シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 10月10日 夏のような気温の秋

2017年10月10日 03時48分34秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 10月10日 夏のような気温の秋

とても寒い日があつたのに
また 暑さが戻ってくれて 嬉しいです。
深夜四時27℃の 一階の仕事部屋です。

二階の居間は30度近くあります。
庭には
キンモクセイの 香りが漂っています。
ハナミズキは 紅葉して 葉が落ち始めました。

月曜日は
庭の掃除は 予定通りには出来なかったです。
蚊が居なくなってからにしよーっと。

連休なので 妹に電話して 長話しました。

パリに行く前は 妹にも一か月以上電話しないで
手紙だけ書いて
スケジュール渡しただけで
リサイタルの 一時間半の 曲目の
フランス語に専念していました。

あの時期 
日本語を話すと 下顎が 動いて
フランス語の滑舌が悪くなるので
出来るだけ 話をしたくなかったくらいに
フランス人相手に フランス語で歌うのは
プレッシャーでした。

恐怖でした。
フランス人に
何言っているか 分からないといわれたら
どうしよー
ナタリーさんに さんざん 直していただいたのに
もし へんてこなことしたら
自分的には 達成感なしで しょげて 帰国しなければならない。

まあ 子供の時と同じくらい 私は 相変わらず
自信が持てない。

7月のNHKホールのパリ祭の映像は 他の方には見せてはいけないのですが
自分だけ用に 送っていただいて
本日 見ました。

少し 安心しました。
昨年より 少し 良くなっていました。
一割 来年までに 直したい部分が ありました。

一年先までの 自分の肉体 修正課題を 箇条書きにしておきます。
来年の七月まで パリ祭までの・・・・目的が出来たことが 
よかつたです。

見る前は 怖くて 
声は 自分で聴いて 自分で修正できるし
音楽性も 直せるけれど
舞台姿
自分の
歌う姿 立ち姿 そして 目つき 指 足
なにもかにも
声 フランス語 表現方法
あらゆる角度から 徹底して 自分を他人と思い
観察して
色々 毎年 それなりに 修正 訓練 工夫はしているのですが・・

そう簡単には 私の理想とする姿かたちには なれないものです。
私は私の声の色は まあまあ 嫌いではないみたいですが
フランス語
ディクションも 昨年より 良くなったのは ナタリーさんのおかげです。
スタイルも 昨年より良くなったのは 多佳子さんのおかげです。

DVDのおかげで 毎年 すこしづつ 自分を良くしていけているきがしています。
舞台の先生は DVDさまさま です。
文明の力は 有難いです。



シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソンの難しさ と イタリア語の解放 日本語の有難さ

2017年10月10日 03時00分52秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソンの難しさ と イタリア語の解放 日本語の有難さ

音楽は 世界の共通語です。
バイオリン ピアノ 
全て の楽器のメロディー ハーモニー リズムは
どの国でも
お客様と 共有できる世界です。

ただし 歌手の場合は 言葉つきの声楽器
声という音色で奏でる時 言葉が付いているので
インターナショナルに活動しようとすれば

出来るだけたくさんの国の言語で 歌えた方が良いと
芸大でも ベルギーのコンセルバトワールでも 
先生方から オールマイティーであるように
教えられました。

西洋音楽の 作曲家のメロディーと音符に その国の言語で
作詞者の書いた詩が
結婚して
歌曲は出来上がります。

イタリアの美しいメロディー カンツォーネには イタリア語の韻
フランス語のシャンソンには やはりフランス語の音が適切です。

シューマンや ブラームスのようなドイツ語に フランス語をつけても
あまり 似合わない。

日本語は 西洋音楽メロディーにつけて歌うと
のんびり 聞こえます。
子音と 母音の数が 極端に少ないせいだと思います。

なので 暗譜しやすいし 覚えるのが早くて
一度記憶すれば そう簡単には 忘れないものです。

ボージョレコンサートでは
私がフランス語だけでしか歌わないので
日本人だとは 解らないと困るので
愛の讃歌と 愛しかないとき
を歌うとき 初めの少しの部分を 日本語で歌うようにナタリーさんに言われ
ました。

愛の讃歌は 岩谷時子さんの詩を覚えているので
それを 少し入れて
愛しかないときは 自分で作詞しました。
簡単に 覚えられちゃう。
しかも 練習しなくても 案外うまく 表現できてしまう。
でも のっぺりして 油絵的というより 水彩画的で
ピアフ や ジャックプレルの 濃厚さが出ないなぁーと

自分のシャンソンは やはり フランス語で歌う方が
労が多くても 西洋風だわぁー
骨太・・・気骨・・・

でも フランス人達には 少し日本語を入れたのは
好評だったらしいです。

一番 ナタリーさんに好評だったのは
私の作詞作曲の弾き語り・・・・オリジナルだから 芸術的価値が
あるという事らしいです。

養老コンサートで 佐久間クリニックの奥様 道子さんから
コンテパルティロ TIME TO SAY GOOD BY
の リクエストがあり
久しぶりに
イタリア語で  練習しています。

あっ ボージョレでは コメプリマを イタリア語とフランス語で歌いましたから
それほど 久しぶりでもないけれど

低い音から 高温まで まんべんなく 開口母音で歌う
イタリアの歌 コンテパルティロは
最期の Aの音を フォルテで
長く伸ばすので
脳から 抜けるような
チャクラが 開ききり
頭蓋骨共鳴して 全身が振動するのが
なんとも 快感。

というものの

私は 実は 芸大の学生時代は
ドイツ歌曲が専門でした。
ワーグナーの ヴィーゼンドンクの五つの歌を ベルギーの
リサイタルで 歌ったのは 30歳になる年でした。

ヘンリーパーセルのオペラアリア ディドと エネアスは 英語で
歌っていました。

その時のリサイタルは コンセルヴァトワールの先生が
聞きにいらして ラジカセで取ってくれて テープが まだ あります。

あの時代は テープやビデオで とるという
のは 稀でした。

芸大 大学院 卒業の時の 私の論文と 修士演奏リサイタルは
なんとなんと スペイン歌曲 グラナドスの 歌曲集 ゴイエスカス
スペイン語で 情熱的に歌っていましたけれど
その時の演奏録音は オープンリールで 持っていますが 機械が無くて
再生不可です。

今は なんで 自分が 
ポピュラー歌手 シャンソン歌手になっているのか
時々 夢でも見ているのかしら・・・と 思います。
不思議すぎます。
でも もう クラシックの歌い方は 忘れました。
シャンソンフランス語に 専心して 
その道に突き進んでしまったからです。

ドイツ歌曲には まったく 興味さえ失いました。
マリアカラスのオペラだけは 相変わらず恋しています。
彼女の音楽性にある魂と情熱と悲哀が好きだからです。