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~サッカーを中心に日々の雑感など~

映画【眺めのいい部屋】

2008年02月17日 | 映画
1986年/117分/イギリス/ジェイムズ・アイヴォリー監督。アカデミー賞授賞式が迫り、NHKBSで過去の受賞作を放送しているが、これはその中の1本。何回も見ている大好きな映画。時の流れと共に、自分の中の見る目も変わっているのかなと。

20世紀初頭の時代に、上流階級の若い女性ルーシー・ハニーチャーチ(へレム・ボナム・カーター〉は、年上のシャーロット〈マギー・スミス〉に付き添われて、フィレンツェへ旅をする。ペンションでは眺めのいい部屋という注文だったのに、着いて部屋に行くと、中庭に面した部屋。アルノ川が見える部屋ではない。

食事時にその話を聞いたエマソン氏(デンホルム・エリオット)と息子ジョージ(ジュリアン・サンズ)は部屋の交換を申し出るが、ぶしつけで無作法と怒るシャーロットに、偶然同じ教区のビーブ牧師(サイモン・カロウ)も居合わせ、仲介役をしてくれて、部屋は交換された。

ルーシーが一人街に出て、美術を見るため名所を訪ねていくと、そこにはエマソン氏。ジョージとも出会う。そのあとに行った広場ではイタリア人同士が血を流す大喧嘩。ショックを受けて倒れるルーシーを抱えて、二人は川のそばへ。そこでジョージはルーシーに特別な思いを抱くようになり、その気持ちを伝える。

シャーロットは人気作家エレノア・ラビッシュ(ジュデイ・デンチ)と入り組んだ町並みへ。そこでラビッシュはシャーロットが驚くようなことを言った。ルーシーの心は肉体の喜びに開かれている。実はあなたのいとこを観察している。若い娘がイタリアで変わるか、変わらないかと。・・・

エマソン父子というのは労働者階級。絵を見ても、あの太った男は風船のように浮かんでいる。安い賃金で働かせたってことだ。というセリフがある。一方、有産階級のルーシーの婚約者セシル(ダニエル・デイ・ルイス)は自分は働かないと公言し、テニスをしているそばでも読書をするような男。

ハニーチャーチ家に招かれたジョージはさらに情熱的に愛情を示す。キスシーンもセシルとジョージでは違いを際立たせ、二人の関係を浮かび上がらせる描き方。旅情のはずだった、イタリアで起こった出来事が次第にルーシーを変えていく。

今回は何回目だろうというくらい、この映画は見ているが、保存版にしたいほど好きというのは変わらなくても、たとえば冒頭で歌われるプッチーニの「ジャンニ・スキッキ」から「わたしのお父さん」という綺麗なアリア。(これはキリ・テ・カナワが歌っているということがわかった。)

それにルーシーが弾くピアノ曲。ベートーベン、シューベルトの曲はなにかわからなかったが、その次に弾いたモーツアルトのピアノ・ソナタは耳に馴染みがあった。そして一番の違いは、花に対する関心が高まったこと。

薔薇がある庭や田舎道を通るときに画面に入る花々。ルーシーの家のバルコニーには藤のつるが絡まり、紫色の花が咲き乱れていた。真紅のドレスを着たルーシーが立つ庭には濃桃色の花がグラウンドカバーのように広がり、そこにラビッシュの赤い表紙の本が置かれている。といった映画を引き立てるさまざまな仕掛けの数々も楽しめるようになった。

ジョージの、彼(セシル)は君が意志を持つことを嫌う。僕の腕の中でも君の考えを持って欲しいなどというセリフを聞くと、階級意識からの開放と性の解放を絡めた内容か?と、D・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」がふと頭に浮かんだ。

それをどれほど意識しているのかは、原作を読んでいないからわからないが。セシルがその階級意識の世界だけで生きようとして、生身のあたたかさがまるで感じられない姿、ルーシーが旧態依然としたその枠から飛び出していくという描き方からすれば、いくらか意識して、接点があるのかもしれない。

ダニエル・デイ・ルイスはこのごろ見ていないが、今でも大のファン。この映画の中でも歩く美術品のようで、神々しいくらいの美しさ。この圧倒的な美しさを見ると、この映画の描き方がどうあれ、イギリスではいまだに貴族階級が生き残って、体制が変わらない証なのか、などとまで考えてしまうほど。

もう一人重要な脇役はシャーロット役のマギー・スミス。この人のうまさは思い出せないくらいいろんな映画のなかで見ている。働きながら、いまだに独身で一人暮らし。ルーシーの母親とは違う生き方を選んだ。彼女なりに外へ飛び出して挑戦してきた人生のはず。ルーシーはやがて、不器用なシャーロットのほんとの価値がわかるときが来るだろうと思う。













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