黒鉄重工

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飛行機の町と刃物の町の旅行 その2【2018/1/6~7】

2020-06-16 20:21:36 | バス・航空機撮影記
引き続きあいち航空ミュージアム見学の巻。
これはビジネスジェットのMU-300。前作MU-2が成功したので、MU-2の夢よもう一度とアメリカ市場向けに開発されたもの。1978(昭和53)年初飛行。
初飛行後、みんな大好きDC-10が機体欠陥(貨物ドアとかエンジンパイロンとか貨物ドアとか)による墜落事故を数件起こしたのですが、連邦航空局(FAA)の審査が甘かったんじゃないの?という批判もあり、以降の新型機の耐空審査基準が厳格化されました。その第1号がMU-300で、新基準にFAAもまだ不慣れだったと言われ耐空証明審査が長期化し、そのうちに顧客から注文キャンセルが相次ぎ幸先の悪いスタートに。
結局赤字続きで1988(昭和63)年ビーチクラフトに製造権と販売権を売却し、三菱はアメリカ市場から撤退しました。以降ビーチ400(→後にホーカー400)として生産が継続され、さらに1990(平成2)年にアメリカ空軍の練習機に採用されると売れ行きを伸ばしていって、最終的に2009年に生産終了になるまでに1,100機以上生産しました。内、MU-300の生産数は100機ちょっと。

運が悪かったなぁというのはありますね。ただ三菱が生産を続けていても同じようにはならなかっただろうなあというのもありにけり。日系メーカーの実績やアフターサービスはアメリカ系には及ばないでしょうからそこで差がつくんじゃないかなぁ・・・。


三菱重工のヘロヘロ文字が好き。


尾部とか。


エンジンはプラット&ホイットニー・カナダJT15Dターボファンエンジン。これって直径が小さいので覆いが付いているとそうは見えないですが、遠心圧縮式エンジンなんですね。ターボファンはみんな軸流圧縮とばっかり。
どうでもいいですが、館内の説明板に機体の主要諸元を書いていないってやる気あんのか?っていう・・・。(エンジン型式が書かれていなかった)


尾翼。


後ろ。


続いてゼロ戦です。ゼロ戦はこの天井に2階部分のある背の低い場所の奥にあります。しかも表側には衝立が立っていて、表からはゼロ戦が見えないような間取りになっています。前回も書きましたが、ゼロ戦をここで展示するかしないかで新聞沙汰になるくらいには騒ぎになり、結局一時的に展示する形で決着が付いたという経緯があります。
一応、ゼロ戦は日本製のあらゆる飛行機の中では最も日本で知名度の高い飛行機なんですから、館内の目立つところに堂々と置けばいいのに。仕方ないから置くけど、できるだけ人目につかないように展示してやろうというのが感じられます。アホくさとだけ言っておきます。


A6M5a零式艦上戦闘機五二型甲。今更零戦については説明不要でしょう(手抜き)
甲は、主翼20mm機関砲の弾倉をドラム式からベルト式に変えて装弾数を増やした型式だそうな。
この個体はヤップ島のジャングルから回収したのを河口湖自動車博物館・飛行館で復元したものを三菱の資料館で展示していたものをここに移したもの。ですがここではムラハチを受けているので三菱の大江工場に新しく建った資料館ができるとさっさとそこへ移動しました。よって執筆時現在はこのゼロ戦はいませぬ。
なのでこの空間は今は空っぽかと思いましたが、映画撮影で使われた小道具のゼロ戦が今は展示されているようです。方針が変わったのか、小道具ならセーフなのか・・・。


機体は前と横から見るようになってます。後ろの衝立いらないでしょう・・・。
周りには踏み台なんかが置いてあって、どうやらかつての名航の工場を再現しているのかもしれませぬ。機体のすぐ横に製図板があるとは思えませんが。


ゼロ戦はもう何機も見ているので何かこう書くこともありませぬ。


尾翼には特に番号も何も書いてありません。よくニコイチで復元した時はどっちつかずになってしまうので書かれていないことがありますが、これもその口でしょうか?



日本航空機製造YS-11。ご存知日本製旅客機です。諸説ございますが型番はヤクルトスワローズ(YS)の背番号11番が由来と思われます。1962(昭和37)年の初飛行当時は田所善治郎の背番号でした。ちなみに直近だと由規。え、当時は国鉄の球団だった?
軍用機を設計するノリで旅客機を造るとこうなる、みたいな機体のようで、頑丈さに自信ニキとはよく言われます。ノウハウ皆無というハンデの中ではようやったんじゃないかな、というところじゃないでせうか。


これは航空自衛隊で人員輸送機として使用されていたもの。つまり兵器なわけですが、元が旅客機で銃や爆弾が付いていなければここに置いてもセーフらしい。


座席は64席が標準だったそうです。DHC-8と同規模ですね。


エンジンはロールスロイス製のダート・ターボプロップエンジンでした。エンジン展示はしていないんですが、ダートも遠心圧縮式なんですね。まだ軸流が主流になる前の時代のエンジンか。


尾部。


主脚。





三菱MU-2。プロペラ双発の小型ビジネス機。1963(昭和38)年初飛行。ゼロ戦は第二次世界大戦期の戦闘機だから除外するとして、しくじり飛行機だらけのこの館内の機体の中では唯一760機以上もバカ売れして成功しました。というか、この大きさのプロペラビジネス機としても成功したと言っていいです。
この大きさの機体では最速の570km/hの叩き出し、航続距離も2,700kmくらいあったそうな。あとは脚が短いゆえに荒れた滑走路でも離着陸できるのも魅力でした。やればできるじゃんというべきか、出来上がった機体がたまたま市場の要求に合致していただけじゃねーのかという気もします(疑り深い)
主にアメリカ市場で販売されたので、ビジネス機の普及が進んでいない日本ではどうしても馴染みの薄い機体です。だからなんだと思いますが成功した国産機として名前が挙がることはそんなに無いと思います。たいていその前にYS-11が出てきますからね・・・。だいたい、収蔵機の中で最も成功したのはこれなんだから、こんな隅っこじゃなくて中央で堂々と置くべきでしょうと(ゼロ戦はムラハチなので数に入れない)。


このくらい小さいとかわいくていいですね。プラモデル化はされていませぬ。知名度低いしビジネス機は人気無いし・・・。


エンジンはギャレットTPE331というターボプロップエンジン。いや正直聞いたこと無いエンジンでした。
プロペラはハーツェル製のもの。プロペラメーカーの大手ですね。ターボプロップエンジンの場合、エンジンは回転しかせず推力をほとんど生みません。回転するエンジンの軸の先に付いているプロペラで推力を出してやらないとなりません。なので、いくらエンジンが高出力でもプロペラの設計がヘボだとみっともない機体になってしまいます。当然プロペラも奥が深い世界なんですが、まあ調べてみるヒマがない・・・。

というところであいち航空ミュージアムは以上。
ここまでメーカー一社の造った機体の展示に限定した博物館も珍しいだろうというところ。一度行ってみるのはいいですが、その先10年は展示内容は増えないし変わらないでしょうから、何度も行くことはないと思います・・・。もっともこれは日本の航空博物館全般に言えることですが・・・。次はスペースジェットが展示されるようになったら行こうと思います。

以上。次回へ続く。




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