日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その111)

2007-06-07 08:08:36 | Weblog
 昭和60年版の「臨床研修病院ガイドブック」の初めの方に、国立病院医療センタ一院長でもあり、臨床研修研究会会長でもあられる織田敏次先生は、次に様に言われる(一部)。
 経験は私にもあるのだが、卒業当時が最も名医であった。いざ実際にベッドサイドに入ると、数年の内に迷医に落ちる。それは決して手間はとらない。アッという間の転落である。どうしてだろう・・・と考えてみる。ことは単純明瞭、それほど難しい理屈ではない。学生の講義とは、その時点に限れば最高の知識である。それぞれが入れ代わり、いずれ劣らぬ専門分野の先生方から豊かに放り込まれる。聴く側にすればむしろ消極的、それでいてけっこう批判的な、咀嚼も勝ってになさる。となれば、少なくとも知識だけは最高のものになるのが自明の理である。あとは欲だけの問題である。しかし今度はいささか様子が違う。自ら餌を求め、先輩の見よう見まねで医療の現場に参加するのである。知識として与えられたもろもろは、すべてが平均的な尺度でしか測れない。ところが現実の対象は平均的存在としての客体など、何の保証もない。しかも医療とは、試行錯誤の許されるものではない。実験の許される行為でもない。常に本番が待ち受けている。こうして考えてみると、やはり我流、自己流が恐ろしい。特に慎まねばならないのが勝手気儘な流儀ということになる。正統派の思考・技法をまず身につけることである。最初に手抜き、変則を覚えてしまうと、取り返しがつかない。そういった柔軟な受け入れができるのも若さ以外にない。若さこそ力である。素直に育っていただきたい、心がけ次第だと思う。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大きな目で | トップ | 年金問題 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事