はセッションギタリストとして活動していた頃……。

それがどういう経緯か、とにかくフェイムスタジオにおいてウィルソン・ピケットのセッションで名演を残したことは決定的で、特に問題の「Hey Jude」はもちろん歌の魅力は絶大ながら、デュアン・オールマンのド派手なギタープレイがあってこそのシングル発売決定だったように思います。

それは誰もが知っているメロディを抑え気味に歌い出すウィルソン・ピケットがジワジワと提供する荘厳なムード、それに寄り添いながら要所で鋭いツッコミを入れ、絶妙のスパイスとなるデュアン・オールマンのギター♪♪~♪ そして後半からの盛り上がり大会では激しくソウルフルなシャウトをさらに煽るアグレッシヴなフレーズの乱れ撃ち!

あぁ~、何度聴いても、興奮しますっ!

しかし、正直に告白すれば、この「Hey Jude」を最初に聴いた時のサイケおやじは、その凄さや興奮性感度の高さには馴染めず、何故ならば、オールマンズで堪能させてくれたロックギター本来の流麗にしてハードなノリが無かったからで、もうひとつ事情を述べておけば、それはデュアン・オールマンの死後に纏められた「メモリアル・アルバム」という故人のセッション活動時代の業績も含む2枚組オムニバスLPに入っていたトラックでしたから、他の収録演目と比較して、何が名演なのか? イマイチの実感が掴めなかったというわけです。

ところが、このアルバム単位で聴くウィルソン・ピケットとデュアン・オールマン、そしてフェイムスタジオのセッションミュージシャンとのコラポレーションは最高の極みとしか言えないほど、濃密で熱いグルーヴに満たされています。

実はデュアン・オールマンが明確にギターを弾いていると断定出来るのは、「Hey Jude」の他に「Save Me」「Back In Your Arms」「Toe Hold」「My Own Style Of Loving」「Search Your Heart」「Born To Be Wild」だけと思われますから、アルバム全体に捨て曲無しの仕上がりを鑑みれば、如何に参加ミュージシャン全員のレベルが凄かったか!?!

完全に震えて実感するばかりですっ!

それはデュアン・オールマンの名演として持ち上げた「Hey Jude」にしても、ウィルソン・ピケットの歌に呼応するが如き盛り上げに資するホーンセクションの熱さ然り、エッジの効いたリズム隊のエグ味然し!

そうしたところがあって、初めて成立する傑作トラックだと思います。

その意味で個人的にも好きでたまらないのが、グツグツとミディアムテンポで血が滾っていくような「Back In Your Arms」のソウルグルーヴの凄さで、もちろん基本は黒人ゴスペルフィーリングでしょうし、さらにディープな「Search Your Heart」の真っ黒な蠢きも最高ですよっ!

また流行歌というか、「Hey Jude」にしてもそうなんですが、リアルタイムでヒットしていたロック曲のカバーである「Born To Be Wild」はステッペンウルフの「ワイルドで行こう!」ですから、まさにイケイケのウィルソン・ピケットが満喫出来ますし、ほとんどCCRスタイルの「A Man And A Half」にしても、実質的にスワンプロックの種明かし的な仕上がりになっているのは、もうひとりの参加プロデューサーとして暗躍したトム・ダウトの仕業かもしれません。

しかし、このアルバムの出来が素晴らしいのは、黒人公民権運動との繋がりも深いと思われる名曲「People Make The World」をオーラスに配置したことでしょう。

まあ、率直に言えば些か大袈裟な感じも致しますが、それでもこれだけの名曲名唱は滅多にあるものではなく、おそらくは作者のボビー・ウーマックが弾いているであろうギターの味わいも、なかなか深いものがありますよねぇ~♪

ということで、繰り返しますが、個人的には聴くだけで「力が入る」、まさに気力充填の愛聴盤です。

特に強いバックビートに支えられた、横揺れするようなリズムの快感は至極であり、熱血と情緒を併せ持ったウィルソン・ピケットのボーカル表現は絶好調! 加えてデュアン・オールマンのギターが随所で楽しめるとあっては、繰り返し何度も針を落してしまうのは必定であり、それでいて決して飽きることがありません。

そのあたりはアクが強すぎるスタイルとも言えるウィルソン・ピケットの歌いっぷりを鑑みて、ちょい聞きには若干の精彩に欠けるというご意見も各方面であるようですが、十人十色の好き嫌いと断じます。

それほど、このアルバムが好きっ!

というのがサイケおやじの偽りの無い心情であります。

そして最後になりましたが、デュアン・オールマンを聴くために買ったLPで、実はフェイムスタジオ組の実力を再発見させられ、そっち方面の奥の細道を辿り始めたことを追記させていただきます。

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汎用性世界一のマイ・ガール

2011-12-25 16:28:36 | Soul

My Girl / The Temptations (Gordy / 日本ビクター)

世界で最も有名なR&Bヒットを選ぶ時、必ずや有力候補に挙げられるのが本日ご紹介の名曲でしょう。

実際、1965年にテンプテーションズが演じるところの「My Girl」はアメリカのチャートでトップに輝き、もちろん忽ち世界中で大ヒットして以降、今日まで歌い継がれ、加えて夥しいカパーバージョンが吹き込まれていますから、何時の時代もリスナーの耳を奪ってしまう傑作であると思います。

で、そのキモはなんといってもシンプルでありながら、実にキャッチーなイントロであって、幾分シンコペイトしたギターフレーズの黒っぽくてお洒落な雰囲気は未来永劫、不滅!

それと柔らかくて覚え易いメロディが、イントロに続く同じリフに乗せられて歌われていくところの流れの良さは本当に絶品のアレンジで、これは後に知ったことではありますが、バックの演奏メンバーは白黒混成の腕利き揃いが即興的にレコーディングの現場で練り上げたというのですから、何か全てに神がかったインスピレーションが「My Girl」には染み込んでいるのかもしれません。

もちろん演じているテンプテーションズは、おそらく大きなヒットはこれが最初でしょう。当時のメンバーはポール・ウィリアムス、エディ・ケンドリックス、デヴィッド・ラフィン、メルヴィン・フランクリン、オーディス・ウィリアムスの5人でしたが、1961年のテンプテーションズ名義での正式デビュー以前から、各々は別々のグループで歌っていたことは言うまでも無く、また個性的な振り付けのダンスや絶妙のコーラスワークが曲毎のリードボーカリストをサポートする魅力は、おそらくは同系黒人グループの最高峰として各方面から高い評価を得ています。

ちなみに、このオリジナルシングルバージョンの「My Girl」でリードを歌っているのはデヴィッド・ラフィンですが、以降の頻繁なメンパーチェンジの所為もあり、実際のライプステージではそれが度々代わっていたと言われていますし、既に述べたとおり、夥しいカバーバージョンの中ではローリング・ストーンズやママス&パパス、そして我国のGSも定番的に演じていたとおり、極めて汎用性の高いところが永劫性の秘密だと思われます。

そして告白しておけば、サイケおやじが「My Girl」を知って、忽ち好きになったのは昭和43(1968)年頃、テレビで某GSがやったのに接してからで、このバンドの名前を失念したのが全く不覚なほど、それは素敵な演奏でした。

というか、楽曲の魅力が優先していたのが本当のところでしょう。

直ぐにレコード屋の店頭で確認した時、初めて黒人グループのテンプテーションズがオリジナルだった事に突き当ったのですからっ!

ということで、本日掲載した私有のシングル盤は後年になって中古でゲットしたものですから、リアルタイムのオリジナルではないと思われますが、これも所謂モータウンサウンドを代表する1曲であれば、その白人感覚は不思議も何でもありません。

つまり当時の最先端は黒人が演じる白人ポップスであり、また逆に白人が演じる黒人音楽のブルースロックやブルーアイドソウルという、逆転的発想が必要とされていたわけですから、とりあえず人種差別に拘らなかった日本や世界各国で幅広くロックやR&Bが浸透していったスピードの速さも納得出来ます。

そしてテンプテーションが1980年代末、なんと「ロックの殿堂」に入るという快挙も、全盛時代にサイケデリックロックから極めて強い影響を受けたような、元祖ニューソウルをやってしまったからでしょうか?

それもこれも、全ては「My Girl」から始まったとすれば、ますます感慨深いところです。

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オージェイズとフィリーソウルの高揚感

2011-12-16 16:01:05 | Soul

裏切者のテーマ c/w Sunshine / O'Jay's (PIR / CBSソニー)

今では大衆音楽の古典的用語として普通に使われているであろう「フィリーソウル」あるいは「フィラデルフィアサウンド」という名称が我国で広まったのは、オージェイズが1972年にメガヒットさせた本日ご紹介の「裏切者のテーマ / Back Stabbers」によるところが大きいと思われます。

それは実際、当時のラジオ洋楽番組はもちろんの事、パチンコ屋とか居酒屋等々の有線からも流れまくったほどの人気があって、黒人音楽に特有の迫力と粘っこさが洗練されたサウンドに彩られた所謂フィール・ソー・グッドな感覚は、以降に例えばスリー・ディグリーズやハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノウツ、さらには白人ソウルコンビのホール&オーツが大ブレイクする呼び水となり、ひいては我国歌謡曲の世界でも存分に活用されたのは、今や歴史でしょう。

で、そのあたりを探求してみると、これが名前のとおりにアメリカはフィラデルフィアにあったカメオというマイナーレーベルで働いていた作詞家のケニー・ギャンブルとアレンジャーのレオン・ハフのふたりによって設立された新制作会社が源であって、そこに置かれたネプチューンやPIR=フィラデルフィア・インターナショナル・レコード等々のレーベルから発売される諸作こそが、1970年代に一世を風靡したフィリーソウルの根幹でありました。

ただしギャンブル&ハフの盟友コンビは他にも外仕事として同時期、例えばジェリー・バトラーやウィルソン・ピケット、またローラ・ニーロのレコーディングもプロデュースしていますし、それに伴って有能なスタッフの参集があったことは言うまでもないでしょう。

特に同じフィラデルフィアで既に実績のあったプロデューサー兼アレンジャーのトム・ベルは、デルフォニックスの「ララは愛の言葉 / La-La Means I Love You」やスタイリスティックスの「You Are EveryThing」等々の大ヒットへの貢献は有名ですし、それらが所謂フィリーソウルの雛型となった事実は侮れません。

ですから、この「裏切者のテーマ / Back Stabbers」を特に強い印象に焼きつける流麗なアレンジがトム・ベルの仕事だった事も説得力は充分! とにかくストリング&ホーンの使い方は、当時としては洗練の極みでありましたから、本来はちょいと無骨なオージェイズの持ち味と表裏一体のミスマッチ感覚が新鮮だったように思います。

ちなみに肝心のオージェイズはエディー・リヴォート、ウィリアム・ポーウェル、ウォルター・ウィリアムスの3人組ながら、決して新人グループでは無く、1950年代末頃から5人組で活動し、1960年代初頭にデトロイトの有名DJだったエディ・オージェイに認められてからは、正式にオージェイズと名乗った履歴があります。

そして1960年代中頃には、それなりのR&Bヒットも出していたようですが、所属していたインペリアルレコードに対する契約の縺れがあったようで、メンバーチェンジやグループの縮小が続いてのフェードアウトは業界の常というところでしょうか……。

しかし流石に実力派のオージェイズは、1971年秋頃から前述の3人組として復活し、ギャンブル&ハフの誘いでPIRから出した「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が世界中で大ヒットした事で名実ともにフィリーソウルの代表選手になったのです。

さて、そこでフィリーソウルを印象づけるサウンドのポイントは、モータウンサウンドの継承発展形と言えば体裁は良いですが、率直に言えばパクリであって、特にギャンブル&ハフがPIR以前に運営していたネプチューンという前身レーベルで作られたオージェイズのレコードを聴いてみると、これがモロ!?

それが1969~1970年頃の実相だったわけですが、諸々があってオージェイズが一旦はギャンブル&ハフの傘下を離れ、再び舞い戻った1972年に作られた「裏切者のテーマ / Back Stabbers」が見事に独得の仕上がりになっていたのは時代の流れというべきなのでしょうか?

ご存じのとおり、それを作り出すのに大きな働きをしていたのが通称MFSB=Mother,Father,Sister,Brother という演奏集団で、そのメンバーにはノーマン・ハリス(g)、ローランド・チェンバー(g)、ロニー・ベイカー(b)、アール・ヤング(ds)、ヴィンセント・モンタナ(vib,per)、ラリー・ワシントン(per)、レニー・パキュラ(key) 等々の名手がメインで集っていたわけですが、他にもドン・レナルドが率いるストリングセクションや様々なセッションで幅広く活躍してたホーンセクションの面々も含め、白黒無差別の人種混成グループであったことが、結果的に良かったと思われます。

そういえば前述したホール&オーツも、件のMFSBにキーボードやギターで参加した事があったそうですよ。

そして束ねというか、作編曲家として参画していたのが前述のトム・ベル以外にもパニー・シクラー、デクスター・ワンセル、マクファーデン&ホワイトヘッド等々の有能な面々で、彼等が後にディスコミュージックやサルソウル、さらには白人AORの制作に関わって時代をリードした歴史も、また凄い結果!

ですから我国でもフィリーソウル~フィラデルフィアサウンドの信奉者はリアルタイムで数知れず、特に歌謡曲や歌謡ポップスの作編曲者には例えば筒美京平を筆頭に、その影響を悪びれずに表現していた現実は本当に嬉しくなるほどであり、それはについても追々に書いていく所存です。

ということで、華やかでもあり、シンミリとハートウォームな味わいも捨て難いフィリーソウルの魅力とは、分かり易さと用意周到さのバランス感覚の良さだと思います。

それは昨日も麻田ルミの項で書きましたが、ひとつの芸風を確立させ、広範囲の人気を得るための重要なポイントであって、結局はそうしたバランスを失ってしまった時には人気も落ちていく結末は、逆もまた真なり!?

今となってはフィリーソウルが懐メロ感覚でしかウケ無い現実もあるようですから、独断と偏見に拘るサイケおやじにしても決して強い事は言えないわけですが、それでも様々な混濁がたっぷりと存在していた1970年代には、これほどジャストミートしていた音楽もありませんでした。

つまり、どんな逆境でも明るい未来を信じる他は無かった当時、それが許されるような気分にしてくれたのが、独得の高揚感があったフィリーソウルの本質だったというわけです。

最後になりましたが、このシングル盤B面に収録の「Sunshine」は美しいハーモニーを活かしたスローバラードで、そのジワッと広がる甘美な魅力は所謂「甘茶」物の傑作ですし、本来がダンスナンバーの「裏切者のテーマ / Back Stabbers」の味わいと巧に混ぜ合わされたのが、次なる1973年の大ヒット「Love Train」へと繋がるのですから、併せてお楽しみ下さいませ。

本当に自然体でノセられてしまうのでした♪♪~♪。

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ウィルソン・ピケットは曖昧だったか?

2011-11-01 15:28:29 | Soul

Funk Factory c/w One Step Away / Wilson Pickett (Atlantic / ワーナー)

一昨日、そして昨日は例のTPP問題の集会にあちらこちら引っ張り出されて正直、辟易しています。

賛成も反対も、それぞれの業界や団体で既に結論は決めているのに、それを国民や支持者にどうやって説明していくのか、それがわからないというテイタラク……。

んなぁこたぁ~、おめぇら、お偉方の考えるこってしょうがっ!

と、思わず激怒寸前のサイケおやじではありますが、時代と世の中の流れに素直に身をまかせる潔さも時には必要だと思いますねぇ。

そこで思い出されるのがディープソウルの塊のようなウィルソン・ピケットが1972年に出した本日のシングル盤で、ご存じのとおり、この偉大な黒人歌手が真の魅力を発揮した最後のヒット! そう言いきって後悔しない魅力がたっぷりなんですが、それは所謂ニューソウル志向への新しき挑戦と従来のディープな泥臭さが見事に融合した成果でもありました。

と決めつけたのは、既に時代はサイケデリックロックが黒人R&Bにも強い影響を及ぼしていた頃とあって、ジェームス・ブラウンにしろ、スライ・ストーンにしろ、とにかく最先端白人ロックのファンをも惹きつけなければ大きなヒットは飛ばせない状況でしたから、それがファンクとかニューソウル等と呼ばれる以前に、まずはミュージシャン側の柔軟な姿勢こそが求められていたのです。

まあ、このあたりは、あくまでもサイケおやじの個人的な後付け的考察ではありますが、しかし現実的に当時の黒人音楽が明らかに「時代」を作っていた事は確かだと思います。

そこでウィルソン・ピケットも、ついに1972年には「Don't Knock My Love Part-1」という、とてつもないニューソウルヒットを出す事に成功するのですが、その妙にアフロっぽいサウンドにはジージージリジリのファズギターやチャカポコのパーカッション&ドラムス、さらには矢鱈に意識過剰なコーラスやキーボード、大仰なストリングスの中で苦悶するが如き本人のボーカルが意想外のソウルを発散するという、些かの結果オーライ……。

もちろん、サイケおやじとしては「Don't Knock My Love Part-1」を一概に否定する気持なんてありませんし、実際に素晴らしく良く出来たソウルミュージックだと思います。また、このサウンドが昭和40年代末頃からの我国歌謡ポップスに応用されまくった現実は言わずもがなでしょう。

しかしウィルソン・ピケットの資質に、本当に合っていたのか?

という疑問は打ち消せません。

ところが、このシングル盤A面「Funk Factory」は見事にそれを解消してくれたと言うか、イントロからどっしりと重いサザンロック風のグルーヴとファンキーソウルのビートが全開したリズム隊の素晴らしさは筆舌に尽くし難く、ですからウィルソン・ピケットのボーカルも素直に「熱唱」というスタイルがジャストミートしているんですねぇ~~♪

さらに間奏では、思わずウキウキさせられるホーンセクションのカッコ良すぎるリフ攻撃から、大団円に向けて突っ走るソウルグルーヴが楽しいボーカル&コーラスは、所謂ゴスペルのコール&レスポンスをお気楽にやってしまったような趣向でしょうか。とにかく気分が高揚させられますよ♪♪~♪

ちなみに後に知った事ではありますが、この蠢き系グルーヴを演出したカラオケパートのメンバーはバリー・ベケット(key)、デヴィッド・フッド(b)、ロジャー・ホーキンス(ds) 等々の所謂マッスルショールズ組の白人ミュージャンでありますから、そのスマートな黒っぽさこそが時代の流行になるのもムペなるか!?

しかし、それにしてもアメリカ南部の田舎で形作られたサウンドが1970年代ロックやAORを含むポップスの基盤を成していたなんて、なかなか今になっても感慨深いものがあるんですが、その中で歌っているウィルソン・ピケットは如何にも頑固に1960年代のサザンソウル保守本流を貫き通しているあたりに、この「Funk Factory」の素晴らしさがあるように思います。

つまり新旧のフィーリングが実に上手くお互いを理解し合っているんじゃないでしょうか。

一方、これまた素敵なB面「One Step Away」は、ウィルソン・ピケットにしては些か「らしくない」歌謡パラードという趣が逆に安心印♪♪~♪ ゴスペルルーツの粘っこいボーカルスタイルとサザンロックがミョウチキリンにミスマッチしたような、場面によっては曲メロが外れているところさえ感じるほど熱が入っているのですから、思わず端坐して聴きたくもなりますよねぇ。

極言すれば、何か迷いをふっ切ろうとして、かえって曖昧な本人の態度さえも、魅力に思えるんですねぇ~♪

ところが皆様もご存じのとおり、ウィルソン・ピケットは直後に古巣のアトランティックを去り、残念ながら以降はそれほどパッとした活躍からは遠ざかっていきます。

結局のところ、ウィルソン・ピケットは愚直なまでに自らを貫き、それが時代の要求と相容れないところまでも納得していたに違いありません。

個人的にも、妙にバランス感覚に秀でようと焦る態度よりは、そんな頑固さを好ましく思います。

さて、そこで冒頭に述べたTPP問題ですが、結論として貧富の差が大きくなっても全体として少しは向上させるか、このまま全体で緩やかに下降していくか、そのふたつにひとつじゃないか?

と、考えています。

中途半端な選択が一番難しい結果を招くんじゃないでしょうか?

ですから、決断を下す立場の者は、ある意味での潔さが求められますが、それをなんとか論点をすり替える事で自分だけ良い者になろうする態度が、いけませんねぇ……。

まあ、何処の誰とは申しませんが、そんな奴らにはウィルソン・ピケットの魅力なんて、本当に分かりゃしないっ!

そんな事を思っています。

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