シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 花達が微笑み フランス語の母音の色を思う
母音というと A I U E Oアイウエオ
の 五つが 日本語で 思いつきますが
私は
最近 Aアという開口の母音は 赤だと思っています。
ボルドーの赤
オレンジ系の赤
真っ赤
目が覚めるような色の音
パレットの上で 赤に 色々な色を混ぜれば
最後は 黒になってしまいます。
最近 私は 母音には それぞれ 色があると
感じています。
感性で 思うだけで 理論があるわけではないのですが
アaの母音は 真っ赤
エの母音は 青みがかった緑
イの母音は 黄色
ウの母音は 紫
オの母音は まだ 感じてこないので いつか 何色か感じたら
お伝えします。
そのほかに フランス語の母音は 色々
各色
そして 子音には sやFの 無声音なのに やたら色気のある
パンチ力のある音たちがあり
その色は 白 や グレーやら 白が効いた差し色です。
母音の間に割り込んで 主張しているので
ないがしろにできないRなどは
役割と 取り扱いが 超危険な子音なので 金色です。
金色も 色々な使い方で 主張したりワンポイントにもなりますから。
なので シャンソンは 絵画になるのですよ。
17の母音 17色の色
そして 我が家の稽古場の花瓶の中で
アの母音や イの母音で 歌っている花達です。
薔薇の 葉っぱの緑色は エの母音です。
どうして これほどまでに 色にこだわるのか・・
三歳から 絵画教室が 毎週土曜日 学校から帰ると
午後の居場所でした。
昼から 夕方まで 何時間もの間
自由に 遊びながら
くにゆき先生という か細い独身の素敵な女性油絵画家の先生に
水彩 木炭 七宝 箱作成 マリオネット作成 油絵 デッサン 漫画まで
ありとあらゆる事を 習いました。
中学になって 教室を やめたのは
きっと 勉強とかクラブ 生徒会仕事の都合かもしれませんが
妹も 一緒に習っていました。
子供の頃の色遊びが 今は 花達との生け花になりました。
妹は草月流の生け花を中学生から習い始めたそうで
師範免状もあるのですが
習いもしない私に 沢山の生け花のチャンスがあり
妹は あまり 花を生けるのが好きそうには
みえない程 庭や家の中で 植物を愛でるタイプではないみたいです。
私は 美を慈しみ 愛でて 物思い ハラハラして
花や植物の栄枯盛衰に いちいち 感情を揺さぶられるタイプです。
花瓶の中で 満面笑顔の花達が 枯れてしまったり
終わってしまうと
花達との惜別の情に
毎度 しんみり しています。
色があせて消えてしまうからです。
なので
当然 人間の栄枯盛衰と惜別に関しても
心に雨が降ることが 多いのです。
良いときは ひと時 束の間で
ハードル試練が 全ての人間に 平等に与えられている。
他者と 人生を比べることも出来ないし
それぞれの人間に それぞれの運命があり
花達の命のように 咲き誇ったとしても 萎れていくのが自然。
そういう自然の摂理に 逆らうことなく 自分の人生を受け入れたい。
でも 怖いですよ。
生身ですからねぇ。そうそう 客観的にはなれませんよ。
なので 良いときの束の間 嬉しいときの一瞬を大切にクリエイトする
必要性を 加齢とともに ますます 感じています。
そして今に
感謝 感謝。ただ 感謝です。
母音というと A I U E Oアイウエオ
の 五つが 日本語で 思いつきますが
私は
最近 Aアという開口の母音は 赤だと思っています。
ボルドーの赤
オレンジ系の赤
真っ赤
目が覚めるような色の音
パレットの上で 赤に 色々な色を混ぜれば
最後は 黒になってしまいます。
最近 私は 母音には それぞれ 色があると
感じています。
感性で 思うだけで 理論があるわけではないのですが
アaの母音は 真っ赤
エの母音は 青みがかった緑
イの母音は 黄色
ウの母音は 紫
オの母音は まだ 感じてこないので いつか 何色か感じたら
お伝えします。
そのほかに フランス語の母音は 色々
各色
そして 子音には sやFの 無声音なのに やたら色気のある
パンチ力のある音たちがあり
その色は 白 や グレーやら 白が効いた差し色です。
母音の間に割り込んで 主張しているので
ないがしろにできないRなどは
役割と 取り扱いが 超危険な子音なので 金色です。
金色も 色々な使い方で 主張したりワンポイントにもなりますから。
なので シャンソンは 絵画になるのですよ。
17の母音 17色の色
そして 我が家の稽古場の花瓶の中で
アの母音や イの母音で 歌っている花達です。
薔薇の 葉っぱの緑色は エの母音です。
どうして これほどまでに 色にこだわるのか・・
三歳から 絵画教室が 毎週土曜日 学校から帰ると
午後の居場所でした。
昼から 夕方まで 何時間もの間
自由に 遊びながら
くにゆき先生という か細い独身の素敵な女性油絵画家の先生に
水彩 木炭 七宝 箱作成 マリオネット作成 油絵 デッサン 漫画まで
ありとあらゆる事を 習いました。
中学になって 教室を やめたのは
きっと 勉強とかクラブ 生徒会仕事の都合かもしれませんが
妹も 一緒に習っていました。
子供の頃の色遊びが 今は 花達との生け花になりました。
妹は草月流の生け花を中学生から習い始めたそうで
師範免状もあるのですが
習いもしない私に 沢山の生け花のチャンスがあり
妹は あまり 花を生けるのが好きそうには
みえない程 庭や家の中で 植物を愛でるタイプではないみたいです。
私は 美を慈しみ 愛でて 物思い ハラハラして
花や植物の栄枯盛衰に いちいち 感情を揺さぶられるタイプです。
花瓶の中で 満面笑顔の花達が 枯れてしまったり
終わってしまうと
花達との惜別の情に
毎度 しんみり しています。
色があせて消えてしまうからです。
なので
当然 人間の栄枯盛衰と惜別に関しても
心に雨が降ることが 多いのです。
良いときは ひと時 束の間で
ハードル試練が 全ての人間に 平等に与えられている。
他者と 人生を比べることも出来ないし
それぞれの人間に それぞれの運命があり
花達の命のように 咲き誇ったとしても 萎れていくのが自然。
そういう自然の摂理に 逆らうことなく 自分の人生を受け入れたい。
でも 怖いですよ。
生身ですからねぇ。そうそう 客観的にはなれませんよ。
なので 良いときの束の間 嬉しいときの一瞬を大切にクリエイトする
必要性を 加齢とともに ますます 感じています。
そして今に
感謝 感謝。ただ 感謝です。