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ミレー

2008年03月11日 | 絵画
名画への旅。「晩鐘」~ミレー~。19世紀フランスの画家、ミレーの代表作。ミレーは当時注目されない題材だった農民や労働者、働く人々を主題に絵を描き続けた。

1814年、フランス北西部のノルマンディ地方に生まれたミレーは、23歳のとき、絵の修業のため、パリへやってきた。パリでの生活は苦しかったが、絵を描き続けた。26歳のとき、「自画像」(1840から1841年ごろ)をサロンに出品し、これが入選。ようやく画家としての一歩を踏み出す。

当初、ミレーは肖像画や裸婦を描いては生活していたが、次第に自分のルーツである農民の姿を描こうと考えるようになる。そのきっかけとなったのがパリで労働者が蜂起した1848年の2月革命。

その翌年、ミレーは家族を連れて、パリからおよそ80キロ離れたバルビゾンへと移り住んだ。このちにアトリエを構え、農民の絵を書きながら生涯をここですごした。村の背後に広がるフォンテーヌブローの森は、多くの画家たちが風景画に描いたが、ミレーは森の反対側にある農地やそこで働く人々に目を向けた。

ミレーの作品は農民や労働者たちから支持される一方、富裕な人々からは革命的で危険な絵だと批判を浴びた。しかしミレーは農民という主題を変えるつもりはなかった。バルビゾンの隣にあるシャイイの村。ミレーの絵に描かれたシャイイ教会が今も当時と同じ鐘の音を響かせている。

“結局、農民画は私の気質に合っている。誰になんと言われようと芸術でもっとも私の心を動かすのは、なによりも人間的な側面なのだ。”
             A・サンスィエ「ミレーの生涯」より

「刈り入れ人たちの休息」(1850年~1853年)
旧約聖書の中テーマを題材に、助け合う人々を描いた。地主のボアズが自分の土地へ来たルツに落穂ひろいを許し、使用人たちに彼女を紹介する一場面。

「種を蒔く人」(1850年)
夕暮れが近づいたとき、若い農夫が畑で力いっぱい小麦の種を蒔いている。大きく前に踏み出した足。画面いっぱいに力強い農夫が堂々と描かれている。この作品は大きな反響を呼んだが、保守的な人々からは酷評された。

「落穂拾い」(1857年)
バルビゾンに住むようになって8年後の作品。広大な農地の中で、収穫の後に残った落穂を拾う、貧しい農民たち。その背後には地主の指示に従って働く、大勢の人々が描かれている。豊かさと貧しさが隣り合う農村の姿がリアルに描き出されている。

「羊飼いの少女」(1862年~1864年)
夕暮れ時、羊の群れを連れて帰る少女。牧歌的な田園の日常風景を描く。赤い帽子を被った少女が夕日を背に、うつむき加減に立っている。後ろには羊の群れ。

「晩鐘」(1857年~1859年)
信仰を支えに厳しい労働に耐え、生きる農村の人々。その生き方に深く共感し、一枚の絵に描いた。ミレーは祖母の姿を思い出しながら描いたと言われる。遠くに見える教会から響く夕暮れの鐘の音。静かに実りに感謝し、頭を垂れる夫婦の姿。

この作品はアメリカで高く評価され、いったんは海を渡ったが、その後、フランスの一市民が私財を投じて買い戻した。このあたりにも、絵というものは国民的な財産であるという、ヨーロッパの人々の考え方がわかるような気がする。

画像は「落穂ひろい」。労働する女性を描いたことにも感心するが、前に描かれている女性たちばかりか、その後ろで働く人々の姿、彼らを使う地主の存在。当時の社会的な状況を、集団の絵として表現しているところが素晴らしいと思う。


















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