日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

インフルエンザ・・・

2008-12-21 11:45:23 | Weblog
 インフルエンザの季節になった。が、自分の周りでは、まだいない。インフルエンザが流行ったかなと思うのは、外来に来る学童の数が急に増える様になった時だ。
 昔は、型があまりあたらなかったみたいだ。今は、ギリギリまで待って、高い確率で3つ(ソ連型、香港型、B型)を入れている。多くの場合、予想して打ったのがその年内に流行ることが多いみたいだが、年を越えて春に近くなってくると、ヒトの体の中で(連続)変異が起きて、打ったのと少し変わってくる。それでも、打ったワクチンと実際の流行株に共通点があることが多いので、しないよりはいいかなと思う。厚生労働省の話だと、インフルエンザで100人亡くなった時、予防接種をしていたケースでは、17人しかなくならないとのことらしい。個人差があるので、打っても亡くなる人は亡くなるのだ。やはり、睡眠・食事・ストレスを溜め込まないなどの注意は必要かと思う。
 皆が殆ど打たないと、変異が起きにくいと思う。で、ずれる確率が減って、より効くと思うが、・・・インフルエンザウイルスもずっと生きようとしている訳で、皆が抗体を持ってしまうと、その変異も早くなるのではとも思ってしまうのだが。
 幸いに、今のワクチンは、昔のと違って、抗体価も4倍近く上がるみたいだが、打っても抗体値があまり上がらない人も時にいるみたいだ。
 インフルエンザに関しては、不思議なことが沢山あって、スペイン風邪が流行っていた時は、他の型のインフルエンザは流行らなかった。アジア風邪が1957年に流行ると、嘘の様に、それまでのインフルエンザの型は消えた。1968年に香港型が出現すると、アジア風邪は嘘の様に消えてしまった。しかし、何故か、今は、香港型もソ連型も共存している。予防接種が沢山打たれたせいなのかなあ?
 又、幼児と高齢者に死亡のピークがあるM型を取るのに、新型出現の時には、30台の元気な人も亡くなるケースが多い、つまり、W型となる。何故かなあ。元気過ぎて、防衛反応が過剰に働いて、サイトカインが出過ぎるのかなあ。
 昔と違って、今のインフルエンザの流行は、流行っても嘘みたいに急に流行が止まることが多い。昔は、3月の春休み前まで、多くて難儀していて、春休みに入ってやっと少なくなってホットしていたのを思い出す。
 冬休みと春休みで、流行がブロック出来ている。これは、経験的に間違いないことだと思われる。解熱して48時間で登校禁止にしても、それ以後も子どもの場合はウイルスをばらまいているので、早々に学校保健法を書き換えるべきだと思ってはいるのだが(それに、子どもの場合は、二峰性の発熱のこともしばしばあるし)。
 確率的には、12月中に流行らないと、却って年明けから春休みまで、ずっと流行する確率が高くなるかな。
 前もって抗生物質を処方していると、却って、中耳炎や副鼻腔炎などの細菌感染になり易い様にも思える。水痘や麻疹などと同じ様に、インフルエンザ後に、免疫力が落ちているのは、確かな様だ。私なりには、葛根湯(早期に2日間)→柴胡桂枝湯で多くの合併症のケースが防げる気がしているのだが。
 鼻にスプレーしてのワクチンの開発はまだかなあ。

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080109/1

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ガンになる前に読んでおくべき本・・・?!!

2008-12-20 17:15:11 | Weblog
 (天草市)本渡に散策で行った時に、偶然に、小さなある本をもらった。小さな本だったが、内容は大きかった。NPO法人ガンの患者学研究所、ガンをはねのけ生き抜く力、「すべては、あなたが治るため」と最初の表紙に書かれている。
 私自身は、人間が最後はガンになるのは運命付けられていると思っているので、この内容にはあまり驚かない。
 実際に、よく知っている人で、ある大学病院で病理学的検査で胃ガンと言われ、抗ガン剤を使用せずに治癒した人を知っているし、ガンでありながら、その治療を積極的にしながら他の疾患でなくなってしまった人も結構知っている。
 その本の中には、納得できる内容が書かれいる。
 ・病気を作った原因は、患者自身の間違った生活習慣にある(100%とは言えないが、そう言えることが多いかと思う。特に、生活習慣病の場合は)。
 ・病気を治すために最も重要なことは、間違った生活習慣を改める、患者自身の努力である(間違っていると分かっていても、それが出来ないのが人間って感じもしないでもないが)。
 実際に周囲を見てみると、ちゃんと緑黄色野菜を充分に摂らずに(バランス良く食事が摂れてなく)、ニコチンやアルコールのコントロールが上手く出来ず、不規則な生活で充分に睡眠を取っていなく、運動不足気味で、ストレスを過剰に常に抱え込み、精神的に追いやられている人、よく風邪を引いているし、なかなか治りきれない感じになっているし、その後に生活習慣病になっている人が多い!!
 長寿の人達を観察していると、手を合わせて多くのことに感謝している人が多いし、背筋がしっかりとしているし、ニコニコして人とのコミュニケーションが上手な人が多い感じだ。
 本の中では、次の三つの目標が掲げられいる。
 ガンはあくまでも結果。私たちは、患者本人の自助努力によって、その原因を根本的に取り除くことを目指すとあり、ライフスタイルの乱れ、食事の乱れ、心の乱れ、大きく整理すると、この三つが、ガンの原因と書かれている。
 この内容、別にガンに限ったことでなく、他の多くの疾患の場合にも当てはまりそうである(私は、食事・睡眠・運動・心のあり方、そして、姿勢と思う様になっているのだが)。
 現実に日本全国の病院で行われている治療法の主体は、相も変わらず三大療法・・・手術で切って取る、放射線で焼き殺す、抗ガン剤で毒殺する・・・つまり、〈ガンという結果〉を取り除くことが主眼で、再発・転移をさせないためにもそれを施行しているが、この本では、原因を放置したままでは、たとえ何度治療をしても、結果は同じで、取っても取っても、氷山がまた海面の上にポッコリと顔を出すのは時間の問題(それが、再発や転移)と説明してる。
 そして、気が付いたら直ぐに生活習慣を改めることを強く説いている。それが出来れば、例え再発しても、完治する可能性はあると説いている(もちろん、100%とは言っていないが)。
 事実、2004年4月。世界初の大イベント『千百人集会』を成功させている。そこに参加した124人の治った人たちのおよそ30% は、西洋医学では治すのは不可能、あるいは極めて困難と思われた人たちであったと説明している。彼ら皆、生活習慣を根本的に改め、原因を根絶することで生還出来たと説いている。
 決して、西洋医学をすべて否定してはいない。しかし、手術・放射線・抗ガン剤しか、ガンを治す方法がないかのような〈三大療法一辺倒〉の常識には、大きな疑問を感じている内容である。
 更には、治す優先順位として、1 自助療法、2 代替療法、3 三大療法と説いている。
 健康な時から、一読することを薦めたいです。

http://www.naotta.net/index.html

*その関係のウェラー・ザン・ウェル大集会が、今日、名古屋で開催されている。

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忘年会

2008-12-20 09:18:07 | Weblog
 外来の忘年会があった。この日、病棟の忘年会もあり、両方出席できず残念。事務の忘年会もあり、律儀な院長は、その3カ所とも回っていた(最後に、我がチームに参加。21時過ぎだったかなあ)。
 会場は、その3カ所とも、病院から車で40分余掛かる所。食事は申し分なかったのだが、何せ、舞台が狭い。その舞台にしばしば5人が上がって、ゲームや踊りなどをしていた。
 私は、久し振りに唄った。曲名は、「メリー・ジェーン」で、キーをかなり高く上げて唄った(高校1年生の時までは、これでもコーラス部だったのだが)。気が付くと、暗くなって、いい感じで踊っている人が数組いたかな。この曲ほど、ブルースに合う曲はないと思っているのだが。私が唄って皆がよく踊っていたのは、「雪降る街角」と「踊れサンバ」。思い出すなあ、あの時、総立ちして一斉に踊っていた光景を。まかないの人も、給仕するのを止めて真剣に見ていたなあ。
 で、今回、院長を含めて大部分の人は2次に行ったけど、私は、土日の診療があるので早々と帰った。
 次回は、いつものスタイルで、近くて畳で貸衣装が多くて、広い舞台のある所の方がいいかな。
http://jp.youtube.com/watch?v=YE0QtzesfUs

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まさかの逆転劇

2008-12-19 09:02:46 | Weblog
 渡辺明竜王が3連敗して、ピンチに立たされた。その時点で多くの人が、羽生義治4冠の勝ち、初の永世竜王誕生、羽生前代未聞の全七冠永世称号獲得と思っていたに違いない。しかし、しかしである。
 その後、苦しい闘いの中、3連敗後に4連勝し、渡辺竜王が羽生4冠を下し、初代永世竜王に就いたのである。
 今月の17日と18日に、第21期竜王戦七番勝負(読売新聞社主催)の第7局が山形県天童市で行われ、140手で渡辺明竜王(24)が挑戦者の羽生善治名人(38)を下し、4勝3敗で防衛したのである。
 渡辺明竜王は5連覇を達成し、初代の永世竜王(5連覇か通算7期が条件)の資格を獲得した。羽生の史上初の「永世7冠」はならなかった。
 それにしても、渡辺竜王は羽生4冠に3連敗したあと4連勝した。これは将棋のタイトル戦七番勝負史上初の大逆転勝利。苦しかった第4局をしのいで勢いに乗り、第7局でも一時悪いとみられた形勢をひっくり返した。
 竜王通算6期の羽生は、あと1勝をあげられず、7タイトルの永世称号全制覇は来年以降に持ち越しとなった。かって、羽生4冠は、24歳で6冠まで行き、翌年初の7冠を奪取した程の強者。
 私は、両者とも、大好きだ。不思議なことに、渡辺明竜王、竜王以外のタイトルはまだ手にしていない。これから将棋界を担って行くだろう。
 渡辺竜王は、「(永世竜王になれたことは)非常にうれしい。第4局以降、思い切り指そうと思ったのが結果的によかった」と言い、羽生4冠は、「第4局も今日の将棋もチャンスがあったのに勝ちきれなかった。でも、力いっぱい指したので、しょうがない」と言われた。両者とも、いい顔をされていた。共に素晴らしいなあ。

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ある夫婦の旅先でのたわいもない会話

2008-12-18 10:17:28 | Weblog
妻・・・あるアラフォの女性が、独り旅をよくしていて、その時に、いろんな人に常になり変わるんだって。いろいろ旅先で尋ねられると、「エエ、主人は大学の医学部の准教授で、論文書くのに忙しくて、仕方なく私独りでいつも旅行です・・・。ちょっと前には、主人が独りで行ったらと言うので、フランスのモンペリエまで行って・・・」何て言う時があるかと思うと、ある時には、「×3で、もう、ホトホト男にはイヤになって、もう、どんなに言い寄って来ても相手にしないことにしました・・・」何て言ったりして、それが、ある時、そんな風に別々に話した人二人とその人が一緒になって、どんな話になったのかな、・・・何て話(ホントにあるかも知れないかな)。
 夫・・・賢い奥さんがいて、その旦那さんが時々往診することがあって、その内に、往診がないのに、毎晩の様にパチンコと飲みに通って、遅くなって帰っていたが、その奥さん、息子さんには、いつも「仕事で遅くなっている」と言い続けていた。で、中学生の終わり頃に、事実を知ったけど、もう、立派な青年になっていて、息子は驚いたが、しかし、躾の基礎がバッチリ出来ていて、いい社会人になっているとか(持つべきものは、賢い奥さんかな)。



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2008-12-17 10:14:45 | Weblog
 故人となった俳優の緒方拳さんが、「旅は、ノンフィクションだ。俳優の仕事は、全てフィクションだ。両方を経験することで、いい生き方が出来る」って感じで言われていた。
 正にそうだなあ。旅をすると、そこには、意外な発見がある。
 12月14日(日)に、16:55のバスで、(天草市)本渡から上天草病院前まで帰る時、1時間半以上、家内と自分の二人以外は、誰も乗らなかった。自分たち以外に、全く途中で誰も乗らなかったこと、今までなかっただけに、もしも自分たちが乗らなければ、バスの運転手さんは、空の状態で暗い中、独りでずっと運転することになる。どんな心境なのかなあ。バスの運転手さんは、絶対的な拘束。途中でトイレの心配もあるだろうし、決まった一本道で、大変な仕事だと思う。ある統計では、長く勤めた運転手さんの場合、ストレスや運動不足のせいでか、生活習慣病の割合が高く、又、胃潰瘍や十二指腸潰瘍なども他の職種に比べて多くなっているとのこと。
 旅で、田舎で人に出会うと、話し掛けられることが多い。いつも、「どちらからですか?」と尋ねられる。これって、万国共通の初対面の質問ではないかと思う。
 田舎では、バスが交通手段としては、最も大切だ。しかし、常に、ガラガラって感じだ。病院や学校などの重要な所には、必ず停留所がある。正に、病院の産科と小児科って感じで、不採算だなあ。
 イタリアに行った時に、あちこち建物を見に行った時に、寄付をお願いしますって感じの箱があった。昔は、入場料も取らなかったらしいのだが、経営的に難しくなって、もうそれは出来ない感じになっている。ベニスなどは、どんどん有名な建物が水に埋もれていって、将来、観光地として成り立たなくなるって感じで言われていた。
 旅では、その土地の自然やいろんな建物やお店などを見て回るのが楽しい。それと同時に、その土地の人との語らいが又楽しい。この楽しさをもっと旅人は味わうべきだと思う。
 旅は、日常の煩雑な世界から、新たな発見の世界へ、タイムスリップさせてくれる。行く前にも行った時にも、そして、行った後も、心の旅をさせてくれる。
(写真は、ローマ)

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リストラ

2008-12-16 12:24:41 | Weblog
 開業していて、経営が上手く行かなくなって、リストラしないといけない状態になって、事務員さんと厨房のスタッフをリストラしたことがあった(閉院1年前に)。それを言う時、ホント、つらかった。その時の情景が今でもありありと思い出される。又、そんな人からの便り、その後、全くない(閉院した時に最後までいた人達からは、年賀状が毎年来ているが)。仕方ないなあ。最後は、自分で自分をリストラする羽目になったけど。
 蓄えもないのに、経済的援助を得られる環境になく、急に会社の都合でリストラされ、住む家もなく途方に暮れている人がいるなんて、この寒い中、早急に行政が取り組まないといけない問題だと思う。政党間で争っている場合でない。
 アメリカ人には、貯蓄をしない人が多く、いつも借金状態でも気にしないで(?)で過ごしてきて人が多かったみたいだが、今は、手取りの5%を貯蓄に、手取りの5%を協会に寄付をって感じになっているとか。
 イスラム教では、手取りの10分の1を寄付するのは、当たり前になっている(義務)。
 東南アジアの多くの国では、大家族で、皆で助け合っている。
 日本や欧米は、核家族で、ホントに困った時、行政に頼るしかない感じになっているかな。
 今、日本が、いや世界が、今までの生き方を反省すべき時で、正に曲がり角に来ているのかも知れない。
 お互いに殺し合う戦争を止め、それに費やすお金をもっと価値ある所に使って欲しいなあ。相田みつおさんの「奪い合えば足りず、助け合えば余る」正にこれだなあ。宮沢賢治が言っていたなあ、「自分だけの幸せは、本当の幸せではない。皆が幸せになって、ホントの幸せが得られる。」と。


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旅日記(大江天主堂・崎津天主堂4/4)

2008-12-15 17:03:10 | Weblog
 「天草ロザリオ館」で興味ある話を知って、南蛮文化における河浦町の存在の大きさを初めて知った。そこから、タクシーで宿泊場所の「愛夢里(あむり)」に行った。2日前までに予約となっていて、突然に申し込んだのでもうダメかなと思っていたのだが、不思議にOKだったのだ。満室状態で、階段を上がっての一戸建てしか空いてないとのことで、喜んでそこにしてもらった。家族風呂も予約して、2人で1泊2食付きで、1万7000円だった。部屋は、2階もあって、自炊も出来るし、電子レンジも付いていて、家内も大満足だった。
 夜は、真央ちゃんの3回転半を2回も成功させて優勝したのを見て、いい感じで、安らかに眠りに就けた。
 翌日(14日、日曜日)は、「愛夢里」から少し歩いて、一町田中央から10:30のバスに乗り、11:28に本渡のバスセンターに着き、前回同様に「やまと屋」で又昼食を摂り、13:00から、映画を見た。涙が出た。映画の名前は、「おくりびと」。山崎努、役者ピッタリって感じだったなあ。チェロの音色、いいなあ。きつい仕事であればある程、それに耐える為には、息抜きの趣味を持つことが大切だなあ。
 映画を見終わってから、ポルトに行き、その後スーパーで買い物をして、喫茶店で家内と取るに足らない話をお互いにして、16:55のバスに乗り、10:38に、上天草病院前にやっと着いた。直ぐに病棟に行き、気になっていた子どもを診察して、夕食を摂った。
 今年は、これで旅行は終わりだ(12月は、15日からは23日以外は、毎日勤務)。この12月の2回の天草旅行で、エネルギーがバッチリと充電された感じだ。来年の4月の第3金土日には、是非、「牛深ハイヤー踊り」を見に行きたいなあ。天草は、広いなあ、そして見る所、多過ぎる。
 車は、もう、持つ気はないし、結局、自分の自動車免許証は、殆ど役立たずだった。再来年に、返上しよう。まあ、人生、こんなこともあっていいだろう。しかし、タクシーと違って、バスだと、より安全だし、ゆっくりと景色が眺められるし、それに、経費もかからなくて良かったかな。それに、長い距離でも、i-Podをしばしば聴いていて、モーツアルトさんから充分に楽しませてもらったかな。
 人生は、いつまでも「カキクケコ」、「感動」・「緊張」・「くつろぎ」・「継続」、そして、「好奇心」だ!

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旅日記(大江天主堂・崎津天主堂3/4)

2008-12-15 17:00:31 | Weblog
 「チャペルの鐘の展望公園」でいい思いをして、崎津天主堂に再び行って、写真を撮った。その後、タクシーを利用して、「天草コレジヨ館」に行った。
 そもそもコレジヨって何かなあと思っていたら、これは、ポルトガル語で、英語のCollegeに当たるとのこと。正確には、「Collegio Amacusa」と、ポルトガル語で書く。
 日本に初めてキリスト教が伝えられたのは、1549年、スペイン人イエズス会士のフランシスコ・ザビエルにより、ローマ・カトリック教が伝えられている。
 天草にキリスト教が伝えられたのは、1566年で、ポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダによる。苓北町の壱岐を訪れ、キリスト教の布教が始まっている。当時、天草島民の7割近くがキリスト教の洗礼を受けている。又、その2年後の1568年には、日本布教長コスモ・デ・トルレスが志岐を訪れて、「全国宣教師会議」が開催されている。
 アルメイダと言えば、大分市には、医師会立病院であるアルメイダ病院があるが、そのアルメイダである。崎津天主堂のあるこの河浦町に、天草コレジヨが誘致され、1591~1597に天草学校とイエズス会本部が設置されたのである。この時、天正少年遣欧使節団としてローマ法王に会った4人(千々石ちじわミゲル・伊藤マンショ・中浦ジュリアン・原マルチノ)も入校したのである。
 創建中心人物は、日本イエズス会のアレハンドロ・ヴァリニアーノ(イタリア人)で、巡察師の職名を帯びて来日したイエズス会の司祭で最高指導監督者者であった。20歳足らずの若き少年使節団は、1582年長崎を出航し、長旅の後にローマ法王に会い、8年後の1590年に帰国している。その時に、日本にグーテンベルク式活版印刷機や西洋楽器が持ち込まれ、しかも、4人の内の1人により、秀吉の前で演奏もし、秀吉によりアンコールが2回もあっている。
 しかし、出航した時代の織田信長と違って、豊臣秀吉の時代には、キリスト教を認めなかった為に、彼ら4人はその後それなりに迫害されることとなる。
 このコレジヨ、初めは府内(大分)にあり、秀吉の監視を逃れる為に、密かに場所を8回も変え、7番目がこの河浦町となっている。
 その後、1637年に、上天草市大矢野町出身の若き天草四郎時貞(天草二郎と言う歌手がデビューしていますが)が「天草・島原の乱」で、現れることになる。
 「天草ロザリオ館」では、20分間の映画があり、又、知らなかったことを30分程も掛けて詳細に教えて頂いた。
 つまり、大江天主堂も崎津天主堂も、天草四郎とは関係ない感じで建設され、又、それも1年ずれて2つが建設され、(建物の感じが、ロマネスクとゴシックで全く違うのに)それを設計した建築家は、同じ日本人となっている。
 現在、大江地区に300人、崎津地区に200人のキリスト教の聖徒がいるとのことでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E9%81%A3%E6%AC%A7%E5%B0%91%E5%B9%B4%E4%BD%BF%E7%AF%80



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旅日記(大江天主堂・崎津天主堂2/4)

2008-12-15 11:25:09 | Weblog
 「チャペルの鐘の展望公園」に上がる途中に、何と、桜が咲いていた。時にこんな感じで咲くらしいのだが。この坂が又、急だった。さすがに、人陰がない。登る時に、ちょっとあっただけだった。しかし、いい景色で、満足。そして、頂上からのパノラマは、正に、絶景だった。素晴らしい、実に素晴らしい。

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