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~サッカーを中心に日々の雑感など~

ゴッホ~黄色い夢の町~2

2008年10月31日 | 絵画
南フランスのアルル、ゴッホがこの町に求めたのは南国の光が照らすまばゆい黄色。アルルは古代ローマ帝国の武将シーザーが築いた古い街。ゴッホの時代には暖かい保養地となっていた。

アルルには北のパリより一足先に春が訪れていた。ゴッホは早速戸外へ出て絵を描き始める。その頃、弟テオ(1857~1891年)宛ての手紙では「色が綺麗な自然のとりこになっている」と書かれていた。

さらにほかの手紙では「アルルはまるで日本のようだ。僕は今、日本にいる」とも書かれているのは日本人から見れば勘違い?日本の浮世絵師たちの暮らしに憧れていたゴッホはここにパリの画家仲間を集めて芸術家のユートピアを作ろうと夢見た。

その手始めに北のはずれのある壁が黄色い家を借りた。住み始めたらさらに鮮やかな黄色に塗りなおしさえした。こんな夢のような暮らしを支えるお金はどこから?

2002年、テオの家の家計簿が公開された。画材屋などへの支払い197フランは今のお金で30万円ほど。そのほか画家組合や医者への支払いなど、1年間にかかったお金は1904フラン。今にしておよそ300万円にもなった。

ゴッホ美術館の学芸員クリス・ストルウェイクさんは「ゴッホは月々の生活費を弟から仕送りしてもらった上に、絵の具、洋服、家具など。買い物をするたびにお金をねだっていた。

ゴッホは自分ではまったく稼ぎがなかったのに、なにか欲しいと我慢できない性分で金遣いが荒かった。幼いころから仲の良かった兄だからやりくりして仕送りを続けていたが、こんな兄を持つ弟は大変だったと思う」

(いや、まったく・・・。運命の巡りあわせとはいえ、なんでこうなるの?)

この時期の【アルルの跳ね橋】は黄色23.1%。
【黄色い家】は黄色29.7%。
【寝室】は黄色57.1%にもなる。
【寝室】の絵は東京で開催されたオルセー美術館展でじかに見ることが出来たので印象深い。


















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