私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

美の巨人 萩原 碌山

2014-02-20 14:28:23 | 日記
 2月20日(木)  天気:晴れ+雲   室温:15.6℃

 きのうの夜 10:54 から BS7ジャパンで ”美の巨人たち” 「萩原 碌山」 が放送されました。 素晴らしい彫刻
を見て 感動しました。 40年以上前 愛知県に住んでいたとき 信州を歩き 禄山美術館へ行き 「女」 の像を
見たときの感動を 思い出しました。 東洋のロダン といわれた彫刻家・萩原碌山の生涯は・・・。

 ロダンの 「考える人」 を見て 芸術の真理、精神を了解し ロダンの弟子として 教えを受け 彫刻家として
わずか 4年、30歳の若さで没した 天才彫刻家の遺作 「女」 像は わずか 98センチのブロンズです。(重文)

 萩原 碌山は 明治12年(1879) 安曇野市の農家に 生まれましたが 幼いころから 病弱で 子どものころは
安曇野の風景を写生して 過ごしていました。 ある日 写生しているとき 聡明で美しい人妻・相馬良に 出逢います。
3歳年上の相馬良は 東京育ちで 安曇野のような田舎には 似合わない 白いパラソルを差すような女性でした。
 良の影響もあり 禄山は 画家になろうと 道を歩み始めるのです。 だが なぜ 彫刻家になったのでしょう。

 20歳のとき 上京して 絵を学びます。 2年後 アメリカへ渡り ニューヨークの学校で 西洋画を学びますが 1906
年 今度は パリへ渡ります。 このころの禄山は 自分が目指す芸術は 何なのかを 模索する・・・。 WHAT IS ART?
 あるとき ロダンの「考える人」 に出逢い 衝撃を受けます。 これが 禄山の求めていた答えでした。 ロダンの彫刻
の威厳にうたれた禄山は 彫刻家への道へ。 彫刻の内に秘めた精神の美しさに 目覚めたのです。

 ロダンに会うと 私の弟子だ と言って 教えを受けることになります。 彫刻は 静止していても 動きがある。
芸術は 生命なのだ。 内に秘めた感情を表現する 静寂の美。 このころの作品に 「坑夫」 があります。

 日本に 帰った碌山は 東京に住みます。 かって 憧れた相馬良が 結婚して パン屋をしている店の近くに 居を
構え 良を手伝いながら 制作に励みます。 相馬良は 夫の浮気で 苦しんでいました。 禄山は 良に 同情し・・・。
二人の間に 何が・・・。  禄山は 京都や奈良を訪れ 仏像を見て回ったようです。

 帰国(1908)後 1年で 「女」 を制作。 禄山が 生みだした新たな美、複雑な女心を表わす作品です。 モデルは
相馬良だと言われています。 良の家で 急死した碌山。 アトリエで 「女」 像を 発見した良は 泣き崩れた・・・。
「女」 は 禄山の最高傑作と言われ 近代彫刻の幕開けとなった作品です。

 LOVE IS ART. 悶えは 美なり。 学芸員は 悶えは 心は 動こうとしているのに 門に囲まれ 動けない状態だと
言います。 何かを求めているのに 身動きできない。 身体をよじり 顔は 苦悶の様相で 上を見つめ 手は 後ろに
回し 縛られているよう。 足は 埋もれて 立ち上がろうとしても 足は抜けない。 苦しみの中で 運命に悶える美しい
「良」・・・。(良は 結婚前の名で 結婚後は 黒光?) ある人は 「女」 は 希望と絶望の融合だと言います。 
 友人の高村光太郎は 禄山を偲び あんな女に 出逢っていなければ・・・。

1908年 「文覚」 文展 入選。 文覚は 人妻に恋をして その夫を殺そうとして 誤って妻を殺害し・・。
1909年 「デスペア」 女性が 地面に身を伏せ 顔をうずめる。
1910年 「女」 禄山の死後 良が 文展に出品? 文部省買い上げ。

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