FOOTBALL LIFE

~サッカーを中心に日々の雑感など~

ロートレック

2008年02月10日 | 絵画
2月3日放送の新日曜美術館では、俳優のイッセー尾形さんの朗読で、~素顔のロートレック~「親友が語るモンマルトル青春期」。青春時代を一緒に過ごした2歳年上のフランソワ・ゴージが書いた本「わが友ロートレック」。

19世紀末を代表する画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864~1901)。貴族の家系に生まれながらパリモンマルトルの歓楽街で暮らし、ダンサーや芸人、娼婦など、そこに生きる人々を描いた。

伯爵の家柄に生まれたロートレックは、一族が血族結婚を繰り返したことで起こる遺伝的な病気があった。13歳のときに足を骨折し、14歳のとき、もう片方の足も骨折したことで、懸念されていた骨の病気が表面に表れてきた。ロートレックの身長はその後もそのときのまま。

「人をからかうような表情をしていたが、ロートレックは非常に感じやすく、友人以外は何も持っていなかった。友人の近くにいて、いつも助けようとしていた。虚弱であった彼は、レスラーやアクロバットの強さに感嘆した。彼は非常に素晴らしい教育を受けていた。美術のことになると、いつも真剣だった。」フランソワ・ゴージ。

ロートレックというと、ムーラン・ルージュで踊る踊り子たちの絵が思い浮かぶが、オヤッと思う絵もある。ゴッホを描いた絵だ。ロートレック23歳のとき。34歳になる仲間の画家。フィンセント・ファン・ゴッホの横顔を描いている。

数本のチョークで描いたという。ちょっと気難しそうで、口ひげとあごひげを生やし、特徴である鷲鼻、後年自らが切り落とす耳も描かれ、年の割には老けて見え、テーブルの上に両手をこぶしのようにして置いている。

全体が黄色い色彩を帯び、それに窓や椅子の背などにはこげ茶色。テーブルクロスだろうか。ブルーも使っている。さっさっと描いたように見えるが、いかにもゴッホの内面にまで踏み込んで描いたような、印象的な絵。

お互いにアウトサイダーであるということを嗅ぎ分け、ロートレックが話好きだったということもあって、親交を深めたということだ。「フィンセント・ファン・ゴッホの肖像、1887年」

ムーラン・ルージュに出演する踊り子たちや芸人たちは当時まだ多かったという、神話の絵とは違う、生き生きした生身の人間として描かれている。絵は一瞬の動きをとらえていて、そこに現代性があるのだろう。今にも見ている人間に向かって、身の上話を語りだしそうに見える。

「赤毛の女〈身づくろい〉、1889年」
「ムーラン・ルージュのラ・グーニュー、1891年」
「アンバサドゥール・アリスティド・ブリュアン、1892年」
「ムーラン・ルージュから出るジャヌ・アヴリル、1892年」
「ストッキングをはく女、1894年」など

「人物だけが存在します。風景はただあるだけで、添加物以上のものではありません。純粋な風景画家は、野蛮人です。風景は、人物の特徴をより深く理解するのに役立てばよいだけです。

コローが偉大なのはその人物画のためであり、ミレー、ルノアール、ホイッスラーもみな同じです。人物画の画家が風景を描くと、顔を描くように扱います。ドガの風景がすごいのは、風景が人間の仮面であるからです。モネは人物を放棄しましたが、彼は人物では成功しなかったでしょう。」トゥールーズ=ロートレック〈ベネディクト・タッシェン出版/アンリ・トゥールーズ=ロートレック/人生の劇場)

強烈な自負に満ちた言葉。印象派が人物さえも風景の一部のように描いた絵と異なり、徹底して人物を描くことにこだわったロートレックの描写力は、あのわずかな時間で描いたようにみえるゴッホの絵を見れば、この言葉にもうなずけるものがある。

尚、ロートレック展は~パリ、美しき時代を生きて~
3月9日までサントリー美術館〈東京・港区〉で開催されています。

(写真はカレンダーのティヴァン・ジャポネ、1892年~1893年ごろ)














最新の画像もっと見る