この2週間に、「肉のごっちゃ煮」を2度いただきました。2度目は、私のリクエストです。うまかったのです。
レシピって言うほどのことはないけど、豚肉、野菜たくさん、キノコ類、豆腐、糸こん。これを家にある一番大きな鍋で煮る。なんか、久しぶりに食べた。前も思ったが、これはオレの中では「かやき」という料理に分類できる。
「かやき」訛って「かやぎ」は、一人鍋ではない。秋田の「かやき」というのは、一人鍋で、ホタテの貝殻に魚介を中心に入れたものを指す、と何かにあった。それはオレの中では違う。
クジラの脂を入れたものは「ナスかやき」と言って、夏を中心に食べる。オールシーズン食うのが「かやき」だ。「かやき」は肉が中心というよりは野菜が中心な気がする。野菜の旨味を楽しむ鍋だと思う。
それと忘れてならないのが、秋田の出汁醤油「味どうらく」だ。「味どうらく」は正式名称を「万能つゆ 味どうらくの里」といふ。これは非常に重宝している。秋田人は、なんにでも「味どうらく」を使う。醤油の代わりに直接かけたりもする。これとたくさんの野菜・キノコ・肉があれば、自然とダシが出る。
ここで臨時ニュースです。妻の証言から、味どうらくは使用していないことが判明しました。そうか、この旨さは自然の旨さだったんですね。
「かやき」は「すき焼き」とも違う。多分だが、縄文時代から土器で煮て、食べていたと思う。イノシシが捕れた時は、みんなで肉を分けてから、そこら辺の山菜やキノコを入れて食べたに違いない。
その習慣のまま、我が家では昔からテーブルの中心に「どっか~ん」とばかりに「大鍋」が鎮座していた。
象潟人は「かやき」を「肉のごっちゃ煮」と言って、食べている。多分、同じものだと思うなあ。
三日間、朝と晩、食べ続けた。二日目以降は、オレだけ。だから、減らない。濃くなる。湯を足す。それでも、飽きずに全部いただいた。
カレーも、三日に及ぶ場合がある。あれよりは、義務感なく、食べられた。ごちそうさまでした、アーメン。
旧統一教会の被害者救済法案が可決の見通しとなった。あれで救済できるのか、良く分らんが、印象に残った事がある。元二世信者の仮名小川さゆりさんの目力が凄い。惹きつけるオーラを持っている。美人と言えるか分らんが、TVはああいう人が欲しいんじゃないかな。ワイドショーかなんかで、ズバズバ発言したら人気が出るだろうなあ。
片方のお椀の方にだけ平べったい大きな肉が入っています。
妻「肉の入ってる方、取っていいよ。」
私「サンキュー、すき焼きに似てるけど、あんな風に味が尖がってなくて、丸味のあるいい味だね。」
妻「これ残りなの。お湯入れて薄めた。私、二日間朝昼晩これ食べてもう飽きた。」
それから陽が落ちて、夕食の支度をしていた妻「おつゆ、お昼と同じでいい?」
縄文土器を眺めていて考えた。たき火で煮て、あの重いモノを食卓に移すはずがない。火を囲んで食べただろう。じゃあ、その延長で「囲炉裏」。自在鉤の鍋を、いろりを囲んで食べる。→ 食卓になっても、鍋を囲んで食べる。一緒。一緒。1万年の積み重ね。