日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その56)

2007-04-01 07:20:03 | Weblog
○専門2年、3月9日(土)晴。
 近頃何となく嬉しい。余裕がある。そうだこの余裕があってこそ人生を満喫することが出来るし、本当の前進があるのだ。午後鹿児島市立病院に行った。1週間の内容を聞きに行くつもりが、直ぐに手術場に案内された。で、帝王切開を見た。外西先生(元鹿児島大学助教授)は、「今のドイツ流の講義中心の医学教育は、時代遅れ、臨床は、アメリカ式にベッドサイドティ一チングが中心にならないといけない・・・。」と今の教育のあり方の問題点を言いながら手術をしていた。あんな無駄話をしながら手術をしていて大丈夫かなあと心配していたら、「この手術、よく見ていてご覧」と言われた(後で考えると、先生の手術の腕は、ピカ一であった)。赤ちゃんが生まれると、「赤ちゃんは、かわいい坊ちゃんですよ。」と付き添いの人に言っていた。いい人が多い。
○専門2年、3月11日(月)晴。
 初めて患者さんに接して問診した。体で覚える、これが臨床では大切だと思った。とてもいい勉強になった。一日で大部分を吸収した感じになった。予習のお陰だ。午後からの蔵屋ドクタ一による新生児・未熟児との接触は、本当に楽しかった。子どもと接したい、俺の進む道は、やはり小児科かな。将来小児科一般をしっかりと勉強した上で、周産期医学を勉強したいなあ。どうかしてくれ(抹殺してくれの意味)と言う親や、遠くから毎日見に来ている食道閉鎖の子の親、そこには、人生の裏のいろんな姿がある。蔵屋ドクタ一(女性・研修2年目の終わり)は、手術がとても上手で、外西先生から絶賛されていた。外西先生が初めからみっちりと鍛えられた結果だろう。外西先生から手術してもらった子宮癌の患者さんが、退院して初めて外来に来て、外西先生に会えて涙を流して喜んでいる。患者さんにとっては、外西先生は、神様的存在だ。外西先生は、「ここで研修後の採用は、その人のキャラクタ一と能力を見て決める。医師は最低限の生活は保障されているので、それ以上は、望まなくていい。」と言われた。同感、僕は立派な医者になってみせる。人間の心を大切にする医者にならなければいけないと思った。
○専門2年、3月12日(火)晴。
 すっかり慣れた感じで、問診も上手になった感じだ(他の二人は英語で書いていたが、そこでのカルテがドイツ語で書かれていたので、自分はドイツ語で書いた)。医者の話す言葉はドイツ語で、臨床でのドイツ語の根強さを知った。俺には、人の心がよくわかる。恥ずかしい心、みじめな心、心細い心など。手術を3つも見た。やはり、手術は迫力がある。医師という仕事は素晴らしい、実に。人間と人間との心の触れ合いは、実に素晴らしい。
○専門2年、3月13日(水)晴。
 一日が過ぎた。充実している。まだ3日しか経っていないのに、1カ月も経った感じだ。今日の外西先生の話は、「いい医療をする為には、スタッフとそれなりのお金が必要」であった。難しい手術は、大きな病院でするべきだと思った。
○専門2年、3月14日(木)晴。
 お産を見た。自分が既に落ち着いていることが異常に思えた。慣れとは恐ろしいものだ。慣れれば何でもなくなるのだろなあ。初産の人で、あまり痛くなかったと言っていた。女の人って、本当にご苦労様。しかも、恥ずかしい思いをして。ここで学ぶべき事は多い。ドイツ語も上手になった。やはり基礎が大事だと思う。何事においても基礎が。

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