黒鉄重工

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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その26【2018/4/28~5/3】

2021-07-01 06:27:02 | 旅行・イベント記
2018年5月2日(水)13時6分
京都府与謝郡与謝野町 加悦鉄道資料館
いよいよ雨に降られてしまいましたので、観光らしい観光はもうできなくなりました。あいにくこの地方には明るくないので代替案も浮かばず。無い知恵を絞り出して決めたのが、加悦SL広場へ行こうというものでした。
加悦方面へ車を走らせましたが、その前に加悦鉄道資料館へ寄り道しました。加悦SL広場とは直線距離で2kmくらい離れています。
加悦SL広場へは以前にも訪れたことがあるのですが、ここは初めて。以前の時は本数の少ない路線バスで訪れたので、ここを回る時間までは確保できなかったのです。
しかしこの日は休館日でした・・・。ツキがないなぁ。屋根のある資料館で少しは雨宿りできると思ったのですが。
この時の無念は2年後に果たされることになります(唐突な伏線)(しかし回収は何年後になるやら)


与謝野町役場加悦庁舎にもご挨拶。旧加悦駅の構内敷地を転用した施設です。


そして加悦SL広場へ到着。当時は閉園してしまうことになるとは露知らず。雨ですがゴールデンウィーク中だからでしょうか、そこそこ人の入りがありました。なお時期は外してしまいましたが、数日後には加悦SL広場まつりが開催されています。
その時の様子と言うか前回行った時の様子はこちらから。


昼飯は加悦SL広場内の食堂、カフェ蒸気屋で食べることにします。ここも広場本体より一足先に閉店してしまうとは心にも思っておらず・・・。なんだか書いていて寂しくなってしまう。


きのこペペロンチーノを食べました。蒸気屋のスパゲッティは量が多めかつ美味しいので好きでした。


食べ終えたところで園内へ入りましょう。入園料は変わらず安い金額で、倍取ってもいいんじゃって思えるものでした。
これはキハ10形18号。加悦鉄道末期の旅客車でした。もちろん国鉄からの払い下げ。


個人的な目玉車両その1のハブ3号。1889年ドイツ製。九州鉄道が購入したものです。
一部鉄道模型界隈でファンが着実に増えているいわゆるマッチ箱客車。


キハユニ51号。1936年日本車輌製。芸備鉄道が購入したものです。加悦鉄道特有かは存じませんが、加悦鉄道といえばこの前面に増設された荷台と少し明るめの朱色の塗装です。
なお、雨がしんしんと降っている中見学しているので、基本的に熱心に撮影する熱意は持ち合わせていません。


こんな天気でも車内に入れるのは救い。ここは復元された郵便室。


運転席は半室構造ですら無いです。
仕切りに貼られている紙には、てめー様の子供が車内を汚したり部品を壊したりしないように目を離さないでねという内容でした。そういう人は最近建てられたJR系の鉄道博物館に行かれるとよろしかと。


個人的には園内の車両の中でもとても趣深いハ10号。1925年大阪梅鉢鉄工所製。伊賀鉄道(もちろん現代の伊賀鉄道とは会社組織が異なるが経営していた路線は同じ)が発注したものの何の経緯なのか加悦鉄道が新車として譲り受けた、つまり新古車という鉄道業界ではたぶん珍しい客車です。
ダブルルーフの木造一般型木造客車というのがすばらしい。車体長13mなのも可愛らしい。


台車は、1880~1920年代のアメリカの貨車でよくよく見られるアーチバー台車にすごいそっくりです。年代的にはパクリというのも考えられますが、詳細不明でございます。
原始的な構造で、ボルトとナットで台枠を組み立てているという構造上、走行しているうちにボルトとナットが緩んで分解してしまう恐れがあるわけです。
こういう欠陥を持っていたので、本場アメリカでは1920年代頃から台枠を鋳造で一体成形してそれを克服したベッテンドルフ台車に取って代わられるのでした。と言っても当時の鋳造技術なんで、最初は亀裂が入ることもしばしば・・というおまけ付きですが。
アーチバー台車は戦前日本においても、鉄道省の制式台車としても採用されていましたが、戦後になるとこれまたベッテンドルフ台車に置き換えられて姿を消していったそうな。
そういうわけで、日本のアーチバー台車現存例として珍しい存在なのだ、というのを今夜は覚えてから寝てください。


梅鉢鉄工所の製造銘板。素直に梅の意匠を描くところが好き。


どこから見ても可愛らしい佇まいだ。二等/三等合造車なので2色の等級帯を一度に見れるのもお得度が高い。


Super Long Sheet.
まあ13m車だし合造車だしだけど。


変わってこっちはハ21号の車内。人間工学ガン無視の直角ボックスシートです。世が世なら無限列車の客車(原作の方)になんか似ていると持て囃されたかも知れない・・・。


こちらがハ21。1893年逓信省鉄道庁新橋工場製!ただしそれは台枠だけで、車体は1935年に新しく作り直されています。原型の車体は多扉車なので、時代にそぐわない部分もあったかも知れませぬ。なお新橋工場で造られた時の番号はハ4995号。ん?聞き覚えがあるな・・・。



DB201号。いわゆる森ブタという入換機です。森ブタはボンネットの素朴さが良いのだ。
動態保存機で、イベントの日は客車を連結して遊覧走行します。

関係ない話ですが、園内には遊具としてのミニ鉄道があるんですが、雨が降っていても乗りたい子供がいれば随時走ってくれるというのは良い眺めであると思いました。


加悦鉄道の面白黒人枠こと、キハ083号。気動車が足りないが客車はだだ余りしているという状況の国鉄で導き出された答えが、余っている客車にエンジンと運転台を搭載して気動車にしてしまえ、でした。
ただ、クソ重い61系客車に非力なエンジンを載せてしまったので、走行性能は低かったみたいです。加悦鉄道もどういうわけでこれを国鉄から譲り受けたのかしらん。小湊鐵道が中古のキハ40を買うみたいな感覚なのかな。
しかしおかげで国鉄の下では絶対に現存しなかっただろう珍車が現代に至るまで残ってしまいました。国鉄もこれを放出したのは失敗だったと思います。


推進軸とかそのまま残っていたんですね~という写真。


御存知2号機関車。1873年イギリスのロバート・スチーブンソン社製で、鉄道院が大阪~神戸間用に123号機として輸入したものです。つまり日本の鉄道史の中でも極初期に現れた蒸気機関車です。有名な1号機関車の2歳年下です。
周りにはカラーコーンのバリケードが置かれていました。どうやら再塗装をやっていたようで、機体は黒光りしてきれいでした。


ハ4995号です。さっき見たハ21の原型の車体がこれです。多扉コンパートメント室内式のイギリス式の車体です。マッチ箱客車といったらこれが基本スタイルじゃないかと思います。
上でも書いたように車体更新時に原型の車体は台枠から外されてしまいましたが、解体されずに倉庫として現存していたみたいで、復元時にはそれを活用しています。
台枠はハ20号のものを使っています。ハ20は元々ハ4999号でした。なので上はハ4995、下はハ4999です。鉄道院(鉄道省?)ではこういう場合、台枠の方の番号を採るはずなのでハ4999として展示するものじゃないか?とは思いました。


マッチ箱客車のマストアイテム、松葉スポーク車輪。


車内に座ってしばし過ごす。

というところで加悦SL広場を見学してきました。急に訪問したわけですがそれでもやっぱり楽しいところです。今見返してみても閉園してしまったのは残念だったなと思います。

というところで今日はここまで。


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