黒鉄重工

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【1/24】トヨタ ヴェルファイア 製作【フジミ】

2018-08-14 22:59:58 | スケール模型製作記
C94に参加された皆様、お疲れ様でした。また、弊サークルにお越しくださった皆様もありがとうございました。
同人誌の感想はブログでも受け付けていますので、どしどしお寄せください。小躍りしながら喜びます。

当日は諸事情で不在となってしまいましたこと、申し訳ありません。次回もサークル参加すべく参加申し込みしましたので、もし当選したら次回はちゃんと参加できるようします。

当選すれば、次回の新刊はカナダの旅客鉄道本になる予定です。詳細未定ですが、VIA鉄道か大都市の通勤鉄道あたりを考えています。お楽しみに・・・。



以下本題。



かねてより自動車のプラモデルは塗装が面倒だってことで敬遠してきたのですが、フジミから車NEXTという塗装と接着剤要らずのいわゆるスナップフィットキットが出ましたので、それを作ってみることに。
車種がヴェルファイアなのも私には響きました。本当はオラついてない方のグレードがよかったんですけどね。パッケージの絵はちょっとダサいかなという気も・・・。



ランナー構成とかはすっ飛ばして製作過程をば。
ボディはよく磨かれた光沢ある黒色でこれは確かに塗装しなくて良いなと思ったので、塗装しないで仕上げることに。ただし、窓のシーリングは塗っておかないとかっこわるい・・・。
組立図の指示では、付属する窓の形に型取りされたマスキングテープを貼って、周りをマジックペンで塗るようにされています。初めはこれでやりましたが、塗りムラが結構出てしまったので結局エアブラシ塗装しました。やはりこちらのほうが断然きれいですので、ここだけは塗装したほうが良いかも。



シャーシはバキバキに彫刻されているので、見ていて楽しい。
排気管のFUJIMI. Co. Ltd.の彫刻は要らんことを・・・と思いますが。メッキ部品なので消せないし。
前輪のステアリングはわずかしか効きません。



車内はバスタブ構造で床とドアの内張り、座席の座面が一体成形されてる代物。思い切ったことをしましたね。
写真にはダッシュボードなんかもありますがあれば別部品。
内装はシールを使いました。塗装面倒だし完成したらそんなに見えないし。



外装を組み立てていきます。
部品同士の圧着で嵌め合わせるスナップフィットキットなわけですが、嵌合はキツめで力も要ります。ガンプラみたいにピンを穴にググッと押し込むように嵌めてくのではなく、力でもって一気に奥までバチーン!と貫通させるような感覚です。なので一度組んでしまうと解体は難しいと思います。
恐らくは光沢の強い樹脂を使ったがために、樹脂に粘性が無いからではと思います。しょうがない部分もありますが、ガンプラほど組みやすいとは言えませんね。



グリルのメッキになにか違和感があるなと思ったのですが、実車のメッキは少しスモークが掛かって暗いメッキなのでした。キットはただメッキしただけなので、妙に明るく見えるわけです。今更気づいてもとき既にお寿司で、組み付けた後でした。
ネッツのエンブレムはシールもありましたが、サインペンで塗るほうが楽だし実感的よ。



ナンバープレートは趣向を変えて海外にしてみませう。前に自作したデカールシートの中に予めそれを入れておいたのでこれを切り出して使います。
シートは下地が透明なので、プレートは予め白に塗っておきます。プレートはキットに入っているものを流用しましたが、大きさが異なるので適宜調整します。デカール貼付け後はクリアコートします。



はい、香港のナンバープレートです。その上、中国本土へ越境できる中国の黒いプレートも付けたツープレート仕様です。
香港のヴェルファイアは香港と中国を越境して走るリムジンバスによく使われているので、その仕様なのです。プレートの数字は適当です。



あとはスライドドアの上のメッキシール貼りなど。シールは型取りが正確で貼ったときの追従性も良いのでびっくりしました。下手に塗装するよりもシールのほうが良いです。



後ろ側にも香港ナンバーを貼ります。後ろのプレートは黄色なのだ。中国ナンバーは前後共通。


というところでヴェルファイア完成です。
塗装の工程が無いので気が楽ですし、ボディ塗装しなくても十分印象も良いので、このシリーズは全然アリだねという感じです。今の所キット化する車種選択も私好みです。
嵌合が渋いのが難点ですが、今後の展開で解消されていけばいいかなと思います。第2弾のハスラーも買ってあるので、そのうち作りましょうね。

完成品はギャラリーにて。

北米project 4 ~Is the order a warbird? その52【2016/03/04~10】

2018-08-12 21:54:32 | 海外旅行記

2016年3月6日(日)11時37分
カリフォルニア州ペリス オレンジエンパイア鉄道博物館 受付所

路面電車の館を立ち去りとりあえず一通り見れたかな・・・と入口の方へ戻ってくると・・・。あっ、そういえばこいつが。

さっき表を動いていた路面電車を見たけど、これだったのか。これ、乗り場でスタンバってるけど、動くんか?乗れるんか?
ちょうど受付の建物が隣りにあるので聞いてみたら、切符を買えば乗れるそう。二つ返事で切符を買いました。PCCカーに乗れる日が来るとは。



つるんとした後ろ姿が特徴的。
前回まで散々見てきたロサンゼルス鉄道のPCCカーで、#3100です。製造は1943年セントルイス車輌製。
バス窓が無く、やや角ばった車体形状をしている戦前型と呼ばれる車種です。造られたのは戦中ですけども。
第二次世界大戦中、アメリカでも市民の日常生活はある程度制限され、マイカーでの移動はガソリンとタイヤが配給制になったため自由に使える状態ではありませんでした。そのため移動の足は公共交通機関である路面電車に集中します。この時期の路面電車の乗客は激増したそうな。
#3100は戦時設計車両だったようで、内装の椅子の骨格や手すりなどに本来使われていた普通鋼の部材は、クローム部品やステンレス鋼で代用されていたそうな。今では手すりにステンレス鋼を使うのは当たり前ですが、当時は代用品だったのですね。確かに軍用兵器にステンレス鋼はそうそう使わんからな。



乗り場の様子。
ちなみにこの日は日曜日だと言うのに来場者はほとんどいませんでした。おかげで見学や観察には申し分ない環境だったのですが、寂しいなあとも思いけり。朝は雨だったから、それで初動が遅いのかも知れませぬが・・・。



車内。路面電車ですがクロスシートだし、向きは全て固定。乗って座る分には電車というよりバスに近い乗り物なような。



#3100の発車まではまだ時間があるので外に出ていると、向こうからなんかやってきました。あ、こいつもいたな・・・。
さっきUPのディーゼル機関車が単機で動いていましたが、その後客車と連結して遊覧列車を運転していたようです。いまちょうど推進運転で戻ってきたところです。
扉のところに付けられている赤い板は標識板のつもりなんでしょう。あんな簡易なものでもちゃんと付けておくんですね。
貫通路に立っているお兄ちゃんはブレーキ管を持っています。たぶんブレーキ管の先端に制御器でも付いていて、お兄ちゃんがそれを操って客車のブレーキを掛けるとかそういったところでしょうか?

それにしても、ああ、こっちも乗りたい。先に客車の方に乗ろう。



機関車はさっきも見たユニオンパシフィック鉄道E8A形#942(1953年EMD製)です。
客車はサザンパシフィック鉄道のものなのでちぐはぐなのですが、アメリカの保存鉄道ではよくあること。気にしたら負け。
4両編成ですが、軽量鉄道ではない大型の車両が堂々としているのは迫力そのもの。天気もめっちゃ晴れてきたし。
動いているドッグノーズを見るのは初めてなので、感動します。最初はダサいと思ってましたが、やっぱり味のある顔なのだな。



E8形はEMDが造ったディーゼル機関車E系列のうちの1型式。無印のE形から始まってE1,E2というふうに改良型が出るたびに数字が増えていくのです。新幹線みたいな型式・・・。
20世紀中頃に流行したドッグノーズのような流線型の車体を持つ機関車のひとつで、E系は旅客用ディーゼル機関車です。なので蒸気暖房装置などを積んでたりするのです。
12気筒ディーゼルエンジンと発電機を2基ずつ搭載しているのが特徴。ディーゼル機関車2機分の出力を1度に運転できてお得なのだ。初期型の出力は900馬力*2基ですが、最終型では1,200馬力*2基になっています。E8形は1,125馬力*2基。最高速度は160km/h(100mph)だったそうな。

UPの#942は1953年に製造されて南カリフォルニア地域に配置、シカゴ~ロサンゼルスを結ぶ「シティ オブ ロサンゼルス」号の牽引機などを務めました。
1972年にUPを引退。この年はアムトラックが発足した年なので、UPの旅客部門も廃止されたものの機体はアムトラックには引き継がれなかったようです。ただし、シカゴ&ノースウェスタン鉄道(1959~1995年)に転職して#510として近郊列車の牽引機を務めました。
1988年にC&NWも退職して博物館入り。2012年に復元完了しました。割と最近に復活したのでピカピカなのだ。



台車は銀色なのがUP機の特徴。台車は3軸ですが、動輪は左右の2軸だけで、中央の車軸は遊輪です。



少ししたら列車を動かしてくれるそうなので、先に乗り込んで車内探検しましょう。
まずはサンディエゴ&アリゾナイースタン#175荷物/座席合造車。
こちらは荷物室です。手前の椅子は要員用の席なんでしょうけど、雑な配置だなぁ。



荷物室と言いながら簡単な郵便業務もできたんじゃないでしょうか?それともメール便みたいなやつでしょうか?
隣にはトイレと洗面台がありますが、用を足しているところは同僚に丸見えなのか・・・。



こっちは客室。座席は転換クロスシートが5列分あります。
窓の上にはステンドグラス的な装飾がありますが外側は塞がれているのであまり意味なし。後から塞いだように見えなくもないので、最初は透けて見えてきれいだったのかも。



サザンパシフィック#2350座席車。電車の付随車だったやつ。
こちらも転換クロスシートですが、座席の幅が狭くて背もたれの高さが低めです。近郊電車だからでしょうかね?



わたしは最後尾のサザンパシフィック#2144に陣取りました。これも転換クロスシート車です。
陣取ると言っても、乗客は私の他に親子1組・・・。乗車賃を払っているとは言え、1回の運転でこれでは赤字でしょう。走らせてもらえることに感謝。
列車は20~30km/hくらいのゆっくりした速度で敷地の外を出て数kmの線路を走りました。いわゆる本線を走る系保存鉄道です。ただしこれが現役の線路なのかはわからず。どうも貨物線の本線とは思えず、案外自分ちの線路なのかも。



なんてことの無いところで停車して折り返します。デルタ線等は無いので、帰りは客車を先頭にした推進運転で博物館に戻ります。
線路はずっと直線だったので、どちらかというと単調でした。でも軌道の状態は結構良さそうですよね。
架線も張られていますね。この線路は標準軌ですので、これはロサンゼルス鉄道ではなくてパシフィック電鉄用の架線でしょう。

というかこの博物館、パシフィック電鉄の電車も持っているんですよね。今回は下調べ無しで行ってしまったんでノーマークでしたし、それの車両も見当たらなかったので(車庫に置いてあったのだろう)完全に見過ごしてしまいました・・・。ここも再履修ですかいな。



戻ってきました。いやはや、ドッグノーズかっこいいな。#942も状態抜群に良いし。



ちょうどLAR#3100が踏切を渡るところでした。撮影撮影!




片側には扉が一つもないです。やっぱりバスだよな。乗降扉の関係で台車が前後不均等に配置されているのにも注目です。
これも70年前の電車ですから、よく動かせる状態で残っていると思います。外板だって見るからに薄そうなので、マメに手入れしてやらんといけないでしょうし。



そして路面電車にも乗車です。乗客は自分だけでしたが、走らせてもらえました。ありがとうございます・・・。
PCCカーにはマスコンブレーキハンドルが無くて、足元のペダルで操作します。今までの路面電車とは全く操作感覚が異なるもので、やっぱりバスだよなこれ。レールバスだよ。なので運転中は手ぶらです。手持ち無沙汰になるようで、運転台に手すりがあります。

で、PCCカーで園内の線路を一周。戦時中に内装の一部が金属供出で持ってかれたとかそういう話をしてました(あんま覚えてない



乗り終えました。苦しいですが#3100と#942。

これにてオレンジエンパイア鉄道博物館から撤収します。
想像以上に大きい博物館でした。それは収蔵車両の数もそうですし、動態保存の規模もそうでした。特に動態保存は路面電車を始めこれほど大規模とは思わず・・・。
この手の動態保存主体の鉄道博物館はイベント開催時に行くのが、いつもは車庫で眠ってるようなものも出てきて色々なものが動いていて一番ですので、機会があればその日を狙って再訪したいものです。
ロサンゼルス近郊では最大級の鉄道博物館のひとつであるので、みんなも近くまで来たら行ってみよう。

というところでOERM編はここまで。次回から再び航空機へ・・・。


その53へ→

コミックマーケット94(3日目東S03b)頒布内容のお知らせ

2018-08-08 22:41:45 | 日常記
先日お伝えした通り、弊サークル「黒鉄重工」はコミックマーケット94にサークル参加(2回連続2度目)することになりました。
配置場所は8月12日(3日目/日曜日)東S03bです。海外鉄道島です。隣をイギリスとミャンマーに挟まれています。

この度新刊を無事発刊できましたので、当日の頒布内容をば。



新刊 「カナダの鉄道博物館と保存鉄道」 頒布価格500円

文字通り、カナダに点在する鉄道博物館と保存鉄道を、西はバンクーバーから東はモントリオールまで、全8箇所を紹介します。
全て私がカナダへいた時に訪問した施設です。ですが東部の施設などは依然ブログ未執筆なので、この本が書き下ろしになります。
多種多様なカナダの鉄道の一端をこの本から覗いてみましょう。そしてようこそ、カナダの鉄道、北米の鉄道へ。

既刊は結局のところ再販はありません。期待していた方々には申し訳ない。



新刊 「タ3077の整備の記録 No.1」 頒布価格200円
既刊  「D51 243号機 整備の記録 No.1(仮)」 頒布価格200円

また、前回にも弊サークルに委託を出したサークル「風という名の旅人」の新刊も受託しますので、こちらもぜひお求めください。
こちらは前回頒布した既刊も再販します。両者ともに保存車両の復元に向けた整備過程の記録です。車両の保存活動って何やってるんだろうという方にもおすすめです。


あとは、残念なお知らせですが、私当日諸事情により会場不在でございます。残念至極です。
当日は優秀な売り子にスペースを任せていますので、同人誌自体は購入できます。私とお話したかった方々には申し訳ない。


そんなわけで、 8月12日(3日目/日曜日)東S03b でお待ちしています!

北米project 4 ~Is the order a warbird? その51【2016/03/04~10】

2018-08-06 22:10:58 | 海外旅行記

オレンジエンパイア鉄道博物館の路面電車の館の続きです。
これはロサンゼルス鉄道K-4形#1559(1925年自社製)
LARが自社工場で製造した路面電車です。LARは車両の修理・改造能力に自信ニキで、それは前回も見た自社製の事業用車を見れば一目瞭然です。
このK形はセントルイス車輌に外注して製造したH形をコピーして造ったもの。83台も造ったそうですが、よくメーカーから怒られなかったな・・・。
ただし、コピー元のH形が鋼製車だったのに対してK形は木造車でした。これはLARの匠が木造車両の製造に特化していたからです。ただし外版には鉄板を貼っているので厳密には半鋼製車体といったところでしょうか。
#1559は1955年に引退して、1958年に博物館が引き取りました。これも息をするように動態保存されているようで。
LARの木造車は1955年を境に大絶滅しているんで、この年に何かあって大量廃車になったんでしょうね。調べませんけど。



反対側から。



説明書きをメモし忘れたので正体不明の路面電車。
サンフランシスコのマーケット・ストリート鉄道で走っていた路面電車と思われ。サンフランシスコと言えばケーブルカーですが、路面電車も一部で走っていたのです。
短い車体に3室構造でして、両端が開放式の車内、中央が密閉式です。トゥーンタウンで走っていた路面電車みたいだなと。



柱の飾りがおしゃれ。



ロサンゼルス鉄道H-3形#1423(1924年セントルイス車輌製)
上記のK形のコピー元になった路面電車。ボギー台車の電車としては初めての鋼製車体です。多客時には2両編成の総括制御もできるんだそうで。これだけで250台が造られたというので、LARの規模は相当デカかったのだなと。
#1423はH-3形の中でもデラックス版の改造を受けていて、車内は全て密閉式(在来車は上記マーケット・ストリート鉄道のように開放/密閉/開放の3室構造だったそうな)、木の座席は革張りのクッションが追加されました。これは1928年の運賃値上げからの客離れへの対策だったようです。



ロサンゼルス鉄道F-4形#1160(1923年自社製)
一見、1920年代の新造車と同じ外観をしていますが、実は旧型車の車体更新車。こういうのアメリカでもやってたのね。
起源は1899年アメリカン車輌製のロサンゼルス交通(Los Angeles Traction)#154で、後にパシフィック電鉄に移籍して#811に改番。そこで使われなくなったものを引き取って#1160に改造されたそうな。



ロサンゼルス鉄道H-3形#1450(1924年セントルイス車輌製)
こちらはH-3形のデラックスじゃない未更新車です。
更新工事により外観は前面窓が5枚→3枚に減り、乗降口の後ろの窓が開放式→密閉式になっています。特に室内の開放/密閉/開放の3室構造は「カリフォルニア式 (California style)」と呼ばれるこの地域では普及したものでした。



ロサンゼルス鉄道「デスカンソ」霊柩電車(1909年自社製)
全体的な造作は他の路面電車と同じですが、塗装を始め細かいところが異なる電車。初めは何者か分かりませんでしたが、最初に言ってしまうと遺体を運ぶための霊柩車です。そうやって見ると車体の造りが厳かな感じになっています。
新造時は「パライソ Paraiso」という名前で、スペイン語で楽園や天国という意味でした。後に「デスカンソ Descanso」に改名しました。これはスペイン語で「休息」の意味です。これは当時の道路がまだ未舗装ばかりで馬車の霊柩車だと揺れが激しいため、揺れの少ない電車で遺体を運ぶことで故人に最後の休息を・・・という意味のようです。
$25でチャーターでき、遺体の収められた棺の他に遺族や参列者が乗車する客室もありました。ところが次第に自動車に取って代わられるようになって1924年に引退しました。
その後もLARで保管されていたようですが、1940年に売りに出されて、カリフォルニア州カホンパス峠でクラブハウスとして使われました。カホンパスはアメリカの超有名な鉄道撮影地で、列車の観察用に誂えられたそうな。
霊柩車で列車を鑑賞するのもアレだと思いますが、おかげで今日まで現存することになったんですから馬鹿にできないものです。
クラブハウスは1967年まで使われて、その後OERMが取得しました。



車内はクロスシートです。座席は2種類あってこちらは参列者用の客室でしょう。



反対側にはソファーが並んでいます。こちら側に棺を乗せる部屋があるのでこの客室は遺族用でしょう。



車体側面。ニス塗りの窓枠とステンドグラスが特別な車両だということを語っています。青灰色は当時厳かな色合いという認識だったのでしょうか。
ここまではなんだか少し変わった電車だなとしか思っていませんでした。



反対側の先頭。乗降扉の隣に観音扉がありますが、これが棺を収める部屋です。
これを見てようやく霊柩電車だと分かったのですが、このような電車があるものなんですね。



こんな風になっとります。



ロサンゼルス鉄道BG形#525(1906年セントルイス車輌製)
LARで最後まで走っていた木造路面電車です。最終運行は1955年3月27日電気鉄道協会による貸切電車でした。これ、鉄オタの集団だと思われ。



ロサンゼルス鉄道#9225操重車(1912年自社製)
路面電車にもだってクレーン車くらい持っています。しかも自走できるのが強み。ちゃんとトロリーポールも付いています。これはクレーンを動かす電気供給も兼ねています。
クレーンの吊り上げ荷重は最大5tです。事故車両の救援用ではなく、レールの吊り上げ等保線で活躍しました。
1963年の廃線までずっと現役を続けていました。なので廃車時の状態も良く、博物館で今も現役です。



これがクレーンです。クレーンは片側にだけ付いていますが、電車は両運転台なのでクレーン側にも運転台が付いています。電気供給のためのポールもクレーンにも付いています。



#1201。
というところで路面電車は以上です。
ずいぶん見たなというところですが、収蔵リストを見てみるとまだ抜けている車両がちらほら。ここはただの車庫ですが、これとは別に整備車庫もあるので、どこかの車庫にまだ隠し持っているんでしょう。
全部で数十台の路面電車を所有しているわけですが、これのほとんどはLARが路線縮小や廃線になった時期の約10年の間に放出されたものをかき集めてきたわけですから、よく一度にこれだけ集めたなと思います。事業用車も保存しているところは抜かりないですよね。しかも動態保存されているものも多いわけで、完全に参りましたと・・・。
狭くて見にくいのが難点ですが、一見の価値有りだと思います。

今日はここまで。
次は動態保存列車に乗って締めます。


その52へ→

北米project 4 ~Is the order a warbird? その50【2016/03/04~10】

2018-08-04 23:56:47 | 海外旅行記

Source of map: Orange Empire Railway Museum (http://www.oerm.org/grounds-map/)
オレンジエンパイア鉄道博物館の続きです。
前回まで地図上の16番のところを見ていました。今回からは地図上中央の1番の車庫を見ます。ここは路面電車専用の車庫です。オレンジエンパイアは路面電車の保存を目的に設立された博物館なので、ここが本丸と言えます。



2016年3月6日11時10分
カリフォルニア州ペリス オレンジエンパイア鉄道博物館 ロサンゼルス鉄道車庫

車庫の前に来ました。来た時は空いていませんでしたが、他を見ている間に電車が1台出庫したので今は空いています。立入禁止というわけでもなさそうですから、中に入ってみましょう。

入口の上にでかでかと掲げられているロサンゼルス鉄道(LAR)というのは、1901~1963年の間存在していたロサンゼルス中心部で路面電車を運行していた鉄道会社です。実は軌間は日本と同じ1067mm狭軌です。車体が黄色かったのでイエローカーと呼ばれてたそうな。



入りました。あっ・・・これすごい量だ。これはまたやっつけるのに時間がかかりますね。
ここに保存されているイエローカーは25台強、他の会社の車両も15台くらいいるので、まあ。整備中の車両などもあるので全ては見れませんでしたが、有りえん量なのですよ。
ただこれ、めちゃくちゃ詰めて入れられてるんで全体の写真を撮りにくいです。



ロサンゼルス鉄道H-4形#1201(1921年セントルイス車輌製)
LARの車両型式は製造順ごとにアルファベットを付けて、さらに数字のサブタイプを付けるものでした。わかりやすい。
H系は前面に系統番号を掲出する方向幕を付けたのが特徴なのだとかで。#1201は動態保存されています。
まさに路面電車というスタイルであり好印象です。ボギー車で全長が長めなのですね。



排障器とか可動式乗降ステップとか。結構ギミック多いな。



乗降口が広いのだ。LARの乗車人数はなかなか多かったと言われてますから、乗降時間の短縮は必要だったのかも知れませぬ。



台車。ボールドウィン系ですねぇ。



ロサンゼルス鉄道#9350高所作業車(1907年自社製)
この博物館、事業用車もそこそこ持ってます。#9350はTower carと呼ばれる高所作業車。架線の保守作業に使われた車でした。電動貨車みたいな見た目。
屋根に作業用の足場が乗っかっていて、あれは上下に伸び縮みするんだそうな。なのでタワーカー。
1907年製ということで恐らく新造車ではないかと。台車がアーチバー台車なのが気になりますが。こういう事業用車は長寿であることが多いですが、これも1963年の廃線まで活躍していました。
博物館が引き取った後も、館内の路面電車線に張られている架線の保守に現役で使われています。なので動態保存車ですね。今も本来の使われ方をされてるというのもすごいもので。



ロサンゼルス鉄道P-3形#3165(1948年セントルイス車輌製)
典型的なPCCカーでございまする。PCCカーというのはバスや自家用車の台頭に対抗するために、The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)が1930年代前半に開発した路面電車です。PCCカーの名前もこの委員会から取られています。
高加速性と高静粛性が売りの高性能車で、ERPCCは全米の路面電車の鉄道会社が結成した団体なので各地の路線で投入、つまり次世代の路面電車の標準型車両だったわけです。同一型式の量産効果で初期投資額も減りますし、財務的にも良い車両だったと言えます。



PCCカーは流れるような流線型の車体が特徴です。加えて、片運転台なのでバスのように車両の後ろ側があります。終点での折返しには円形の線路を半周するとかデルタ線で切り返すとか、あとは転車台を使う例もあったような気がします。
バス窓も特徴的ですね。前も書いたと思いますが、バス窓の起源はPCCカーなのです。
なおこれも動態保存車。



ロサンゼルス鉄道P-1形#3001(1937年セントルイス車輌製)
これもPCCカーですが、上記の#3165よりも10年前に造られた車です。
PCCカーは1936年から生産が始まりましたのでこれもその頃の車両、いわゆる戦前型(pre-war)と呼ばれる部類です。#3165は1945年式以降の戦後型(post-war)と呼ばれるタイプで、バス窓が付いているのは戦後型の特徴です。
他に、戦前型は前面窓の傾斜が浅く、車体も戦後型に比べてやや角ばっている特徴があります。



次。なんだこいつ、アメリカっぽくない。それになんだ、一度見たことがあるような車体、塗装。
ここでなにかに思い当たり、次に恐る恐る車体の社章を見てみると・・・。きょ、京都市交通局!!
げ、なんだこれつまり京都市電 狭軌1形ですかい。いやはやこいつは不意打ちを食らいました。こんなところに渡っていたとは知りませんでした。

御存知、狭軌1形は日本で最初の電気鉄道である京都電気鉄道の路面電車です。京都電気鉄道は後に京都市に買収されて市営化されるのですが、京都市の路面電車は標準軌でなおかつ1形という電車も持っていて重複してしまうので、狭軌1形とかN1形とかN電とかのように名前が区別されるようになりました。
市営化後、京都電気鉄道の路線や車両は整理されて消えてしまうのですが、京都市電と重複しない堀川線だけは線路が狭軌のまま残り、運行する電車も狭軌1形でした。堀川線は京都市電としては特殊な路線だったのか近代化が行われず、1961年の廃線までずっと狭軌1形で運行された末期には化石みたいな路線でした。

狭軌1形というと明治村で走っているようなクリームと茶色の電車が有名ですがあれは新造時の形態で、晩年には緑と白茶に塗られて運転台には風防が付けられていました。1910年製の19号もこの形態で保存されています。



京都市電は有名な路面電車なのでそこそこな数が保存されていて、狭軌1形の晩年仕様も複数台保存されていますが、19号の状態はその中でも一番良いでしょう。
やはり動態保存されてるみたいです。部品調達も大変だろうに。
車内もいい感じです。広告もそのまま残されているようで。



指名手配のチラシも残ってるのとは・・・。「この顔にピンときたら110番」とか久々に聞いたな。
殺人犯と爆発物取締罰則違反者がずらずら並んでます。英訳も併記されているので日本語読めない人でも安心。



運転台。



ロサンゼルス鉄道#9209電動貨車(1913年自社製)
長物車にモーターと運転台を付けた電動貨車です。アメリカではPower carと言います。
LARでは他の保線用車両を引っ張る牽引車としても使われていました。また、視界を良くして他車の観察ができるように高運転台になっているのが特徴です。



ロサンゼルス鉄道#9310軌道削正車(1925年自社製)
電車が走行することで生じるレールの摩耗を整えるための保線車両。路面電車の座席は生地無しの固い木の座席だったので、レール表面の歪みは直に乗客の乗り心地の悪化に繋がったので、軌道削正は重要に考えられていたそうです。
1963年の廃線まで活躍しました。



サターストリート鉄道#77ケーブルカー付随車(1890年製)
サンフランシスコのケーブルカーのひとつ、サターストリート鉄道の付随車です。
通常のケーブルカーに増結する形で運用されていたようで。他に馬車鉄道の客車にも使われて馬に引っ張られながら走っていたそうな。意外とつぶしが利く車だ。



車内。タイヤハウスがはみ出ている・・・。
座席は木張りで背もたれも低いし、ちょっと座りづらそうね。



足回り。2軸客車研究家の見解が待たれる。



ロサンゼルス鉄道C形#936「ソーベリー」(1914年製)
sowbellyは直訳すると豚肉の塩漬けという意味なのだけど、絶対違うだろと思う。
乗降口が中央に1箇所だけあるのが特徴です。これは台車上を避けて乗降口を設けることで低床化を図ったものです。ずいぶん先進的な構造なのですが、導入理由が面白いです。
この時期のナウなヤングな女子にはホブルスカートというタイトスカートの一種がバカウケしていました。これ、腰から足首にかけてすぼまっていくというスタイルでして、チョーが付くほど歩きにくいスカートでした。足首を縛られたまま歩くようなもので、歩幅がまるで稼げないのです。なんでこんなの流行ったの・・・。
そんな状態では階段も満足に上れないので、段差の低い乗降口を設けようと思ったわけです。

LARは当初700台を導入するともりでしたが、1915年に競合の路線バス会社が運行をはじめて経営に打撃を受けたため、107台の調達で打ち切りになりました。
さらに、1930年代からは路面電車のワンマン運転が始まったのですが、中央扉のC形は運転席での運賃収受が出来ないためこれに対応することが難しかったのです。
#936は1945年に引退して、第二次世界大戦の終結で帰還した兵士の住宅不足を解消するための仮設住宅に使われたとかで。その後も解体されずに生き残り、博物館へやってきたのです。

経歴的に原型で残っているのは車体だけで、今履いている台車は別の車から持ってきたと思われます。アーチバー台車ですし。


今日はここまで。


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