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ビクトリアの専用線跡の遺構を探る 前編【2016/02/01】

2018-02-04 23:53:14 | 日常記
今回は少し予備知識が要りますので、まずはその説明から。
以前の記事で、ビクトリア周辺を走っていた3つの鉄道路線について書きました。
ビクトリアからナナイモを経てコートニーまで走るエスクイモルト&ナナイモ鉄道(E&N鉄道)、ビクトリアからシドニーまで走るビクトリア&シドニー鉄道(V&S鉄道)、そしてビクトリアからスークを経てカウチンレイクまで走るカナディアンノーザンパシフィック鉄道(CNoP鉄道)です。

CNoPは以前の記事でスーク方面の探索をしましたがCNoPにはまだ続きがありまして、シドニー方面にも路線を持っていました。



サーニッチ半島を走っていた3社の鉄道路線の地図です。
ビクトリアからシドニーにかけて広がる半島はサーニッチ半島と呼ばれ、この地域はサーニッチ地区 Saanich となっています。
サーニッチ半島には実に3社もの鉄道路線がありました。供給過多だろ。

赤い線がカナディアンノーザンパシフィック鉄道(Canadian Northern Pacific Railway; CNoP) 、今回廃線跡を調査した区間です。
青い線がブリティッシュコロンビア電気鉄道(British Columbia Electric Railway; BCER)、バンクーバーを本拠地にするインターアーバンです。
ピンクの線がビクトリア&シドニー鉄道(Victoria & Sidney Railway; V&S)、3社で一番最初に開業しました。
経由地は各社異なるものの3社ともビクトリア~シドニー間の鉄道であり、激戦区と言えるでしょう。

3路線も建設されたのはなぜか?と言うと、シドニー側の線路の終端を見るとわかるかと思います。どこも海と接していますね。
線路の終点から鉄道連絡船を介して本土バンクーバーと連絡していたのです。これら3社の真の経路はバンクーバー~ビクトリア間なのです。それにしたって多いなと思いますけどこれもチーム事情というものがありましょう。


■Photo credit: BC Archives, Reference code: G-05059

最初に開通したのは1894年6月1日のV&Sでした。シドニーの中心部に乗り入れいていたのはここだけです。当初は唯一の交通機関だったのでよく利用されていました。ところがV&Sは1902年にグレートノーザン鉄道により買収。その年から収益は悪化し始めます。
1913年にはBCERが競合する形で同区間に路線を開業。V&Sよりも運行サービスが良かったようで、V&Sの客を奪います。
さらに、CNoPも1916年にビクトリア~パトリシア湾に線路を開業。3社競合時代が幕を開けました。

先述の通り小さな半島に3社もの路線が競合するのは供給過多であり、最初にくたばったのがV&Sでした。CNoP開業の翌年1917年に廃止を発表、1919年に廃線になりました。路線のシドニー側、CNoPと交わる部分から北側はCNoPに継承され、後年まで使われたとのこと。
廃線跡はエルク湖とビーバー湖の西岸の遊歩道などに再利用されていますが、部分的に断絶されていて、当時を追うのは少しむずかしい様子。



■Photo credit: BC Archives, Reference code: G-03772

次にお亡くなりになったのはBCERで、1924年11月1日に廃止。やはり乗客減が原因です。
唯一の電化路線で、ビクトリアでは市内電車と接続してダウンタウンとその周辺まで結んでいたんですけども・・・。ただし市電は後年まで運行が続きます。
廃線跡はビクトリア空港周辺で断絶されている以外は当時の線形のまま道路に転用されています。特にインターアーバン・ロード(Interurban Rd.)はBCERがインターアーバン鉄道だったことが由来と見られ、現在も道路名に面影を見ることが出来ます。

最後にやられたCNoPですが、1918年にカナディアンナショナル鉄道(CN)に買収されて同鉄道になります。そして1935年にビクトリア~パトリシア湾線は廃線になります。ただしビクトリア側の数kmは工場への専用線として1990年代まで残されました。今回探索するのはこの区間です。
廃線跡はほぼ全線が残っていて、ロックサイド・トレイル(Loch Side Trail)という遊歩道に転用されています。特に90年代まで残っていた区間は遺構がよく残っています。


そんなこんなでサーニッチ半島の鉄道は1930年代には全滅という比較的短い一生なのでした。現在のビクトリア~バンクーバーの公共交通機関はBCトランジット(路線バス)~BCフェリー(カーフェリー)~トランスリンク(路線バス)~スカイトレイン(地下鉄)となっています。


今回のきっかけは、クリスマス前のダウンタウンで行われていた鉄道模型の展示会でした。鉄道模型クラブがレイアウトを広げて運転しているところを見せてくれるのです。
その会場で流れていたビデオに90年代のCNの映像が映っていたのです。よく見てみると、CNのスイッチャーが貨車1台をとろとろ引っ張りながら工場線へ押し込む様子と共に、毎日通勤で使っているギャロッピンググース・トレイルの遊歩道と同じ背景が流れているではありませんか。
ギャロッピンググース・トレイルのスーク側の区間が鉄道廃線跡の転用だということは以前の記事で記した通りですが、ビクトリア側の区間はそれっぽい遺構や状況証拠が揃いつつも、まだいまいち確信を持てていませんでした。それがこのビデオひとつで一気に確信に変わったのです。
そして、これは一度この目でその時の光景を追いかけなくては・・・と思い立ち、今日実行に移したのです。


ビクトリア在住時には今回の区間以外にこの3路線を認識していなかったので、サーニッチ半島の鉄道調査は今回だけになっています。知っていたらチャリを飛ばして調査したんでしょうけど。ちょっと悔しいですね。

以上、予備知識でした。



今回探索する区間はこちら。
ダウンタウンのジョンソンストリート橋からロックサイド・トレイルを北上していって、ロイヤルオークのロックサイド小学校までを走ります。



起点のジョンソンストリート橋です。青い塗装からブルーブリッジと呼ばれることもあるそうな。1924年1月に供用開始した歴史のある橋なのです。
青い橋桁以上に目を引くのが手前側のコンクリートの塊です。橋に明るい人ならピンときたと思いますが、これは可動橋です。中でもバスキュール橋という跳開橋の一種です。
バスキュール(Bascule)はフランス語で天秤を意味する言葉。それが表す通り橋にはカウンターウェイトが備えられていて、橋全体で釣り合いが保たれています。日本では採用されなかったのか、適切な日本語訳が無いです。跳開橋というには厳密には違う気がします。

バスキュール橋にもいくつか方式があるんですが、これは固定トラニオン式です。コンクリートのカウンターウェイトが路面の上に設置されています。この橋を渡る度に、古い橋だしこの塊が落ちてきたら・・・と考えてしまいます。
カウンターウェイトとつながっている回転軸が動くと塊は橋に組み込まれるように下の方へ移動していきます。同時に橋が跳ね上がっていく・・・という感じです。


【Johnson Street blue bridge in Victoria BC】

動画を見たほうが早いな・・・ということで、可動しているところの動画をば。面白い動きをするでしょ?
橋が架かっているのは川ではなくて湾の海面です。動画で言うと右が河口、左が湾内です。動画ではタグボートが砂利を運搬するいかだを動かしていますが、他にも湾内には船渠やプレジャーボートの停泊地があります。なのでここを行き交う船は多く、中には橋よりも背の高い船も時折通りますので、可動する頻度は意外と高いです。運が良ければ割りと動く光景を見られると思いますよ。ただし、事前告知等は無いようです。それに、橋が跳ね上がる時間は5分か長くても10分かからないので、たまたま見かけた時はスピードが命です。



橋の手前側を見る。
ジョンソンストリート橋は現在は道路橋だけですが、数年前までは鉄道橋も平行して建っていました。3車線分の道路橋に対して単線分の鉄道橋だったので、道路橋を細くしたような見た目で、あとは青い橋桁とコンクリートのカウンターウェイトという道路橋と同じ様式でした。



■Photo credit: BC Archives, Reference code: I-04746

鉄道橋はエスクイモルト&ナナイモ鉄道(E&N鉄道)の線路で、橋のすぐ先にE&N鉄道の起点ビクトリア駅がありました。古風な駅舎に見えますが、意外とたった数十年前に建てられた駅だそうで。
奥にはジョンソンストリート橋の鉄道橋が見えます。線路の他に歩道もあったそうな(なので今残っている道路橋には片側にしか歩道が無い
ここからVIA鉄道の旅客列車マラハット号はコートニーまで2011年まで走っていました。しかし、鉄道橋とビクトリア駅は後述の理由により2012年に解体されています。



ジョンソンストリート橋からストア・ストリートを見る。
E&Nの線路は1980年代辺りまではビクトリア駅から先(正確には駅ホームとジョンソンストリート橋の間から分岐していた)のストア・ストリートにも少し延びていました。写真左から線路がやって来て、左カーブして道路の奥へ続いていきます。
ストア・ストリート上の区間は道路の路面上に線路があるいわゆる併用軌道でした。沿道の工場に貨車を運ぶための専用線として使われていました。
現在では線路は埋められています(掘れば出てきそうなものだが)。沿道の工場で専用線の面影を探してみましたが、目立った痕跡はありませんでした。



ジョンソンストリート橋を渡って、渡った先から橋を眺めます。
橋の左では道路工事をやっています。これは新ジョンソンストリート橋の建設です。もう90歳超えという現橋を置き換えるのです。ここに架かる橋はこれで4代目となります。
現橋の北側の隣に架けるのですが、すぐ隣に建設するので道路橋の横にあった鉄道橋とその先にあるビクトリア駅が建設上障害になったので、ここの鉄道設備は早々に撤去されてしまいました。これがビクトリア駅解体の理由です。
当時は2016年には供用開始するみたいな話だったんですが、延びに延びて開通を見られないまま帰国。ですが2018年3月についに供用開始する見込みです。現橋を見たい人は急げ!
4代目もバスキュール橋になっていますが、方式は今の3代目と異なっていて、どうもローリングリフト式っぽいですね。軌道の上を転がることによって橋を跳ね上げる方式です。カウンターウェイトも路面の上ではなくて脇に設置され、橋桁と一体化された設計になっていて未来的で美しいです。
3代目は恐らく解体されるでしょう。この橋は毎日渡っていたのでそれが消えるのはやっぱり寂しいですね。

で、CNoP/CNの線路はこの写真の左手あたりが起点なのですが、起点から逆方向(南向き)にも延びていて、ちょうどこの辺りでE&N鉄道の線路と接続していました。
今回の調査区間はCNが末期に工場への専用線として使っていた区間です。この時期にCNはこの専用線以外に路線を持っていなかったので、どこから貨車を持ってきていたのか?という話になるわけです。
そこで出てくるのがE&Nとの接続線です。貨車はE&Nの線路を経由して走ってきた、と見るのが妥当でしょう。
さらに、E&Nはビクトリアから北に100km離れたナナイモという町で鉄道連絡船を介して本土と繋がっていましたので、本土からやって来たということもありえますね。



地図上だとここからの眺めです。



ちょっと廃線跡から道を外れて扇形車庫を見ていきましょう。ここはE&N鉄道のビクトリア扇形車庫です。
今日は敷地の外からの眺めなんで車庫までは行かなかったんですが(車庫の写真等はこちらから)、扇形車庫は1913年に竣工した大変古い建物です。その上、今までの間ほとんどの期間を通じて使用されていながら、竣工時の原型をよく留めていると言われています。なので、カナダの国定史跡に認定されています。そのせいか、今に至るまで他の建物や転車台、留置線ともども解体されずに残っています。



地図上だとここらへんからの眺め。



脱線から戻ってきて、CNoPの廃線跡探索を再開します。
エスクモルト・ロード Esquimalt Rd. からハーバー・ロード Harbour Rd. へ右折します。
右折した辺りがCNoPの起点になっているんですが、前述の通りE&Nと線路が繋がっていたので、明確に分かる起点というのは無かったのではないかと。0マイルポストでもあれば別なんですけど、あるんですかねそういうの?
で、この道路沿いに線路があったはずなんですが、この辺りは再開発されているんで面影は無いと見て良いかと思います。



話は逸れますが、この道路沿いに小さな船渠があります。漁船やカナダ海軍のフリゲートなんかが入渠するので、立ち寄ってみるのも一興です。
巨大な転車台もありまっせ。



ここから北西方面を眺めた感じです。



ここから廃線跡転用の遊歩道「ロックサイド・リージョナル・トレイル Lochside Regional Trailに入ります。正確にはここから4km先の分岐点まではギャロッピンググース・トレイルだそうだけど。トーテムポールが目印。Lochsideというのは湖畔という意味です。自動車は進入禁止なので、歩くか自転車で通行しましょう。バイクもダメだぞ。
この遊歩道はビクトリアからフェリーターミナルのあるスワーツベイまでの29kmの道のりがあります。先に書いた通り、CNoPの廃線跡を転用しています。おおよそ当時の線形に沿っていますが、シドニー手前(先述のCNoPとV&Sの接続点)でV&Sの廃線跡に転線、シドニーの町まで向かいます。シドニーから先は鉄道由来の経路ではなく州道17号線と並走した経路になって終点まで延びます。詳しい経路はこのリンクから
大規模な整地が必要ない遊歩道ですので、線路の遺構はある程度残っています。線形等はよく留めていますね。ただしここから後述のセルカーク橋までは再開発で線形は失われていると見ていいでしょう。



この自転車屋あたり。



遊歩道に入ってすぐに、橋が見えてきます。ポイント・エリス橋です。
1896年5月26日、ここを走っていた路面電車が定員超過による重量超過が原因で橋から墜落し、55名が亡くなった事件があったそうな。今は普通の道路橋です。通勤時間帯は混みます。



遊歩道の入り口からポイント・エリス橋の間には晩年の専用線時代に運用されていたCNの機関車用の車庫があったのですが、跡形もなくなっています。車庫と言っても簡易なものでして、建屋は無く、機関車を金網の柵で囲っただけの露天留置でした。様子から見て機関車も1~2機だけだったようです。
このまま進むと橋の袂と橋脚の間を潜るのですが、ここは鉄道があった時代も同じ位置を潜っていました。



この辺りも留置線があったはずですが、宅地化されまくってます。南無。



第1のヤマ場、セルカーク橋 Selkirk Trestlleが現れました。木造トレッスル橋でして、初めは橋を架けるなんて遊歩道にしちゃ金掛けてるな・・・なんて思っていましたが、実は鉄道時代から使われていたものをほぼそのまま転用した重要な遺構です。
詳しくはここで記していますが、この橋は鉄道時代より可動橋でもあります。写真、橋の奥が上り坂になって盛り上がっているのがわかると思います。あの部分が跳ね上がって海上交通に支障をきたさないようになっています。ただし、先のジョンソンストリート橋よりはその稼働頻度は格段に落ちます。私は1年間ほどこの橋を行き来していましたが、1度しかその機会に立ち会えませんでした。



場所はここです。




橋の盛り上がった部分から対岸を眺める。盛り上がりの部分は遊歩道転用後に改造されたもので、鉄道時代は水平な橋でした。
橋は中間から少し右カーブしています。



橋脚。年季が入っていて、大部分の橋脚は鉄道時代から使われ続けているものでしょう。



橋を渡るとゴージ・ロード・イースト Gorge Rd. East と交差し、その下をくぐります。この立体交差もただの遊歩道にしては凝った造りになっている・・・と疑問に思っていたわけですが、鉄道の遺構となると納得できます。橋の高さはちょうど鉄道車両の寸法に合わせているんですね。
遊歩道の右側には小川が流れています。

はい、今日はここまで。


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