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日めくり万葉集(23)

2008年02月08日 | 万葉集
日めくり万葉集(23)は貧窮問答歌という山上憶良の長歌。選者は日本文学研究者のドナルド・キーンさん。憶良の歌もキーンさんの言葉も素晴らしく、この番組を見始めてからもっとも感銘を受けた。

【歌】
天地〈あめつち〉は広(ひろ)しといへども
我(あ)がためは狭(さ)くやなりぬる
日月(ひつき)は明(あか)しといへども
我(あ)がためは照(て)りや給(たま)はぬ
人皆(ひとみな)か我(あ)のみや然(しか)る
わくらばに人(ひと)とはあるを
人並(ひとなみ)に我(あれ)もなれるを      〈抜粋)

巻の5・892    作者は山上憶良(やまのうえのおくら)

【訳】
天地は広いというが、わたしには狭くなったか。日や月は明るいというが、わたしのためには照ってくださらないのか。人は皆、こうなのか。わたしだけにこうなのか。運よく人に生まれつき、人並にわたしも育ったのに。

【選者の言葉】
万葉集の中には、人間の悲劇、国の悲劇、あるいは喜びの歌もある。あらゆるものがある中で、一番意外なものは思想的なもの。万葉集にはただ感心するだけじゃなくて、思想的な問題を取り上げているものがあるということ。

どうしてそれがあるかというと、一つは憶良が儒教に深い関心があった。儒教的な観点から、どうしても貧しい人を助けなければならないと。もう一つは彼が「見た」ということ。実際に「自分の目で見た」ということがある。

見ようと思えば簡単に見られたものだった。当時はきわめて貧しい生活をしている人々がたくさんいた。そして憶良は何よりも詩人だった。わたしたちがこの長歌を覚えているのは、憶良が散文ではなく、詩人としての言葉を使ったからだ。

こういう立派な形で力のある言葉を使って、わたしたちに二人の非常に運の悪い男の生活を伝えている。他に似た例がないから、万葉集のことを考えると、すぐにこの憶良の素晴らしい長歌を思い出す。(おわり)

【壇さんの語り】
これは貧窮問答歌と題された山上憶良の長歌の一節。憶良は地方長官を務めた九州筑前などで、庶民の困窮を多く目にしたと考えられている。この長歌は貧しい男がさらに貧しい男に問いかけるというところから始める。

みぞれ降る夜、湯に溶いた酒かすを飲んで寒さをまぎらわせ、鼻をたらしながら、俺ほどの人物はあるまいと強がってみたものの、持っている着物を全部着ても寒い。そんな夜、おまえはどうやって過ごしているのか。

さらに貧しい男が答える。
天地はわたしに狭くなったのか。かまどには煙も立たず、釜にはくもの巣が張っている。治める側の役人だった憶良。立場を超えて、庶民の貧しさを歌い上げている。

(かまどには煙も立たず、釜にはくもの巣が張っている、というあたりはかすかに?かつて受けた古文の授業で習ったことを思い出した。憶良がこうやって地方に赴任してきたのは60代になってから。都で経験してきたみやびな生活とは、違う次元の生活があることに気がついた。

あと残りの生きられる時間はそれほどはない。憶良にはこれを書くことで世間に問うという気概が感じられる。またそういう歌をまっ先に見つけ出したキーンさんは日本人とは違う立場で、この歌の重要性を訴えている。今もはるかな昔も貧しさは、果たして運が悪いだけなのか?と。背景の映像も現代の服装をして歩いている旅人が出てきて哲学的。まるで映画の1シーンを見ているようだった。)

【調べもの】
☆天地(あめつち)
①天と地。宇宙。
②天つ神と国つ神。天地の神々。

☆わくらば〈邂逅)に
《後世「わくらは」とも》。まれに。たまたま。

☆長歌(ちょうか)
和歌の一体。五七〈ごしち〉調を反復して連ね、終末を多く、七・七とするもの。普通はその後に反歌を伴う。まだ5音、7音になりきらないものをも含めて、万葉集に多く見え、平安時代以後衰微。ながうた。


[岩波書店:広辞苑]



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2 コメント

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Unknown (九州っこ)
2008-02-09 10:08:58
山瀬選手と大久保選手が動きとしては良かったほうですね
ちんたらしたパス回し『接近』より、豪州みたいに、サイドを起点として、そこから高いクロスを上げて、大型CF(ターゲットマン)に当てて落としたボールを大久保選手が積極的にシュートを狙えば『展開、連続』、身長の低いタイ相手にかなり得点がとれたのではないでしょうか?
平山選手をA代表に呼んでほしいです
彼の潜在能力をひきだすためにも
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プレッシャー (henry)
2008-02-09 17:34:59
いつもTBとコメントをありがとうございます。
代表戦は余り詳しく見ているわけではないのですが・・・。

やはり勝って当たり前というFIFAランクの差でも、負けられないという公式戦のプレッシャーというものがあって、日本人選手たちは自分たちの力を十分出したとは言い切れないかもしれませんね。

岡田監督にしても、まず目の前の1戦1戦を勝っていく事。当面はこれ以外にないだろうと思います。

代表監督はどこの国も負ければ即「解任か」「次の監督は誰がいいか」となるし、勝ったら勝ったで、「その勝ち方が問題だ」となりますから。

ただ日本はヨーロッパの強豪国ではありませんし、年俸を10億も出せるほどではありませんから、オシム監督はたまたま日本のクラブの監督だったことで、世界的な名監督の一人でありながら日本代表を率いてくれましたが。さあー、次は誰にする?といっても、なかなかそう簡単に決まるものではないでしょうね。
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