黒鉄重工

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横田でプチアメリカ旅行 その6【2017/9/16】

2020-03-16 21:09:45 | バス・航空機撮影記
青梅鉄道公園の続きです。次はこの2120形2221号機。いわゆるB6というやつです。
これは形式内の分類分けがやたら雑多で、説明を放棄するレベル。これも輸入機なんですが製造国だけでイギリス、ドイツ、アメリカの3カ国もあり、イギリスとドイツでは複数社に製造させています。納品先も官設鉄道はもとより日本鉄道や関西鉄道のような私鉄にもあります。それを半ば無理やり1形式にまとめ上げたんで、そりゃね。とりあえず、車輪配置0-6-2Tで機体規模は似たようなものってことはどれも同じだったはず。




2221号機は1905(明治38)年ノースブリティッシュ社製。
明治期のタンク機関車という先入観だと110号みたいな小型機を連想してしまいがちですが、B6は結構大きい。パッと見、鉄道省制式機のC12くらいはありそうです。
加えて力持ちでしたので、勾配区間や貨物列車では重用されていたようです。


足回りとか。


運転室。


8620形8620号機。ご存知純国産蒸気機関車の第1号です。その上トップナンバー機です。普通1号機は梅小路に保存されそうなものですが、ハチロクはここなんですね~。
活躍時期が広いので古典期ファンからSLブームファンまであらゆる世代を虜にします。


近代的ながらも古典的な佇まいを見せているのが不思議な機体ですが、ランボードの高さが低いのが古典的に見える一因に思えます。この低さはイギリス式です。以降のC50からはアメリカ機のような動輪を避けた高い位置にランボードを置くようになりました。


後ろ。


9600形9608号機。8620形とほぼ同期の純国産蒸気機関車の始祖。
8620形は旅客用でしたが9600形は貨物用でした。ボイラー直径が大きい分、ハチロクよりもやや野暮ったい感じ。


足回りとか。


後ろですね。


一気に時代が飛んでD51形452号機。ご存知デゴイチ。
説明不要でしょう(手抜き)


集煙装置が付いていますね。長大隧道内での走行時の煤煙対策はどこの国でも苦労していました。
普通の煙突だと煙が上に向かって排出されるのですが、これだと隧道の天井から跳ね返って運転室や客室が煙たくなってしまいます。それを集煙装置で煙突に蓋をして、装置の後ろ側についている排気口から逃がすように煙の流れを変えてやりました。これだけで効果が出るというんですからバカにできませんね。
煙突の蓋は運転室から開閉操作可能でした。装置の後ろから腕が伸びているのが分かりますかな。たぶん操作時にあれが作動するんだと思われ。


ED16形1号機。ここ唯一の電気機関車です。青梅線を走っていたことがゆかりの地元選手枠です。
雑多な輸入電気機関車を統一車種で置き換えようということで国産されたEF52形の中型版です。1931(昭和6)年製。
末期は1980年代まで青梅線と南武線を走る石灰石輸送の貨物列車に使われていました。50年以上も使われていたことは異例ですが、青梅線か南武線を走れる電気機関車が他にいなかったから、というところでしょうな。


台枠と台車の間の隙間が好き。


台車。大変古典的(適当)


40系クモハ40054号。旧型国電というやつ。これも雑多すぎて手に余る電車なので説明は抜きにします。それにしても、旧型国電が丸車で保存されているなんてのは滅多にないので、これもよくぞ残ってくれたと思います。


顔のパーツの多さが今時の電車にない特徴ですね。
クモハ40の前面はこの前期の切妻型と後期の半流線型があるそうな。これは前期型ですね。


鉄道模型の運転展示の時刻になりそうだったので本館へ入りました。その後、館内の展示をぶらぶら見て回りました。明治期の機関車の写真が多く飾られていましたね。ここらしい展示です。


青梅鉄道公園名物、JR特急ヘッドマークいま・むかし。
一瞥してみるとすぐ気付きますが、ついにここに飾ってあるのは全滅してしまいましたね。「サンライズ瀬戸・出雲」がギリギリどうにかという具合ですか。「はやぶさ」や「みずほ」みたいに新幹線の列車に転生したやつもありますけども。
ちなみに中央の写真のやつは、「あずさ」や「成田エクスプレス」は列車名は今も続いていますが、写真の電車は今はもういないですね。残りの奴らは車両も列車名も消えてしまいました。

というところで今日はここまで。もうちょいだけ続きます。